成熟とは

夏の終わりの酷暑。じりじりと焼けるような日差し、吹き出す汗。無くなれば無くなったで淋しいものだ。今日は器の話。

 

情報過多、何を信じてよいか分からない、間違った情報も多い。メディアの質も酷く落ちた。変化は激しく、あっという間に多くのものが陳腐に感じる。そう、僕たちは急流の中を流れる木の葉のように、身を任せるしかないような気持になる。

そんな時代に大切なものは何なのだろうか。自分に軸を持つこと。それは美意識だったり倫理観だったり、真実を見抜く力だったり、審美眼だったり、価値観であったりするのではないだろうか。譲れない何か。そんな感覚を持っていないと、流れに翻弄されるだけになってしまう。

 

しかし、同時に思う。それがバイアスになりはしまいか。これはこうあるべき・・・などという頑固な決めつけが視野を狭めてしまわないか。大いにあり得る。他人の価値観に寛容で、理解し、共感したら取り入れる。インクルーシブと言ってもいい。そのような器の大きさが「成熟」ではあるまいか。「成長」ではあるまいか。

 

価値観は変わっていくもの。経験や学びによって変わっていく。それは肯定的に受け止めるべきだろう。それが成熟なのだから。

 

何を言っているのだ? いい歳をしてw

そう、そんなお年頃なのだ。

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そう、こんな感じかなw