ニキ・ラウダと私たちの人生

 
早く起きた今朝。近所をウォーキングする。快晴の太陽が眩しい。今日も暑くなりそうだ。今日はテレワーク。これを書いてから仕事しよう。

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実に気持ちがよい
ニキ・ラウダが先日亡くなった。伝説のF1ドライバーである。70歳。思えば私の父も妻の父も70歳で亡くなった。偶然にも知人の親戚が70歳で亡くなったと聞いた日のニュースだった。
 
私にとっての70歳はあとたった5年数ヶ月。昔から私は70歳くらいで死ぬのが良いなと何となく思ってきたし、周りにも言ってきた。人生100年時代と言われる現在、確率的には90歳以上まで生きてしまうのだろうが、長く生きたいとは思えないのだ。健康なうちに死にたいと本気で思う。生きる権利があるなら死ぬ権利もあるはず。ちなみに安楽死容認派である。父も母も尊厳死協会に入っていた。延命措置はせずに亡くなった。無理矢理生かして欲しくはない想いは私も同じだ。
 
やりたいことがあるうちは楽しく健康で生きたいものだ。元気なうちにリストの残りをやり尽くそう。それが終われば何も思い残すことはない。生きることに執着はない。
私たちの人生は川の流れのようだ。現在から未来へ流れる川。それは永遠に途切れない。唯一途切れるとき、それが死だ。その間私たちは成長し続ける。100歳になっても成長し続ける。“ここは転びやすいから注意しよう”なんて学び続けるのだw。人生にゴールなんてない。あるのはプロセスだけ。
 
人生は新しいコトやモノを発見する旅だ。この旅には目的地はない。今ある自分がなにかを発見し、なにかを試したくなる。そしてその時点で最善の判断を下しその道を歩き始める。そんなことをしているうちに、何となくなりたい自分に少し近づく。そしてまた今ある自分がなにかを発見するという具合に、永遠に「ある」→「する」→「なる」→「ある」・・・・・・というループを繰り返すのだ。このゲームには勝者も敗者も存在しない。ルールはいつでも好きなように変えられる無限に続くゲームなのだ。(「ライフデザイン」を参考に改変)
 
人生に“目をつぶっていてもできる”、なんていう手慣れたことなんてほとんどない。毎日が試行だ。そんな毎日だから、そりゃ失敗もする、くじけもする、悲しくもなる、“考えてもいなかったよ”なんてことも起きる。そのすべてを丸呑みするんだ。さっきのサイクルをもう1回転追加でするだけのことだ。失敗を楽しもう。成功と同じくらい失敗から学べることはある。失敗が自分の価値を決めるわけではない。失敗は貴重なデータを残してくれる。そこから学んだものを追加の学習データにすればよいこと。スキルも行動力も精神力も更に強くなっているはずだ。いいね、人生って。
 
先日10数歳年下のシンクタンクに勤めるコンサルタントと二人で飲んだ。もう7,8年の付き合いであろうか。例の時間無制限飲み放題の店で6時から閉店までずっと語り合った。見つめるのは二人の未来。一緒に連携できたらいいねと。未来は勝手に描けばいい。本気でジャンプすることを夢見て。
 

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どこを見てるのかな??