傲慢の先 闇の先

他人のことはよく気付くのに、自分のことは気付かない。これは人間の本性ではあるまいか。相手のミスはよく気付くのに、自分のミスは気付かない。相手の傲慢さには腹が立つけれど、自分もそうだとは全く思っていない。相手の偏見には苦虫を噛み潰すが、自分も偏見だとは思ってもいない。失敗したのは部下のせい、成功した時は自分のお陰というのに少し似てる。悪いのは相手で私じゃない。このように偏った見方をする人は実に多い。

その逆に、すべて自分のせいだと思い悩む人もいる。真面目過ぎると言えばそれまで。しかし、本人はいたって真剣。真剣を通り越して、悩む様子は深刻だ。私はいつもこう思う。「真剣にはやるさ。でも決して深刻になる必要はない。」と。

話を戻そう。常に相手のせいにしてしまう人に何を伝えればいいのだろうか。何を気付かせればいいのだろうか。私はよく「鏡を持って自分と向かい合ってほしい」と話す。でも、恐らくそう言っても分かってくれないだろう。逃げている人は、永遠に事実に向かい合えないのだろうか。常に都合の良いフィルターを通して見ている。顧客の信頼を失い、部下から総スカンを食い、上司の叱責に背を向け、友人や家族から見放されても気付かないのだろうか。すべてを失ったときにはじめて気付くのだろうか。

自分は実にちっぽけな存在だ。どんなに経験を積もうが、齢を重ねようが、社会的地位を獲得しようが、所詮ちっぽけな存在だ。自分一人では何もできない。社会の一員であるという関係なしに存在できないのに。生きていくことすらままならないのに。あなたがいるから生きていける。仲間がいるから希望が持てる。共感できるから喜びがある。だから未来がある。

クライアントの悩みを聞き、私自身も闇の中を一緒に歩いた気分になった。

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秋は短い。晴れた日は思い切り楽しみたい。