「リベラルアーツ(教養教育)」の重要性が叫ばれて久しい。一般的には、哲学、歴史学、社会学、芸術、文学を指す。なぜリベラルアーツが大切なのだろうか。
例えば、哲学を考えると、倫理や存在自体に対して深い問いを立てることによって、正しい行動を選択するための考える力を養うことができるだろう。歴史を学ぶことによって、現代の社会が抱える問題点をより深く考え理解することができるだろう。人間の愚かさ醜さに向き合うことによって、より深く社会問題を捉えることができるだろう。
正解のないことに向き合い、考えること、議論することで社会は成熟し、人々は共生していくことができるだろう。また、問題を多角的に見る力を養い、複雑な問題に柔軟に向き合うことができるようになるだろう。多様で幅広い知識を得ることによって、想像力や仮説を立てる力を高めることもできるだろう。それにより、クリエイティビティ―も高まるだろう。社会の問題を捉える力を養い、問題の本質を理解することができるだろう。それにより、問題解決のオーナーシップは高まっていくだろう。
教養とは何なのだろうか。社会で共生していくための能力や価値観、倫理観を養い、利他心や愛情を育み、人格を形成していく。言い換えると、「人を育てていく」ことに他ならないのではないだろうか。
さて、そのように最も大切とも言っていい向き合い方を「リベラルアーツ」という言葉に凝縮されているようにも感じる。それは学校教育だけをテーマにしてよいとはとても思えない。
そう、大切な視点が家庭内の教育だろう。親として子供に何を伝えていくべきなのかだ。日常の会話に人としての価値観、倫理観などに関わる大切なコミュニケーションを意図的に行っているだろうか。是非考えてほしい。
もう一つ問題提起してみたい。それは企業内の人材育成だ。とかく、企業の存在意義は「金儲け」と考えがちだ。もちろん、利益があるからできることが存在意義のベースとなっているが、CSV(共有価値の創造:社会問題の解決と企業の利益を両立させる)を実現することが存在意義だと正論を言ったところで、企業に集う人材がどうあるべきなのかにフォーカスは当たらない。
企業の人材育成は、スキルにフォーカスを当ててきた。儲けることに必要なスキルに。上司は部下の研修受講に目を光らせ、プロに育つことを促してきた。もちろん、それは大切なアプローチである。しかし、上司は部下を「人として育て」ているのだろうか。そもそもリベラルアーツレベルの低い上司にはそれができないのかもしれない。しかし、それではまるで人格のない人が昇格したのかという情けない問題にぶつかる。もちろんそれ自体大きな問題だろう。しかし、それをテーマにするつもりはない。
人は何歳になろうが、またどんな立場になろうが、「学び続ける」ことが大切だ。それは「人格を磨き続ける」ことを意味し、それにより人格形成の連鎖を起こす。上司と部下との間のコミュニケーションにその要素を込める努力をしてほしい。部下の軽率な行動を事柄として改善を指示するのではなく、価値観や倫理観など、社会の中で尊敬されるべき人材になって欲しいという愛情深い問いかけをして欲しいものだ。
生成AIが企業活動に深く浸透していく。そんな時代だからこそ、「人を育てる」価値観を企業の中にビルトインしていくことが益々重要になっていくだろう。

騎士道しかり、剣道、茶道、華道なども技術や精神の鍛練を通じて
自己を高めることを目指しているのでしょうね。@角館