しぶこの全英18番の陰に青木コーチ

楽天マガジンのお陰で、雑誌のチョイ読みが自宅のデスクでできる。ちょうど今斜め読みしたのが「Motor Magazine」 そこにこんな記事が。「ティーティングからコーチングへ」 去年すい星のごとく登場したゴルフの渋野日向子のコーチ青木翔氏の話だ。優勝した全英オープンでキャディーをしていたので、ご覧になった方も多いと思う。彼はもともとアカデミーを主宰しスイング技術や方法論を生徒に教えていた。いわゆる指導者、即ちティーチングだ。彼は、それでは指示待ちの子供を育てるだけだと気付き、「ことらが正しい結論を知っていても、それを教えてしまっては、選手が自ら結論を出せなくなります。こちらが答えを教えることを繰り返しては、一度解決した答えはクリアできるでしょう。でも、新たな問題に直面した時に、自分自身の力でそれを解くことは難しくなる」とコーチングの神髄に気付く。その成果が結実したのが全英オープン最終ホールの渋野選手のあの強気のパットだ。あのような痺れる瞬間にラインを読み、かなり強めのパットをしたのは、渋野選手自身の判断だ。彼は、「本人がラインを読み切りバーディーを決められれば、とてつもなく大きなものを得られる。仮に読みが間違っていたとしても、彼女の決断を尊重していたでしょう。それが成長への原動力になると思っていたから」と。そう、あの「強気のパットはコーチングの賜物だった」「コーチングの要諦は教えないこと。見守ることだ。」選手はコーチングによって自立していく。自分に問いかけ自分で解を見つけていくのだ。

私もコーチの端くれなわけだが、いつも反省する。そう、私はしゃべり過ぎる時があるのだw。我慢が何より大切なのに…。もちろん私だって成長してますよ。学び続けてるのですよw。この歳になって成長途上! それはそれで良いではないかw

クラアントの行動を変えることが私の存在価値。でも、青木コーチの言うように、私が教えるのではないのです。自分で変わるのです。そのためにクライアントは自分で気付いて自分で反省して自分でどうすべきか考えて自分で腹落ちして、そして行動するのです。私はヒントに繋がる質問をするだけ。特に答えを知っているときは、知っているだけに我慢するのは容易ではないのです。しかし、彷徨うクライアントを、手を替え品を替え質問を繰り出す努力を続けて、迷宮から救い出すことを愚直に続けるのです。まるでテニスの壁打ちの“壁”のように。

同時に、以前に紹介したように私のアプローチは“Coaching & Consulting”、のふたつの融合を旨としている。ある時には経験や知見に基づいて、アドバイスしたりフレームワークを教えたりする。しかし、それが過ぎてしまうと青木コーチの指摘の通り、クライアントは自ら考えることを止めてしまうのです。その塩梅にがバランスした時に、クライアントは視界が一気に開けたことを感じるでしょう。

修行の日々は続く。

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ベランダのミニトマトも順調に成長中。小さな実をつけ始めた。私も見習わなくてはw

 

 

 

フェラーリでぶっ飛ばす?

気分転換したいですよね。

そういう時、今まで皆さんどうしてました?

僕は、

・シムで体を動かす 

・ウォーキング

・映画を観る 

・都会を歩く 

・ブラ~っとドライブに行く

・本屋で本をあさる

・読書

・美術館に行く

・ゴルフを楽しむ

・旅行に行く など

そもそも、昔と違って買いたいものも明確にないのに、ぶらっとショッピングに行くことはない。もともと一人で食べ歩きもしない。従い、気分転換はこんなところ。

そんな気晴らしも全くできない日々。そりゃ読書もしますよ。映画も観ますよ。家でね。そのほかも全くできない2か月が過ぎた。ジムは今日から営業再開したらしいが、ソーシャルディスタンスが守れるわけはないと思い、行く気にはなれない。

今シーズンは好きなF1を観ようと有料放送の契約はしたものの、中止が続き、すぐ解約。暇つぶしに楽天マガジンの契約もした。でも、それでは気持ちが埋まらない。何かやりたい。

 

で、

プレステ4を買ってしまった。

今年5が発売されるらしい今どきになって… 

そして、生産を縮小しているせいか、SONYストアでも売っていなく、定価よりかなり高いお金を払わないと買えないのにだ。なんとバカバカしい。

と思いながら、クリックしてしまった。

で、先日届いた。

そして、グランツーリスモをダウンロードして始めた。

 

時々仮想空間で車を飛ばして憂さ晴らしをしている。

これって、憂さ晴らしなの?

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すぐに飽きてしまうのか?

 

 さ、仕事しようっと。

 

新しい時代の始まり

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明けない夜はない



徐々に日常を取り戻し始めます。それ自体は悪いことではありません。感染リスクさえ極小化させる一方で、経済の復調を目指さなければ、不幸の連鎖が止まらなくなります。

想像しましょう。これからどういう景色が増えていくのか。
・マスクを付けない人が増える。
・電車などが徐々に混み始める。
・オフィスが徐々に混み始める。
・街自体が混み始める。
・レストラン、飲み屋などが営業を始める。
・それらが混み始める。
・夜の街や電車の中などに酔っ払いが増え会話が増える。
・旅行や出張など移動が増える。
・即ち3密を恐れない人が増える。などなど。

そんな中で、スマホを毎日何度も消毒し続けるような感染をシビアに恐れる人達と、どんどん脇が甘くなっていく人達とのギャップがどんどん広がっていく。お互いを罵り「感染を広げるつもりか?」「緊急事態宣言は終わった。何を神経質になっているのだ?」という分断が色濃くなる。そんな悲しいことにならないようにしたいものです・・・

徐々に変わりつつある世界を想像しよう。そして正しく恐れよう。少しずつ恐々日常を取り戻そう。3密回避はワクチンが浸透するまで続けるという、新しい生活原則を当たり前と理解しよう。もう、昔には戻れない、戻ってはならないと理解しよう。

テレワークやマスクや手洗いなどの習慣、ちょっと体調が悪ければ、仕事を休むこと、それを当然と受け入れる上司や顧客、時間から成果への報酬価値観の変革、オンラインでもリーダーシップやコラボレーションやイノベーションが起きる変革などなど、永遠に忘れず文化として定着させよう。

元に戻るんじゃない。新しい時代が始まったのだ。

 

 

書き換えられようとしている未来に向かって

加藤大臣の責任逃れ

加藤厚労大臣の「我々からすると誤解だ」発言が世間を騒がせましたね。相談センターや保健所がなかなかPCR検査をしてくれず、病院も含めてたらい回し状態になったなんていう話が、あれほど世の中を騒がせた原因が、37.5度4日連続などのクライテリアだったにも係わらずです。保健所に勤めている方々も呆れ返ったことでしょう。

以前にも書きましたが、人の上に立つ人(現場に指示を出すスタッフも同じ)は指示を出すことが責任で、あとは現場に任せた。それが上手くいかなかったら現場の責任だと逃げるようでは話になりませんね。上手くいけば自分のおかげ、上手くいなかければ部下のせい。最低の上司のパターンと同じです。そもそも目的は何なのか? それが分かっているのだろうか? 責任とは最終的に結果を出すこと。言い訳は一切できません。現場がどうなっているのかをハンズオンで把握する、上手くいくように適時指示を変える、必要な資源を手当てする、上手くいくまでやり続ける、現場を鼓舞するなどという行動力がトップには必要です。

本件は全くそうなっていませんね。この混乱の責任の多くは加藤厚労大臣にありますね。また、官僚とは法律を作る人と言われます。そう自覚している官僚も多いはずです。それに従いオペレーションをやるのは、関連団体か地方自治体。官僚の多くは法律は作ったら仕事は終わり、という感覚で仕事をしているのでしょうね。それが本来の分担かもしれません。しかし、カオスの中でその考えをベースにして一気に解決できるとは思えません。カオスから抜け出すためには強いリーダーシップが必要です。そのリーダーシップは誰の手にあるべきなのか? そう考えれば、加藤大臣が第三者的なコメントを吐く責任逃れを、誰もが許せないと思うのは当然です。

これだけ、現場の混乱がメディアに取り上げられ(それがかなり誇大化されているかもしれませんが)ているわけですから、知らないとは言えませんし、優秀な官僚が支えているはずですから、情報はいくらでも足元にあったはずです。都合の良い話には耳を貸し、そうでない情報には蓋をしていたのでしょうか。事実は分かりませんが、トップは意志さえあればすべて掌握できたはずです。責任逃れは甚だしく、常識的に考えれば解任は免れません。

 

■企業幹部の登用とHR

企業においても同様です。自分の権限と責任を矮小化し、さらに失敗した時に他人のせいにする(今回は誤解と言っていますが同じです)などという最低の幹部は、速やかに去ってほしいと思います。皆さんがそう感じていないとするなら、周りにあまりにもそんな人ばかりで鈍感になっているのかもしれませんよ。要注意です。そもそもそのような性根の持ち主を登用してしまう、評価眼のない上司やHRは大反省すべきです。上司がいかに登用したいと具申してきても、コーポレートの人事が過去の行動や評価を客観的に分析し、上司のまがった評価を正す意志を持ち行動すべきです。多くの企業においてHRの権限が弱すぎます。HRはもはや経営そのものと言っても良いと思います。企業は人で成り立っているのですから。企業の成長はHRが決めていると言っても過言ではないのです。どのような人材を採用し、育て、リテンションし、どのような人材ポートフォリオを将来の成長に向けて構築していくかで、企業の天井は決まってしまうようなものです。経営陣はどのように優れた戦略的HR部隊を擁するべきなのかをよく考え、リクルートも含め考えるべきです。もちろん言うまでもなく、人事の傲慢や暴走は絶対に許せません。経営陣との信頼関係は必要不可欠ですし、誰におもねることもない独立マインドも必要ですね。戦略的で清廉なHRは、企業にとってなくてはならない存在だと思うのです。

 

■コロナ禍の終息 

一方でコロナ禍がいつごろ終息するのかの見通しがないのが、僕たちを不安にさせます。人口の7割が抗体を持つまでは終息しないというのが、恐らく正しい科学的見立てなのでしょう。それに関して、慶応大学環境情報学部教授でありヤフーのCSOでもあるデータサイエンティストの安宅和人さんが、ブログでこう書いています。

https://kaz-ataka.hatenablog.com/entry/2020/04/04/190643

「ご存じの方もいらっしゃると思うが、コロナを含む感染症のための病床数は4/4現在、日本全体で4,000あまりだ。一度入院したら2週間はいなければならないとすると、年間52週で26回転、4,180 x 26 = 108,680 = 約11万人の治療が可能ということになる。入院が必要な重症化率が世界平均同様に5%だとするとこの国が現在対応できる感染者数は年間で11x100/5= 11x20 =220万人に過ぎない。これでは「もしキャパを溢れさせないとするならば」50年以上(57年+)の時間がないと今の人口(12,600万人)全員に免疫ができることはない。50%を目指すとしても29年だ。普通の経済的な感覚ではほぼ無限に続くことになる。

仮にこれが1万までCOVID対応可能な病床が増えても同じ計算で、免疫を持つ人を50%にしようとすると約12年かかる。3万まで増やしても約4年だ。つまり、向こう数ヶ月で沈静化するという可能性は中国のような完全シャットダウンを行って封じ込めない限り考えられない。この状況は他の主要国もそう変わらない。したがって"手なり"で考える限り、来年オリンピックが当初期待していた形でできる可能性は低い。

実際にはいま世界で知られているだけで100以上のワクチン候補の開発プロジェクトが進んでおり、6月にも動物治験に入るもの、9月にも人間での治験に入るものなどがあり、早ければ年始にはなにか生まれてくるだろう。ワクチンは当然のことながら社会の免疫獲得を劇的に加速する。とは言え、これが10億単位で量産され、世界中の人が打ち終えるのには少くとも数年はかかるだろう。経済的な主要国の50%までをターゲットにしても、現実的な楽観シナリオでも1-2年はかかるというのが普通の見立てではないだろうか。」

日本だけを見ても、今の病床数が増えなければ、抗体が50%の人にできるまでに29年かかるという。ベット数に拘束される方程式。医療崩壊をさせずに自然に抗体が浸透していくことは不可能なのです。どんどん感染しても病床とドクターの数に余裕があるから大丈夫という状況になるなら問題はないとも言えますが、今までの状況を見てもそのようになるとは誰も考えてはいまい。感染を抑制することなしに放置すれば、間違いなく医療は崩壊し、多くの人が亡くなっていく。さらに言えば、日本だけ見てもそのような状況であり、新興国ははるかに状況は厳しい。ロックダウンにより感染を食い止めた武漢では、また感染者が出たという報道の通り、移動が再開すれば必ず 第2波、第3波が来ます。

言うまでもなく、解はワクチンです。それが世界中で普及し人口の大半が抗体を持つまでは、去年までの当たり前の暮しには戻れないのです。感染爆発にならないように、それまでは耐え続けるしかありません。1年か3年か10年か…? 今時点では誰も分かりません。更に言うと、いつまた未知のウィルスが登場するかは分からないのです。温暖化によってそうなる可能性は高まっているとも言われます。僕たちは最悪の事態に備えなくてはなりません。世のリーダーは人々にそう伝えなくてはなりません。パリ協定を無視するような人がリーダーを語ってはならないのです。

そう考えると、僕たちは価値観を変えるしかありません。昔に戻るのではなく、新しい世界とはどうなるのかを想像し、それに合わせていくのです。それができる人が、新しい幸せを獲得し、できない人は懐古的な世界に閉じこもって、不平不満を言って生きるのです。最悪は利己的な価値観に飲み込まれ、自分さえ良ければよいと、閉じこもって生きることになるのでしょう。人間はコミュニティーの中でしか生きられません。新しいコミュニティーの中で、社会とどう繋がって生きれば良いのかを問い直しましょう

残念ながら多くの産業セクターは生き残るのが厳しくなります。新しい人生観やライフスタイルに合った産業が伸び、そうでない産業は衰退するでしょう。しかし、チャンスは必ずあります。

未来は書き換えられようとしています。そのような状況でも、新しい未来を考えている人はたくさんいます。きっと明るい未来はあります。

もともと人類史上最も変化の激しいと言われる現代、今までの延長線上に未来などなかったのです。それが、更にコロナ禍によって更に新しい文脈に書き換えられようとしているのです。新しい未来には、恐らく今まで経験したことのない困難が待ち伏せしているでしょう。しかし、どんなことがあろうとも、未来を創り出せるのは僕たちしかいないのです。科学者を中心とする人々の英知と、人類全員の愛と利他心さえあれば闘えるのです。

 

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愛さえあれば

 

コーチにできること

現代に生きる聖書」(曽野綾子)に“キリストの弟子パウロの手紙”が紹介されています。

「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」

そう、人間の関係すべては自分の行動で決まるのです。決して求めるのではなく、与えることで成長していくのですね。しかし、本当にそうできているのかはなかなか自覚できないものです。そのためには、一人一人が自分を映す“鏡”を持たなければなりません。そして規範とすべきもの即ち“鑑”は自分で考え抜き、書き下さねければなりません。書き下して目の前に置いておかなければ、規範は忘れがちなものです。決意は自分の琴線に触れる言葉にして、忘れないようにしなければなりません。人間は必ず楽な方に向かってしまいます。すべての物質が重力に逆らえないように。

コーチの端くれをやっているといつも思います。想いは行動に宿ると。逆のように感じるかもしれません。行動することによって想いがより強まり定着していく、と思うのです。そして、行動を変えることの難しさを常に感じます。

“鏡”に映る自分を見て何を感じるのだろうか。そもそも“鑑”を持っているのだろうか。

クライアントの行動を変えることが、私の存在価値だと思う。しかし、それは驕りかもしれない。私にできることは、“鏡”を持つこと、即ち自分と向かい合う勇気を与えること、そして、自分の琴線に触れる文章に書き下すことのお手伝いをすることです。

自分で気付き、だからこそ自分の力で行動を変えることができる。私のクライアントが全員そうなることが、私の喜びです。

変革なき人生は、愛のない人生と同じくらい虚しいものです。

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ガビガビ

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清々しく家にこもる


手の指が“ガビガビ”“カサカサ”だ。いつもと違い春になってもだ。

言うまでもなく、手の洗い過ぎ、そしてアルコールゴシゴシwのし過ぎだ。

それがなくても加齢により皮膚が水をはじくこともないのに、更に干乾び、本のページはとうにめくれなくなった。女子のように、ハンドクリームを持ち歩く。

私の指の老化は全てコロナウィルスのせいだ。「馬鹿野郎~!!」

 

年老いて

ひとり自分の

指を見る

 

 なんだそれ?

 

変革は平時に、そしてコロナ禍の営業

■変革は平時に行う

変革に必要なものの一つがマーケティングだと書きましたね。森岡毅氏(USJの元CMO)は「マーケティングは『組織革命』である」の中でこう書いています。

経営資源を消費者のプレファレンス㊟に集中するその能力、消費者プレファレンスを読み解いて会社を勝つ確率が高い焦点に集中させるその働きを、私は『マーケティング』と呼んでいます。マーケティングは、会社を市場(≒消費者)にフィットさせ、消費者の頭の中に“選ばれる必然”を構築し、売り上げを中長期的に獲得できるようにします。我々マーケターは、その“選ばれる必然”のことを『ブランド』と呼んでいます。ブランドは消費者の頭の中に存在して、その相対的な力関係でプレファレンスを決定しているのです。」

ちなみに、私はマーケティングを広義にみて「需要を創造すること」と言ってきました。

プレファレンス:消費者のブランド選択における「相対的な好感度」。購買行動の際に消費者の頭の中にいくつかあるブランドの相対的な購買確率のこと。例えば、洋菓子が食べたいと思ったときに5回に3回は「ベルクの4月」を選ぶなら、プレファレンスは60%だと言います。

ところが、市場は常に変化します。どのタイミングで自社をどのように大きく変革させて市場の変化にアラインさせていくのかは、経営陣が決めることです。その時のことを想像してみてください。前に書いたように、後手後手になってしまった場合は、既に生きるか死ぬかの状況になっているかもしれません。状況は正にカオス。できることは、死なないように今の状況からいかに逃げ出すかだけです。運転資金をどうやって得て、出ていくお金をどこを削るか。撤退事業を決めキャッシュが回る事業だけどうやって残すのかなどですね。生きるためにできることをするのが、経営陣にできる唯一のことです。

これは変革ではありません。手術です。変革はカオスになってからやるものではないのです。できるものではないのです。余力があるときにしかできません。即ち、マーケットを上空から見つめ、プレファレンスの未来を洞察し続ける毎日を送り、常に事業の新陳代謝をし続けるのです。つまり、変革は平時に行うのです。

これは、基本的にB2CだろうがB2Bであろうが同じです。マーケティング・ドリブンな会社しかこの当たり前ができないのです。

マーケティング・ドリブンの会社とは、顧客視点で会社の機能たとえば、製造・販売・保守が回る会社です。ところが、難しい問題があります。それは、顧客が常に正しいとは限らないということです。言い方を変えると、顧客が言っていることを信じてはいけないときがあるということです。顧客は案外近視眼で過去の延長線上で自分が欲しいものを描いています。今の機種より小さいものが欲しいとかコスパが3割は上がってほしいとかです。それで、本当に顧客の困りごとが解決できるのでしょうか。実は顧客は本当の困りごとに気付いていないケースがたくさんあります。それを気付けなければ、本当のマーケティング・ドリブンとは言えないのです。この辺は、破壊的イノベーションで有名なクリステンセンの著作を読んで学んでください。それを気付けず消えていった製品や企業は枚挙にいとまがありません。

 

■営業プロセスも変わる

今回のコロナ禍によって、B2Bの営業プロセスも様変わりするでしょう。対面を前提とした名刺交換やミーティングは一気になくなり、オンラインが当たり前になりました。多くの人は戸惑い、新規顧客へのアプローチを失っているように見えます。そういう企業はそもそも以前から、顧客とのコンタクトが古典的で、その文化から脱却できていませんでした。VIPへのご案内は手持ちが常識。VIP扱いしている割にはメールアドレスすら知らないわけです。確かにメールアドレスを名刺に載せていなVIPは結構いますね。やたら押し売り的メールが来るのを恐れているからでしょう。VIP扱いしているのであれば、関係は良好のはずですから、電話で秘書や部下の方に聞けば教えてくれるでしょう。メアドすら情報として持っていない営業が、顧客へのコンタクトルートを失った現状、アプローチ手段すら失っているのです。これからはネットベースが当たり前になりますよ。儀式的な古いビジネス慣習は一気に減っていくでしょう。ITを使いこなし、デジタル化した空間やプロセスで個性を発揮できない営業マンは存在できなくなります管理職のハンズオンも変わります。部下の営業活動に同行できないのですから。管理職も自ら客先幹部にアクセスできなければ、存在価値すらありません。さて、できますか?

ユーザサイド(発注者側)を見てみましょう。対面からの情報がほぼすべての従来型の幹部は、情報量が激減します。かといってネットなどから広く情報を収集したり調べたりする習慣もなく、適切な情報源も知らない。今まで情報提供媒体に登録すら避けてきたのですから。このようなペルソナにどうアプローチするのかを、よく考えた方がいいですね。上質な情報が得られ、それをトリガーに1to1で営業窓口などからonly1の提案が得られるならば、対面の代替になりえますね。今がチャンスなのですよ。在宅で時間を持て余し、生産性が落ちているあなた。上質な情報をどうやって顧客に届けるべきか、よく考えてください。

 

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今年は土に植えてみた。今がジャストタイミングだそうだ。在宅に丁度いいチャレンジ。