ハイレベルって何?

以前に「ハイレベル」とは何? という話を書きました。大局的に考えるとか、抽象度を高めて考えるとか、理念やビジョンを設定できるとか、将来を洞察できるなど、コンセプチュアルなビジネススキルを想像するかもしれません。もちろん置かれた状況や個人個人によってそれは違い、正解などないのですが、今、ハイレベルに考えているのかどうかを自分に問いかけ続けることはとても重要だと思っています。

ハイレベルとは何か?それを考えるプロセスを想像してみました。自分と向き合って自省して、「これでいいのか」と自分に問いかけて、視座を上げる努力をする一種の修行の中で、そのプロセスとは何だったのかと振り返ると、見えてくるものがあるのではないかと感じました。それは何なのでしょうか。

私は、もちろんその域には達していませんが、恐らく、「自分とは何者なのか?」という問いの答え、即ち一種のアイデンティティー」即ち「生き様」とも言える哲学的な何かなのではないでしょうか。

自分のレベルを上げる。それも傲慢でなく、社会やチームのニーズや成長に資するものでなければ自分の生き様として価値はない、と思うアイデンティティー。その目標に向けて的確に自分のエネルギーとモチベーションをターゲティングしてフォーカスしていく。もっともっと「広く見て、深く見て、先を見て」エネルギーを解き放っていく。そんなイメージを持ちました。

利己的でなく利他的、主観的ではなく客観的、決して道を外れることなく、感度を上げて考える、そんなプロセスをイメージするのです。

何だか分かったような分からない話ですね。ひとりひとり感じるものは違うでしょうね。私の妄想、戯言だと思ってください。

「ハイレベルって何?」 「今私はハイレベルな視座で考えているのか?」という修行はきっと僕らに何かを気付かせてくれるのではないでしょうか。

 

決して誤解してほしくないのは、ハイレベルを追求することと、事実と向き合い続けることは両立しなければならないということです。ハイレベルを追及しようとするあまり、現場を離れ思考に耽るなどということは全く的外れな行動なのです。常に顧客・市場と向き合い、現場と対話し、事実に触れ、常に直観が働くようにアンテナの感度を磨き続けなければならないのです。情報や学びは多ければ多いほど良いのです。ただし、溺れない体力と泳ぎ方(選別・解釈能力)は習得しなければなりません。これは一種の訓練かもしれません。そして、抽象化し、メタ認知し、俯瞰的に捉えて、「広く見て、深く見て、先を見て」いくのだと感じます。

狭い窓から見る景色が外界のすべてではありませんね。
それがいかに美しくても醜くても、それに惑わされてはなりません。
@鎌倉