アメリカの希望とぼくたち

これを書いている時点で、アメリカの大統領は決まっていない。いや、一か月経っても決まっていないかもしれない。もう、いちいち報道に耳を傾け、ほっとしたり、がっかりしたり悲観的になるのはやめようと思う。予想の報道に耳を傾けるのはやめよう。予想なんて占い師と同じ価値しかない。結果を待とう。

 

■当事者意識

ミレニアル世代やZ世代の人口比率がが日本に比べ圧倒的に多いアメリカ。多様性は益々広がり、近い将来には白い肌で青い目の人はマイノリティーになる、という人もいる。彼らは、今回の大統領候補が二人とも70歳台という現実に、悲観するのではなく、とりあえずトランプをホワイトハウスから追い出すことに意味を見出しているようだ。ごく近い将来アメリカの主人公は自分たちの世代になる。そう、日本の同世代と比べて、自分たちは関係ないという冷めた諦観、というより無責任感、第三者感かもしれない、がないのだ。

アメリカはどこに向かうのだろう?

日本人には理解できない今回の分断の先に何が待っているのだろうか?

若者たちの当事者意識が新しい時代の扉を開けるのではないか。

それは日本の人口構造や若者の政治離れや当事者意識の欠如に比べると、混沌の極致であるアメリカの方がよっぽと期待できるのではないか、と思わざるを得ない。

きっとこのカオスの先に、「進歩」と「成熟」が待っていることだろう。

 

■予防的やさしさ

今から10年以上前に「ほんとはこわい『やさしさ社会』」という本を読んだ。やさしさには二つある。予防的やさしさ治癒的やさしさ。前者は、人間は傷つくと立ち上がれない。だから傷つけないようにするのがやさしさである、という考え。後者は、人間はそもそも傷つくことは避けられない。傷ついた時に手を差し伸べるのがやさしさだ、という考え。私の記憶ではそんな話だった。日本人は前者。だからディベートも下手。もし本気でやったら、友人関係が壊れる。傷ついたらリカバリーが効かないと思っている。だから、自分の意見を言えない。本気で議論できない。怒れない。

だから、欧米人に議論で勝てない。欧米人が小学校からディベートをしているのとは、大違い。世界で主張できない日本人がいる。日本が世界の中心に入れない理由。

私は昔こんなことを話していた。今でも考えは同じ。イメージしてください。転んで怪我をした。どうってことないと、なめていたら膿んできた。家にある「オロナイン軟膏」を塗って放っておいた。毎日塗り続けた。そのうち膿は広がり痛みも治まるどころかひどくなった。それでも、軟膏をやさしく塗り続け治癒を待った。何か月経っても治らないばかりか、ひどくなる一方だった。

有りがちな話だ。ビジネスでも。私はこう話した。なぜ、膿んでいる個所に指を突っ込んで膿を出さないのかと。放っておいても、やさしく撫ぜていても、軟膏を塗り続けても、治らないものは治らない。であるなら、痛いのを覚悟して指を突っ込んで膿を出すべきだと。

予防的やさしさで、解決できないことは多い。目をそらさず向き合って、根本的、本質的な解決策を実行しよう。それができない人が多い。先送りして傷口が広がる事例は腐るほどあったではないか。目をつぶって指を突っ込もう。

それがやさしさだと気付いてほしい

 

■主人公

あなたが主人公です。決して逃げないでください

これからの世界。制約だらけです。世界のために我慢しなければならないことだらけです。

それでも、豊かな人生は送れます。逃げないで向き合ってください。

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そびえる山にひるんではならない