「他者を通して己を図り直す」

朝ドラを観ていますか? 僕は「虎に翼」を欠かさず観ていました。終わってしまったのが残念です。少し前ですが主人公の猪爪寅子(「ともこ」と読む)判事が部下から「あなたは自分の考えがいつも正しいと思っているでしょう」とグサッと言われたシーンがありました。彼女はそのように遠慮なく言ってくれることがとても大切だ、ありがとう、というような主旨の返事をしていました。これはとても大切なシーンだと感じました。

 

「他者を通して己を図り直す」という言葉があります。宇田川教授の著書の中に出てくるのですが、調べてみました。Copilot(GPT‐4)によれば、「道教の祖である老子の思想に関連しています。老子『知人者智、自知者明』という言葉を残しており、これは『他人を知る者は智者であり、自分を知る者は賢者である』という意味です。この考え方は、他者を通じて自分を見なおすことの重要性を示しています。

この言葉の背景には、他者との関りを通じて自分自身を理解し、成長するという哲学が含まれています。老子の教えは、自己認識と他者理解のバランスを強調しています。」とのことです。

なるほど。

人は自分のことを客観視することが苦手だと思います。時々鏡を覗くように自分を見つめることはとても大切ですが、やはり自分の都合の良いフィルターで見ていたりしますね。そこで大切なのがフィードバックだと思います。以前にも書きましたので、お時間のある時にご一読いただきたいと思います。

FeedbackとFeedforwardを上手く使う - Heaven's Kitchen / 清水のブログ by Seed Master Consulting (hatenablog.com)

日本人はフィードバックを怖がる傾向が強いと感じます。ネガティブなコメントを恐れるのでしょうね。他者も気を使って寅子の部下のようにストレートにコメントしません。これは二人の関係に心理的安全性がなければなおさらです。如才なく、傷つけないように本質を突いたことを避けますね。しかし、実際は他者は客観的な鏡です。思い通りの反応を示すことは案外少なかったりします。自分の意図と違う受け止め方をしていたりします。それは、相手が悪いわけではなく、ほとんどの場合は、自分の話が通じていなかった、即ち説明が悪いのか、そもそも二人の間にバイアスが存在するのか、自分の目が曇っているのかなど様々な理由があります。少なくとも相手のコメントを聞き、相手を「この野郎、なんだその言い方は・・・」なんて感じてしまうのはまったくのお門違いです。

 

自分と向き合うのはとても難しいことですし、器量を問われる行動といえます。他者のフィードバックを恐れずそれを真摯に受け止める器を持ちたいものです。

同時に、上記の以前のブログにも書きましたが、部下にどのようなフィードバックをするのかは上司自身の育成マインドに左右されます。「暖かくも鋭い」という感じのインクルーシブさや、部下の将来に思いを馳せる気持ちが必要ですね。

難しいことですが、これも上司の修行のひとつです。愛情がなければできないことです。

鏡に写る姿は嘘をつかない @八幡平

集団的効力感を意識したリーダーシップ

「集団的効力感」僕はこの言葉を知っただけでなんだか嬉しくなりました。そこにたくさんのヒントがあるように感じたからです。

問題の本質に向き合うと、足がすくむなど、自分の力ではどうしようもできないなと思ってしまう。場合によると、気付かなかったことにしてしまうように逃げてしまうこともあるでしょう。そういう人は多いと思います。

そこで重要なのが「自己効力感」です。「自己効力感」は心理学者バンデューラが提唱したものです。簡単に言うと「上手くいきそう」と感じることです。「なんとかなる」とか「できる気がする」とかも同様です。言い換えると将来に対する自信楽観です。堅苦しい言い方をすると「個人(自分)が特定の状況や課題において、成功を収めるための能力があるとあるという信念」です。例えば、難しい資格取得の試験に挑戦するとして、「頑張れば合格できる」と思い熱心に勉強に集中する人と、「頑張っても無駄だ」と消極的な姿勢でいる人とは明らかに結果に差が出ます。「自己効力感」がいかに人生にとって重要な心理かは理解できますよね。

残念なことに実は、リンクトインの調査によると、世界22か国に対する成功への自信の調査で、日本が最下位で平均値より2割低いことが分かっています。即ち、日本人は仕事や成功に対する自信が最も少なく最も悲観的なのです。我々日本人は「自己効力感」が低いのです。

(ちなみに、過去の自信は「自己肯定感」ですね。実績が自信になる感じです。)

 

しかし、「自己」とつくように自分の中の自信なのです。場合によっては、一人だけ自信に溢れて、浮いちゃったり、組織の中で空回りしちゃったり、振り返ると誰もついてこなかったりするかもしれません。個人個人のリーダーシップにもよるのでいろいろな症状はあると思いますが・・・

 

想像してみてください。この「楽観的な自信」が組織全体に根付いていたらどうでしょうか。

それが「集団的効力感」です。

チーム全体が「集団的効力感」が高い場合どのようなメリットが出るでしょうか。これは容易に想像できると思います。例えば、

メンバー間でのコミュニケーションが活発になり、成功体験やアイデアを共有する動きが頻発するでしょう。利他心が溢れ、協働関係が深まるでしょう。自己効力感が低くなったメンバーは他者の力を借りて、前向きな姿勢に変わるでしょう。メンバー間のフィードバックも積極的になり建設的な会話が増えるでしょう。

集団の共通的な価値観が「できるはずだ」という前向きなチャレンジ志向が強いわけですから、行動は常に「やってみよう」という姿勢になるはずで、不確実な状況に対して、臆することなく英知を集めて進んでいくでしょう。

ということは、メンバーのウェルビーイング状態が深まるのです。

 

「集団的効力感」を高めるのはリーダーの役割です。常にブレーキを踏んだり、否定的なフィードバックしかしなかったり、常に指示や命令ばかりしていては、「抗力感」は下がるばかりですね。

リーダーは日常的に、前向きなフィードバックを意図的に行うこと、日々充実感を感じるフィードバック行うことなどが必要不可欠です。以前も書きましたが、結論が出なかった会議であっても、「多様な意見が出てトンネルの先に光が見えたよ、ありがとう。明日もう一度続きをやろう。必ず良い方法を見出せると思うよ」と言えば、その会議は無駄な会議ではなく良い議論ができた充実感を感じることができる会議に変わるはずです。また、指示や命令は戦時のみにし、日常は部下の意志を確認するようなコミュニケーション・壁打ちを心掛け、前向きなフィードバックをして「やってみよう」と言ってあげればよいのです。「来週結果を聞かせてね」とフォローを忘れずに。その他にもいろいろな対応があるでしょう。今までもいろいろ書きましたね。何れの場合もリーダーの手厚いコミュニケーションがポイントです。

 

常に前向きな組織で働くこと以上にやりがいを感じる職場はないでしょう。リーダーシップがキーであることは間違いないのです。

集団的効力感はリーダーシップを写す鏡
@平泉 毛越寺(もうつうじ)



ウォーキングと創造性とエンゲージメントの微妙な関係

今回のブログはウェイクアップ・リーダーズ・マガジン8/2に掲載していただいた記事を加筆して再掲したものです。このマガジンには興味深い記事が多数掲載されていますので、お時間のある時のどうぞ。リーダーズマガジン (wakeup-group.com)

 

アメリカの保険会社Compare the Market が今年「世界で最も歩きやすい都市ランキング」を発表しました。それによると1位はミュンヘン、そして驚くことに東京が6位でした。トップ10の中で唯一の非ヨーロッパ都市です。全く知りませんでしたが、東京の「ウォーキングコース数」がトップタイだったそうです。

確かに調べると、東京都保健医療局が出している「TOKYO WALKING MAP」には想像を超える数のコースが紹介されています。僕は書店で購入した“街歩き系”の本を片手に歩くことがありますが、その本に紹介されているコースはほぼ制覇していて少々飽き気味だったこともあり、これからはそのマップに従って歩こうと思います。本の方が途中のお店などが紹介されていて(多分に宣伝の要素あり)、それも楽しみの一つなのですが、さすがに公的なサイトにはその手の情報はありませんね(シンプルにコースマップが載っているだけ)。

 

昔から、ウォーキングの効果はいろいろ語られてきました。マインドフルネス効果、ダイエット効果、足腰を鍛える効果、その他心肺機能強化、骨強化、高血圧改善、動脈硬化改善、糖尿病改善、腰痛改善などなどたくさんあります。また、スロージョギングは脳の切れたシナプスをつなげる効果があると聞いたこともあり、だったらウォーキングもそうだろうと勝手に考えていたりもします。更に、朝のウォーキングは、陽を浴びることでセロトニンの活性効果を高め、その後15~16時間後にメラトニンが分泌されやすくなることから、寝つきが悪い人が寝る前15~16時間前にウォーキングすることがとても良いことが分かっています。

更に大きな効果が分かっています。Newspicksによると、スタンフォード大学の研究で、座っている場合と歩いている場合の創造性のテストをすると、後者の方が60%もスコアが高かったのです。私も実感があります。私もウォーキングを習慣にしているのですが、歩いているとアイデアが出てくる。脳に溜まっている部品が繋がってくる。そんな経験を何度もしています。しかし、問題があります。昔から、音楽を聴きながら歩いたり、歴史のPodcastを聴きながら歩いたり、最近ではAudibleで本を読みながら(聴きながら)歩いたりしているのですが、その間にもいろいろ思いついちゃうんですね。そうすると聴いている内容の方が疎かになる。小説の流れが分からなくなったりするわけです。その都度遡って聴き直したりする羽目に陥ります。更に問題なのが、思いつくのは良いとして、家に帰ると忘れてるんですね。何か思いついたという記憶はあるのですが、中身はまったく思い出せない(トホホ)。これは加齢によるものと思われますが、かなり昔から思いついては忘れるを繰り返しています。当然その都度落胆するので、メモを取るようにしているのですが、ウォーキング中に立ち止まってスマホに書き込むことになるわけで、その都度ウォーキングの清々しい感触が中断されます。それは致し方ないのですが・・・ なんだかね。

 

クリエイティビティーは僕たちの日常で最も大切な能力の一つです。これは、「思いつく能力」を指しているのではありません。実は「思いついたことを形にする能力」なのです。即ち「行動力」が伴うことが求められます。このことは私も知りませんでした。

私たちのビジネス環境は変化が激しく、「今までの延長線上に未来はない」と言っても言い過ぎではありません。従い、自らが変化し続けることが最大のサステナビリティ―向上策なわけです。即ち「企業変革」を続けることです。そうなると職場に求められるのは、何を言ってもいい環境、即ち「心理的に安全」な職場環境と、「クリエイティビティ―」なのです。

 

しかし、同時に考えなければならないのは、いくら素晴らしいアイデアが出たとしても、それを行動に移せなければ何の意味もないということです。上司がもっと調査をしろとか、ビジネスプランを練り直せだとか、ブレーキを踏みっぱなしでは試行錯誤もできませんね。そうです。「やってみよう」という前向きな姿勢と文化が上司と職場になければならないのです。これは心理的安全性」とペアで実現しなければならないテーマです。

 

皆さんの職場がそのような文化になければ、「クリエイティビティー」は出口を失ったままです。折角ウォーキングで閃いたアイデアは日の目を見ることはありません。それが続けば、社員のモチベーションは下がり、エンゲージメントも急速落下していくことは必至です。

 

「仕事」には、「作業」と「創造」の2種類があると言われます。もちろん付加価値を生むのはほぼ後者の方。即ち、作業をいかに減らして創造に時間と情熱をかけるかがポイントなわけですね。

 

さあ、あなたもデスクを離れて歩きませんか

ウォーキングに適した季節がやっと始まりました。

僕も歩くぞ~(^^♪

ウォーキングを休んでいた酷暑期間に増えた体重を減らすためには、
ウォーキングの再開と共に行う食事制限に尽きるでしょう。
と思うと、「レディースランチ」を食すという安直な行動に出てしまう僕。
浅はかです。
@川崎国際生田緑地ゴルフ場



老境や老衰はひたひたとやってくる

70歳になりました。60歳の時は何も感じませんでしたが、「70」という数字は何というか「ついに来たか」という人生終盤のスタート感を意識せざるを得ない空気が漂っているようです。それは、私の父が70歳で亡くなったことと無関係ではないのでしょう。とはいえ、それは“実感”としてはほぼないのです。

 

人生に「質」が存在するなら、「少しずつ上質になっていく」そんな人生を送りたいと思って生きてきました。人生は決して量で語らず質を問いたい。そんな心境です。

 

「老境(ろうきょう)」という言葉があります。「老人の境地」という意味です。70歳と言えば十分老人です。昭和以前であれば「まあご長命でいらっしゃること」なんて言われたものです。ちょっとオーバーかしら(笑) でもそんなもんです。

私もその歳です。でも、まだ電車で席を譲られたことはありません。座ろうと腰を下ろしかけたときに年の頃なら二十歳くらいの女性に超速でするっと座られてしまい、危うく彼女の膝の上に腰掛けるところだったことはありますが・・・(笑) 彼女は速攻スマホゲームを始めていました。よっぽどやりたかったんでしょうね。その時はちょっと嘆かわしかったし、悲しかった。彼女にとって私はライバルだったのでしょうか。老境を感じる暇は与えられそうもありません(笑)。

 

そう、私はそんな境地にはなってはいません。しかし、誰しもそうなように「老衰」は進んでいます。それは当たり前です。科学的・医学的に老衰は進んでいるのです。それは多くのシニアも同様でしょう。脳が計算するよりほんの1cm足が高く上げられず、階段で躓いたり、女子高生の弾むような徒歩のスピードについていけなかったり・・・ 残念な日常は確実に増えていきます。

そろそろ、北米では寿命はお金で買えるようになりつつあります。120歳や130歳位まではお金で買えるように早晩なるでしょう。それって幸せですか? 難病によって若くしてお亡くなりになることはあまりに残念ですし、それを治す医学は更に進んで欲しいと願っていますが、僕個人は寿命は80歳で十分だと感じます。実は10年くらい前までは70歳で十分だと思っていたんですから、80歳と言うのも怪しいものですが・・・。その時になったら90歳と言うかもしれません(笑)

言えることは、私は長寿は美徳だとは思っていないことです。そこそこ老衰が進みQOLが下がったら、スイッチをオフにできるといいと心から思うのです。人間は欲深いものです。老衰は欲も奪うはずなのに、なぜもう十分だと思わないのかしら。僕はいつそう思うのだろうか。

 

そんな「古希」です。

いやいや、本来は「数え」でいうはずですから、既に去年「古希」だったのに気付きました。古い習慣は数えで決められていたのは知っていたはずなのに忘れてた。

これも老衰かしら。

光がさす方向に進む

 

第三の自分

サードプレイスという言葉をご存じだと思います。スタバのメッセージにも使われていましたね。私も初めて知ったのはそれでした。スタバの意味するところは、「自宅でも職場でもない、第三のリラックスできる場所」というものでした。いい感じですよね。特に、第一、第二で悩みを解決できないなどの人にとっては、第三の場所がとても貴重に感じられるはずです。それを提供したいというスタバのメッセージは素敵です。

 

人生を考えるとどうでしょうか。リンダ・グラットンが書いた「LIFE SHIFT」を読んだ方はご存じだと思いますが、人生100年時代を従来の固定観念に縛られたステップ、即ち 就学⇒就業⇒引退 を、おおよそ20年⇒40年⇒20年で送っていくという考えは、もはや過去のものです。そもそも80年で人生は終わらない。そこで、就学・就業を繰り返すもよし、その各々をもっと長期間にするのもよし、それらをもっと刻んで別のステージとして新しい経験をするのもよし。即ち3つのステージに縛られずに新しい人生設計を考えなければ、寂しい引退、言い換えると老後を送ってしまうのではないかと頭をよぎるわけです。多くの人が頷いているのではないでしょうか。

 

ところで、日本における典型的な就業期間40年は会社員生活でしょう。それも多くの方が就業でなくて、就社即ち新卒の時に入った会社と共に40年を過ごすという姿でしょう。そしてその満了時に、はて、これからどうしようとなるわけです。大分以前に、読んだ新聞の記事のことを書きましたが、自分の経験を活かして個人事業主として起業し、いろいろなフォーラム等に参加し、名刺交換し人脈を切り拓き仕事を得られるという甘い夢を見て、挫折する人が多いらしいですね。残念ながら確かに幻想でしょう。

 

敬老の日に合わせて配信のあった著述家楠木親さんの記事に目が留まりました。彼は、定年前後の500人にインタビューをして、いろいろなことに気付いたそうです。例えば、老後に一番壁にぶつかりがちなのは「上昇志向型」タイプの人。会社員として「役職に就くことや組織の中で存在を確認する(承認欲求が強い)ことを生きがいとする」タイプだそうです。何となく想像がつきますよね。会社という小さな社会に埋没しがちなタイプなわけですね。もちろん、転職という形で別の会社で同様の欲求を満たすことが実現できればよいのでしょうが、例えば個人事業主として起業するのは、相当価値観を変える必要がありそうですね。

そうです。どうやって今までの自分と違う「もう一人の自分を見出すか」が大きな課題となりそうです。今までの仕事の内容という頸木から解き放たれて、新しい自分を創造できるかがポイントになるのです。

会社で仲間や顧客に囲まれて仕事をする自分。会社を出て家族や友人とのコミュニケーションの中で仕事とは全く違う日常を楽しむ自分。そして、就業を終えて新しい経験を楽しむ「もう一人の自分」即ち第三の自分を、どうやって確立するかが「LIFE SHIFT」の大きなテーマになりそうです。

楠木さんも指摘していますが、会社の仕事に没頭する自分を客観視する姿勢が大切だと感じますね。自分は本当は「どう在りたいのか」「何を楽しみたいのか」などに第三者のように向き合うことですね。難しいかもしれませんが、トライしてみるべきです。

 

その答えが少しでも見えたなら、それに向かって自分を奮い立たせることができるかどうかが次のステップです。それにチャレンジするためには爪を磨く必要があるのか、資格が必要なのか、勉強すればいいのかなどです。時間を要することであれば、計画的に行わなければなりませんね。もしかすると、資格を取ろうとチャレンジしたものの、やっぱり自分には向かないなと気付くかもしれません。そして、特に個人事業主としての収入を当てにするのであれば、どうやって顧客を獲得するのかの道を見つけなければなりません。資格ととったからといって仕事を獲得できるわけではありません。ホームページを作ったからといって仕事が舞い込むわけではありません。どういう手段、どういうルート・人脈で仕事を獲得するのかは、起業する前に見通しを付けておく必要があります。必要不可欠なのは人脈と人たらし力ではないでしょうか。自分という人格やパーソナリティーを理解してくれている人がどれだけいるか、更にその人たちに自分がやろうとしていることを話し賛同し利用したいと思ってくれる人がどれだけいるのか、また、新たに紹介してくれた人たちなどに気さくにアプローチする人懐こい行動力が発揮できるのか、などが必要ですね。

これは、第三の自分探しでもあるかもしれません。苦手だと思っていても行動することです。行動することで新しい道が開かれます。新しい自分と出会えるかもしれません。第三の自分には行動なくしては出会えないのです。

 

そうしてサードプレイスを見つけて新しい人生を歩み始めるのです。心地よいサードプレイスを。

私はコーチングやメンタリングなど人と関わる仕事を始めて、コーチ仲間との協働の場というサードプレイスを見つけました。同時に、クライアントと話すことがこの上なく心地よいのです。サーブを打ち壁打ちを続けることで、クライアントが変革にチャレンジしていくことに協力できている第三の自分を自覚することは生き甲斐でもあるのです。

しかし、それもいつかは卒業するでしょう。そう遠くない未来に向けて少しずつ第四の自分に変態していくのかもしれません。第四の自分は棺桶の中なのかもしれませんが(笑)

空が秋らしくなってきた。

 

women and low T men なんだそれ!

誤解を恐れず書いてみたいと思います。

男性性、女性性の話を以前に書きました。主旨としては強すぎる男性性は今の組織にマイナスの影響を与えると考える、というものでした。

最近のアメリカ大統領選挙の流れを見ていると、あることに気付きました。その気づきを与えてくれたのがNP(NEWSPICKS)のNY支局長の話でした。イーロンマスク氏がトランプ支持に回ったことは知られていますが、最近彼がXに投稿をしました。これは、2021年に右派的なアカウントが投稿した内容のリポストなのですが、その内容の主旨は、「女性とテストステロン値が低い男性は‥‥」批判的思考や意思決定ができないというような見下すような内容なのです。

この際に使われた単語が「women and low T men」でした。T は“testsreron”即ち男性ホルモンの略です。この発想は、テストステロンが強い男性がリーダーに相応しい、強い男というリーダー像を礼賛(らいさん)することを意味していると感じますし、これは正にトランプの目指している姿そのものだと推測できますね。

LGBTQ支持者はなよなよしている的な発言をする人たちに通底する価値観だと感じます。

マスク氏のこのXは凄く批判されているようですが、彼の恐ろしさそのものもでもあるような気がします。もちろん、跳びぬけた能力や強引な意思決定が、彼のビジネスを成功に導いてきた事実は認めています。

更に、バンス副大統領候補も、相当下品で他者を見下した表現を好み、ゲス野郎で、キモイという表現が適切なほどひどい言動が多い。トランプ氏、バンス氏、マスク氏とも多くの日本人には全く理解できないだろう。

 

今の私の頭の中にある構図を言語化してみると、

共和党支持者 VS. 民主党支持者 

≒ 強さ VS. 優しさ 

≒ 男性性むき出し VS.  女性性を大切にする 

≒ 驕慢 VS. 包摂

となります。もちろん個人的な妄想ですが、このように感じてしまったのは私だけでしょうか。

 

これからどうなっちゃうんだろう。そんな候補が当選するアメリカであってほしくないと、心から思う。

もしかすると、バンス氏、マスク氏ともトランプ氏の足を引っ張るための密使だったりして‥‥冗談です。

カラフルなのがいいな。



 

笑みが溢れている ~ダイバーシティーと求心力~

創造力(クリエイティブティーのあるユニークな考えを持った子供を、教師は問題児として扱う。これは教育現場で起こりがちなことです。子供は敏感ですから、それに気付いたら、次第に望まれるものは何なのかを考えて答えるようになります。こうしてオリジナリティは封印されていきます。

このようなことを、アダム・グラントが「オリジナル」で指摘しています。

 

考えてみてください。このように枠にはめられた子供が「良い子」として育っていくのです。これって、企業も同じじゃないですか。そもそも大企業はそうした「良い子」しか採用しないし、入社した後は、支配型ヒエラルキーのリーダーが枠にはめようとします。仮に問題児が採用試験をすり抜けて入社しても、リーダーによって徹底的に枠にはめようとされてしまいます。そして、もし枠にはまらない人がいたら、排斥されるのです。

HRはそれを理解して採用しているだろうか。各部門のリーダーは新人の育成プロセスで枠にはめようとしてはいまいか。「良い子」に埋め尽くされた企業なんてこれから成長できるとは思えません。

 

アイデンティティー、哲学や持論が個性的な人はとても素敵だ。自分を理解しようともがいている。人生とは何か、在りたい生き様とは何なのかを考えている。どこか尖っている。同時に、どこか安らかだ。何に時間を使いたいかがはっきりしている。そして、必ずどこか自信に満ちている。爽やかな顔をして鋭いことを言う。そんな人がたくさんいる会社の将来は希望に溢れている

僕はそんな気がする。

 

ダイバーシティー(多様性)とは、そのような属性(人種、性別、年齢、経験など)だけでない価値観や考え方や個性などを受け止めることです。しかし、そのような個性あふれる人たちの集団は、時にバラバラになりがち、即ち遠心力が働きます。リーダーはそれが嫌なので枠にはめようとする。それが行き過ぎるといわゆるムラ社会を作ってしまいます。金太郎飴の完成です。

遠心力が嫌なので枠にはめるという行動は絶対に間違っています求心力組織のパーパスやビジョンなどのカルチャーの腹落ちで生み出すのです。それがリーダーの務めなのです。それができない人に現代のリーダーは務まりません。

 

様々な制約から解放してあげたい。一人ひとりが自分らしく仕事をしている。希望を感じて毎日笑みを浮かべてる。

そんな職場を作りましょうね。それが新しいリーダーの務めです。

光がさす。向かうべき方向に気付く。
希望を感じる瞬間。