The Marshall Tucker Band と 民主主義

早く起きた朝、The Marshall Tucker Bandをデスクで聴きながらこれを書き始めた。DACをPCとスピーカーの間に付けたばかりで、音の粒立ちが上がり心地いい。このバンドの曲を聴くと、タイムマシンに乗ったようにとても懐かしい。10代から20代、サザンロックばかり聴いていたころを少し思い出した。たまたまamazon music HDのリコメンドに従い、The Allman Brothers Bandを聴いたらスイッチが入ってしまい、最近サザンロックを聴いている。昔の音楽を聴くと「古!!」と感じることが多く、すぐ変えてしまうのが“あるある”だが、バンドとしての緊張感と共にちょっとほのぼのとした空気を感じられるサザンロックは、実に心地いい。ちなみに、僕が高校の時ロックを聴き始めたきっかけが、The Allman Brothers Bandの「Eat A Peach」というアルバム。初めて買ったLPだったような記憶がある。興味がある人は是非聞いてみてください。彼らがいかに天才かがすぐ分かる。今聴いても古さは全く感じないよ。

 

最近民主主義の姿が問われていますね。ロシア、ベラルーシ、中国などは完全に専制国家ですね。自分の任期を法律を変えて延ばしてまで、独断で支配する構造を維持しています。いわば独裁国家だと思っていましたが、実は言葉の意味は全然違いました。専制政治は国民が選んだ支配者ではない場合。典型的なのが王族が支配しているケースです。今でも中東などにありますね。独裁政治は、国民が選んだ支配者が好き放題に支配するケースですね。目的は体制の維持そのものになってしまう。多くの国は体裁としては選挙の形をとりますが、一党支配になれば好き放題です。選挙結果ですら捻じ曲げてしまう。

このような独裁的な政治は、実は小気味よくスピーディーな面を持っていますね。何しろ、支配者がこうすると言えば即日実行できるのですから。これが混沌とした社会環境の中で、突然スーパースターが現れて猛烈なスピードで改革をする場合などは、国民の支持を得られ輝かしい支配者像が出来上がりますが、その体制を維持したいがために、反対する意見を封じ込め、警察や軍の力をもってねじ伏せようとしたり、場合によっては暗殺までしてしまうようになったら、国民はもとより国際社会が黙っていません。しかし、先に書いた国々はやりたい放題です。軍によるクーデターを起こしたミャンマーも形態は違えど似たような状況です。民主化への移行などと言い始めていますが、結局は自分の利益の維持は譲らないでしょうね。

企業の中やマンションの管理組合などをちょっと想像してみましょう。何事も民主的に決めようと思いますよね。しかし、参加している人たちは参加すること自体が面倒で、「もう適当に決めてよ~」などと思ってしまいます。リーダーがその空気を感じて「私に任せてください」と言い出せば、皆ラッキーとばかりに賛成しますよね。独裁はそんなところか始まると言っても過言ではありませんよね。そのリーダーが図に乗って、どんどん暴走する。皆もとても楽で任せっきり。気が付いた時には様々な権限がそのリーダーの手の中に・・・場合によっては、大規模修繕の業者選定でキックバックを得ているかもしれませよ。

そう、独裁は麻薬です。中毒から逃れるのは簡単なことではありません。一方で民主主義はどうでしょう。いちいち面倒で、参加者に当事者意識がなければ何も決まらないし、議論はいつも迷走します。自分に火の粉がかからないように逃げてばかりの集団は、強いリーダーを求めるものです。

民主主義は、面倒なんです。今回のコロナ禍の政府の対応に対して、もっと強引にロックダウンをすればよいと考える人もたくさんいたでしょう。それは法律でできません。しかし、それを求める一部の国民。その意見を勝手にくみ取り法律を強引に捻じ曲げてロックダウンをすることと、自衛隊を軍に変えいつでも戦争に参加できるようにするのとは、同じ線上にあります。

いかに面倒でも、自分の国のこと、街のこと・・・は当事者としてちゃんと考え意見を言うこと、即ち国民一人一人が自分事としてとらえて、政治に参加することが唯一の解だと思います。どんなに面倒でもです。

それにしても、今の政治は少々傲慢な対応が目立ちます。自民党は図に乗ってますね。知らないとしらを切り続ければ乗り切れると高をくくっています。真相が分からないことばかりです。官僚も気骨がない。安倍政権からその傾向が強くなりました。国民を愚弄していると言ってもいいでしょう。反省してもらいたいものです。自民党内でもそういう意見がもっと出るべきです。言い換えれば自民党内、自民党政権下の霞が関(官僚も含め)の民主主義を機能させてもらいたいものです。真相を追及したり反対したら干される、というような文化はきれいさっぱり抹消してもらいたいものですね。秋の総裁選。新しい流れができることを期待したい。そういえば、総裁選には国民の意見は反映できませんね(自民党員だけ)残念です(涙)

「サピエンス全史」を書いたユヴァル・ノア・ハラリ氏もテレビで同様のことを言っていた。「世界は捉えがたくなり、未来は見通せない。不確かで危うい時代」そして、民主主義時代でも危ういポピュリズムが横行する世界。僕らにできることは、「心の中の悪魔」と闘うことですね。協力、連帯、利他、倫理・・・ですね。

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生き生きしてる