不作為の過誤 その2

前回の続きを書きます。まだお読みでない方は是非読んでから本編をお読みください。

 

いわゆる新規事業、即ち既存事業とは全く異なる製品やサービスを開発したり、開発するのではなくスタートアップを買収することによって、その分野に進出することを考えている企業について考えます。この論文(前回)ではこう述べています。「このようなリスクを伴う動きは、大きな可能性を秘めている。とはいえ、従来の企業体制では却下されることが多い。なぜなら、さまざまな部門の責任者やステークホルダーの間で容易に合意形成することはできず、承認を得られないからだ。」「この状況はまさしく、企業が何者をも恐れず取り組まなければならない場面だ。あるいはランペルの言葉を借りるなら、『合意よりも確信を優先すべき』場面である。」

前回も書きましたが、アメリカでもそうなのですから、日本では言うに及ばず前回書いた通り、不確実性を前にしてステイしてしまう典型的なシーンだと思います。

 

ここで、VCの実例を取り上げます。「著名なVCのファウンダーズ・ファンドでは、少額投資なら7人のパートナーのうちだれか一人が有望だと認めれば、まさにアーリーステージ(最小の体制で開発初期にあり、まだ売上がほぼない時期)にあり、それゆえに最も不確実性が高い時に行われる投資先候補への投資であっても自由に行える。しかし、投資額が大きくなると、承認に必要なパートナーの数も増えていく。それでも、いかなる場合であろうと、全員の合意は必要ない。最大規模の投資でも、7人中5人が賛同すれば投資に踏み切ることができる。」

これには、多くの皆さんが首を傾げるかもしれない。VCというものは何よりもスピードを重視する点、リスクテイクなき成長なしという価値観が当たり前だからだと思います。しかし、我々の存在しているマーケットも同様だと考えてほしい。漸進的(確実性が高く、急激な変化がなく少しずつ確実に成長していくこと)な事業で全社の未来が約束されているならいいが、そんな企業は存在しないだろう。BCG(ボストン・コンサルティング・グループ)のPPM分析(プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント)のことはみなさんご存じだと思いますが、「金の成る木」も皆「負け犬」に変遷していく。時間の問題なのです。常に新しい事業ポートフォリオを創り出していかなければ企業は生存できないのです。

 

前回VCの一種の逆張りのアイデアの話を書きました。それを重要視するのは、誰でも思いつくアイデアに価値はないからで、逆張りが桁外れのリターンをもたらすからにほかなりません。つまり、「時として、型破りなアイデアが秘める可能性を理解できるのは、その場でただ一人ということもありうる。そのため、VCはその人物の意見を聞かなければならないと認識している。だからこそVCは、その場にいる誰もが意見や懸念、対立する見方を表明できる環境づくりに心を砕く。成功しているVCで、個人の声が集団にかき消されることはない。」「とはいえ、この基本原則を声高に主張するだけでは十分でない。具体的な仕組みやプロセスが必要になる。それがなければ、集団はすぐに単一のアイデアに収れんする傾向があるからだ。しかも、自分たちがそうなっていると気付かないことが多い。よく知られているこの現象は、特に大企業に蔓延している。」いかがですか? 皆さんの会社もそうではないでしょうか。多くの方は耳が痛いと感じていらっしゃることでしょう。これは新規事業の場合だけではないですよ。あらゆる議論がそうなっているのではないでしょうか。このような企業カルチャーを変えられるのはリーダーだけです

 

こういう現象もよくあります。それは「グループシンク(集団浅慮)」です。これも以前に書いたと思います。これは、集団で合意形成することによって、個人で考えたアイデアよりも質が悪い結論を出してしまうことです。例えば、ボスやうるさ型が言ったことに盲目的に賛同し考えることを止めてしまったり、グループの中に専門家と思われている(or本人が主張している)人がいると、同様なことになってしまうのです。この論文でも「特にシニアメンバーや、その分野に精通していると思しき人物の意見に影響を受けると、意思決定が性急になされていた。」と。 このような集団浅慮の危険性は多くの人が指摘してきました。「しかし、集団浅慮の克服は難しく、ほとんどの組織がその問題を解決できていない。VCはこの落とし穴を避けるため、3つの戦術を駆使している。」といいます。

これがなかなか素晴らしい。というのは、それほど難しくないからです。是非皆さんも真似てください。まずは、「チームの規模を少人数に留める」ことだ。パートナーシップ型VCの多くは、パートナーが3~5人しかいない。ジュニアメンバーが参加する場合も、議論は打ち解けた雰囲気で肩ひじ張らずに行われる。」VCではないが「アマゾン・ドットコムでは、出席者が10人を超える会議はめったにない。」という。これには明らかな理由がある。「少人数でのコミュニケーションは迅速かつ明快で、責任の所在も明らかだ。そのような環境は意思決定を合理化するだけでなく、革新的な成果を上げるために欠かせない多様な意見に耳を傾け、考慮することにもなる。」 ごもっとも!

二つ目が、「事前に意見を求める」だ。「多くのVCは会議の前に、投資機会に対する意見表明をチームメンバーに求める。出席者は(中略)事前に説明を読み個別に意見を提出し、それから他のメンバーの意見を聞くことになる。」 この効果は明らかだろう。参加者のオーナーシップを高め、事前に提出することによって多様な意見をテーブルに乗せて、集団浅慮に陥りにくくさせているのです。日本の会議にはオーナーシップを感じない参加者がいかに多いことか。皆さんもそう感じるでしょ。

そして、三つ目が「まず若手に発言させる」だ。これは想像がつきやすいでしょう。「最初に若手の従業員から発言させることで、硬直化した権力構造の打破に繋がる場合もある。人はその場で最上位の人物にすぐ注目し、その意見に従う傾向がある(上記集団浅慮)。そのため、経営幹部は口を閉ざし、他のメンバーに発言させるのが最善の手法となる。取締役会であれ、VCの会議であれ、大統領執務室であれ、それは変わらない。」

 

なんと素晴らしい指摘でしょうか。これらは、会議の内容を問わず、日々行われる会議の席で有効な手段でしょう。そして、皆さんも今日からでもできることですね。

 

皆さんの所属する日本企業の会議の景色は、どのようなものだろうか。どのような合意形成をしているのだろうか。上記のような自由な意見交換ができているだろうか。侃々諤々な議論がされているだろうか。もしかすると、全会一致の暗黙の原則があったりするのかもしれない。しかし、不確実な世界で闘っている世界で、多様な人材が同じ判断をするケースはそうはないのが普通ではないだろうか。「IPO(新規株式公開)比率が高い(成功パターン)VCはたいてい、意思決定において全会一致のルールを敷いていないことがわかった。全会一致を求めるVCは往々にして、IPO比率が低かった。未知数の要因が多く、不確実性の高い状況では、業績が悪化する傾向が強かった。」「VCとは異なり、企業は合意形成を求めがちだ。気の遠くなるほど長い意思決定プロセスについて報じる記事は後を絶たない。」

意見は不一致が普通なのです。日本企業の多くの参加者は黙っているだけです。多様な意見を戦わせたうえでリーダーが結論を引き取ればいい。リーダーとはその責任を負うべき人なのだから

 

皆さんはどう感じただろうか。VCの特徴を考察すると、特に日本企業は学ぶべきことが多かったのではないだろうか。

 

最後に一つ付け足しておきたいと思います。これも以前に書いたと思います。アマゾンの2ウェイドアの話です。ドアをイメージしてください。普通は押すか引くかですね。西部劇に出てくるガンマンが出入りするバーのドアは、押して入るけれど、入っている人も押して出てくるでしょう。即ち出入り自由の2ウェイドアですね。アマゾンでは意思決定の場でこれを実践しているのです。新しい取り組みをやるかやらないかの議論を想像してみてください。日本では野中名誉教授が指摘する3つのオーバーが繰り広げられ、あーじゃないこーじゃないと差し戻されるわけですが、アマゾンでは「やってみよう」「ダメそうだったら止めればいいから」と速攻でゴーが出るのです。日本では始めたら止められないとでも言うのか、慎重を期してやりすぎの議論を繰り広げなかなかスタートしない。それと大違いでしょう。不確実な世界では試してみなければ分からない、が正解なのに、試すことも躊躇している。それでは勝てるはずもありませんね。

そして、その案件を担当している人はやってられません。自社がスタートするときには既に他社が始めていたり、マーケットは変化してしまっていたり、新しいテクノロジーが出ていたり… 2ウェイドアを実践するのと3つのオーバー企業とでは、働く人はどちらが幸せでしょうか。慶応大学教授の前野さんをご存じですか。「幸せ学」で有名な方です。ウェルビーイングの研究者で、著書もたくさんあります。彼が、「幸せの4因子」を説いています。そのひとつ目が「やってみよう因子」なのです。正に2ウェイドアが社員のウェルビーイングに繋がることを指摘しているわけです。

まさに、「不作為の過誤」の被害者は社員なのかもしれません。

若手が清々しく自由に発言でき、「やってみる」ことに躊躇のない組織を
作りたいものです。それは秋晴れの空のようにスカッとしたリーダーの仕事ですね。



 

 

 

 

不作為の過誤 その1

今回は「不作為の過誤」というテーマで書いてみたいと思います。「不作為の過誤」とは、行うべきことを行わなかったことによって引き起こした過ちのことです。僕が注目したいのは、日本企業が起こしがちな、判断の遅れ、躊躇、全会一致という無責任、不明確な責任と権限によってオーナーシップが存在しない、などと言った事象や状況が成長を阻害している事実をどの様に解決すべきか、ということを考えてみたいのです。これは、日本人という人種の特徴かもしれませんし、島国、単一民族、単一言語という環境が作った文化なのかもしれません。しかし、それによって日本が西欧に比較して著しく競争力を失ってきたことは明らかだと感じています。今までも、ホフステード社の論文や、野中名誉教授の著作などを取り上げて、その論旨に向き合ってきました。それらも復習しながら整理していきたいと思います。一回のブログでは書ききれないと思うので、複数回に分けるかもしれません。

 

きっかけは、HBR(Harvard Business Review )11月号「リーダーの意思決定」特集の「合意形成を重要視しすぎていないか ベンチャーキャピタルに学ぶ意思決定の手法」(IIya A.Strebulaev スタンフォード大学経営大学院教授、Alex Dang ベンチャービルダー、デジタル戦略アドバイザー)を読んだことでした。興味がある人は是非この号を読むことをお勧めします。実は、私が前職の時にも、同様に新規事業開発を行う時にVC(ベンチャーキャピタル)に出来て大企業に出来ないのはなぜなのか、を議論したことがあり、社内にその手法や文化を取り入れるチャレンジをしたことがありました。それは、現在でも脈々と引き継がれ現在のリーダーはメディアに取り上げられたり、自著を出版したりしています。元々日本企業の悩みは深く、私が2017年に(一社)企業研究会で講演・意見交換した際も、参加各社が新事業開発について判で押したように同様の深い悩みを持っていることを吐露されていました。

 

この記事を一部引用してアプローチしてみます。

皆さんはあまり気付いていないかもしれませんが、誰もが知っている新興大企業の多くは10年、20年前は小さなスタートアップでした。なぜ同様の成功事業が大企業の中から生まれなかったのか、ということを考えることが重要なのです。北米のIT大企業は「イノベーションは金で買う」と堂々と行って憚らなかったのです。要するに自分ではできないと言っているわけです。もちろん、日本の大企業にもできませんでした。

それはなぜなのか? 凄くシンプルだけれど凄く難しい問題なのです。上記論文にこうあります。「理論上は、どの企業も既存企業の内部から生まれてもおかしくなかったが、そうはならなかった。代わりに、それらの企業(スタートアップ)に資金を提供し、立ち上げを支援したのはVCだった。実際、過去50年間で設立された米国の大企業のうち、VCの支援がなければ存在しなった企業、あるいは現在の規模に達しなかった企業は4分の3に及ぶと、筆者らは試算している。」 筆者らは10年間膨大な研究を続けその理由を整理しています。

「成功しているVCの意思決定の方法は、伝統的な企業のそれとは異なることが明らかになった。VCは筆者らがベンチャーマインドセットと呼ぶ手法を活用しているのだ。」それは何なのか。

「その特徴の一つは、失敗に対する寛容さだ。VCは投資の最大80%が失敗すると予測している。これはVCのビジネスモデルの特徴であり、欠陥ではない。彼らの投資理論は、投資先のスタートアップ20社のうち19社が失敗しても1社がホームランを打てば、それ以外の案件の失敗で生じた損失を補ってなお余りあるというものだ。要するに、重要なのはホームランであって三振ではない。」

「VCは失敗や損失から投資資金を守ろうとはしない。彼らが恐れているのは、ある企業や業界の命運を左右するかもしれない機会をつかみ損ねることだ。VCのアンドリーセン・ホロウィッツのアレックス・ランベルが筆者に話した通り、『VCの世界では、不作為の過誤作為の過誤よりもダメージがはるかに大きい』のだ。」

日本の大企業も社内にVCを持っているケースがかなり増えました。これをCVC(コーポレートVC)と言います。実は日本にはよく聞く残念な「あるある」があります。そもそもCVCを作ること自体の理解が薄く、社長がいかに熱心だろうが、心の中では反対している幹部が多く、例えば、投資案件3件連続で失敗すると、ホラ見たことだ。VCなんて上手くいくわけはない。止めた方がいい。などと声高に行ったりするわけです。これはCVCを作った日本企業が落ちいる罠です。VCの本質を全く理解していないことが明らかです。

また、「筆者らの研究では、ベンチャーマインドセットは、いくつかの重要な基本原則によって特徴づけられることが明らかになっている。それは『集団より個人』『合意形成より意見の不一致』「教義より例外』『官僚主義より敏捷さ』というものだ。VCはこれらの基本原則を柱として、意思決定を迅速化するとともに、際立った機会を潰す『集団浅慮』に陥らないようにしている。」(「集団浅慮(グループシンク)」のことは前に書きましたね。集団の中に強いリーダーがいたり、テーマの専門家と思われている人がいたりした場合、それ以外のメンバーは考えることを止めてしまい、結果的に不合理な意思決定や間違った判断をしてしまうことです。日本の支配的ヒエラルキー型組織によくある構図ですね。致命的です。)

 

皆さんの多くが勤めているレガシー企業はリスクに向き合うことが苦手です。特に日本企業は大の苦手です。以前にも書きましたが、ホフステード社は世界各国の独特な特徴を6次元モデルとして調査しています。その一つが、「不確実性の回避」です。未来が不確実なのは当たり前ですが、不確実なことに向き合うとどのような行動を取るのかは、国民性により大幅に違います。日本は、最も回避行動に出る典型的な国民性を持っています。即ち不確実なこと、曖昧なことを嫌い、それを避ける行動に出ます。例えば、ルールや規則で縛ります。日々のオペレーションにフォーカスし、予想外のことが起きないようにマイクロマネジメントをするわけです。そして、専門家の意見に頼ります。正しい答えを求め先生や上司を頼ります。だから、考えて考えて止めるとか、自分では決めないとか、承認ルールが細かく、重層的な会議が多いとか、上司はブレーキを踏みまくるとか、やたら動きが遅く、リスクテイクをしないので成長チャンスを逃すなどという、失われた30年を裏打ちするようなことになっているわけだと思います。皆さんも同感でしょう。現代のビジネス環境は変化が激しく、予測可能なビジネスはどんどん減ってきました。そんな環境において、この日本人の特徴は致命的だと言ってもいいでしょう。そのデメリットが出ないような経営をしていかなければなりません。ルールや仕組みを変えると共に価値観や企業カルチャーも変革していかなければならないことは、容易に理解できるでしょう。

また、同時に野中郁次郎名誉教授は著作の中で、日本をダメにした3つのオーバーを指摘しています。これも以前に何回か書きましたね。オーバー・アナリシス(分析過剰)、オーバー・プランニング(計画過剰)、オーバー・コンプライアンス(規則過剰)です。例えば、新しいプロダクトを検討する際に承認を得ようとしますが、もっと分析しろと突き返されたり、売上計画を出しても何度も再検討を要求され、これをしてはダメ、誰誰の承認を得ろとか、あの部署の合意を得ろとか、いつまでたっても先に進めないことになります。これでは事業のスピードで勝てるわけはありません。

この二つの指摘はまったく別のものですが、通底していることが分かりますね。日本のダメな特徴です。ビジネスの世界では本質的に足を引っ張ります

 

もちろん慎重に行わなければならないこともないわけではないでしょう。しかし、この価値観が染みついていること自体はいかんともしがたいのです。

この論文でもこう述べています。「予測可能な事業環境で日常的に決定を下す場合には、ベンチャーマインドセットは必要ない。しかし、不確実性が高く、ディスラプションに直面している時には、企業はVCのように考え、大胆な意思決定を下す構えを取らなければならない。」

 

少々脇にそれますが、では不確実性がそれほど高くない安定している事業、漸進的な成長がほぼ間違いないだろうと考えられる事業であったとしても、そのアップデートやリニューアルに失敗する企業も多い事実にお気づきの方も多いと思います。しかし、それは別の問題(ベンチャーマインドセットではない問題)が隠されていることを付け加えておきます。

 

続きは別途アップします。

言葉が通じなくても何とかなる。試してみなければ感動は得られない。@台北

日本の向かう道を前提を変えて考える

この前に変化について書きました。そのベースは、日本は競争にどのように勝ち抜いていくかという価値観がベースにありました。しかし、今日は原点に戻って少し考えてみたいと思います。

 

日本の向かう方向はどこなのでしょうか。少子高齢化が与えるネガティブな影響はどんどん大きくなっています。それを止めようとする政策議論は進み、既に多様な施策が取られています。今の子育て世代は僕らの時代に比してはるかに恵まれています。それでも少子化はまったく止まる様子がありません。私たちは、それを止める前提で将来を考えています。だから、成長を続けるために必要な労働力が確保できる前提で、競争を続けるという価値観から抜けられません。

そのその前提を捨ててみたらどうなるでしょうか。即ち、少子高齢化がどんどん進むことを前提として社会をどう設計するかです。そう、少子高齢化を止めることを諦めるという考え方です。

少し思い出してください。1972年にシンクタンクであるローマクラブが成長の限界という報告書を発表しました。それから既に50年と年月が経っていますが、1972年時点で、100年で地球の成長は限界に達すると洞察しています。その時にはAIなどありませんでしたから、当時先端であったシステムダイナミックス(懐かしいと感じる人も多いでしょう)という手法で導き出した予測でした。簡単にポイントを書くと、●人口増によって資源が枯渇する。●環境汚染が進み生態系に深刻な影響を与える。●資源は有限であり成長を支えられない。その洞察通りになるかどうかは別として、正にその方向に進んでいることだけは間違いありません。だからこそパリ協定などの地球環境変動枠組条約や、SDG’SやESGなどが叫ばれているわけです。なのに、僕たちは相変わらず成長を前提としたことばかり論じています。それでいいのでしょうか。

 

そもそも、資本主義・民主主義・自由経済の価値観が染みついた僕たちは、進化を経済的な裕福さや消費の拡大と捉えていますその価値観を捨てざるを得ないという踊り場に早晩差し掛かるのではないかという視点が議論され始めています。もちろん、社会主義共産主義に変わることを指しているわけではありません。行き過ぎた経済優先、消費優先の価値観を捨てるということです。「足るを知る」的な価値観に変えるのです。ジェレミー・リフキン氏が限界費用ゼロ社会」で述べたコモンズや共有社会などへの誘(いざな)いです。こういう考え方を「ポスト資本主義」というのかもしれません。学者など一部ではこのような考え方が発信されていますが、一般的には日本ではそのような議論があまりされてきませんでした。国会議員もそうです。そんなことを言ったら国民からそっぽを向かれるからでしょう。裕福な暮らしを作るのが議員の務めだろうと。僕は昔、ある県知事を訪問した際、同書を読んだ方がいいですよと、推薦したことがありました。首長にはそのような感覚を持ってほしいからです。特に地方社会は税収も増えない。インフラ保全で支出は増える。以前から言われているような限界集落・都市が増えることは間違いないのですから。

 

話しは横道にずれました。日本の少子高齢化が止まらないという前提で、社会をシフトしていくという考えに立つべき時が来たのではないでしょうか。仮にプランBとして論じてもいいでしょう。その代わりシナリオプランニングで言う「アーリー・ウォーニング・サイン」(こういう状況になったらプランBを発動する)を決めておかなければなりません。そうしないといつまでたっても方向は変わらないからです。タンカーは止まるまでに5Km進み続けるように。

 

価値観を変えるというのはとても難しいことです。そうせざるを得なくなっても、そんなはずはないと多くの人は感じるでしょう。バカなことを考えるな、そんな話は全部フェイクだと、トランプ氏は言うでしょう(いえ言っているのです)。それが残念ながら大半の国民の価値観なのです。資本主義はまだまだ暴走するでしょう。片や、例えば、CO2を何とかしようとイノベーションを起こそうとしているスタートアップもたくさんあります。そういう志向の人々にリスクマネーが集まり、サステナブルな地球を創る価値観が拡がっていくことを祈りたいと思います。

そんな気持ちもトランプ氏の当選によりくじけそうになる今日この頃です。

 

成長の限界が来た時、僕たちの感じる「豊かさ」ってどうなっているのだろうか。

飽食の時代は過ぎ去り、これからは人工栄養にシフトしていくのかもしれない。



 

大きな変化を見ようとしない日本人

ドナルド・トランプ氏が次期大統領に確定しました。僕が選挙戦の中で驚いた変化はイーロン・マスク氏のトランプ支援表明でした。莫大な資金の提供やトランプ支援者へのキャッシュのばら撒き。これには驚きました。元々トランプ氏はEVを否定していました。選挙戦でも「掘れ!掘れ!掘れ!」とシェールオイルをどんどん掘ることを公約にし、エネルギー使い放題的なイメージを植え付け、地球環境問題なんかフェークだというニュアンスは枚挙に遑がないほど発信し続けていました。つまり、EVなんか意味がない的マッチョ思想だったわけです。それがアンチ民主党戦略でもあったわけです。

それが、イーロンが支援すると手のひらを返したように、彼を「並外れた天才だ」賛美し、新政府の重要なポストを与えることを検討していると言われます。政府支出を削減を指揮するポストとも、新しくできる規制除去省のトップだとか、いろいろな観測が飛び交っています。

彼にトランプ氏勝利の勝算がどれくらいあったのかどうかは分かりませんが、彼は賭けに勝ったことは間違いありません。EVの世界的需要減でテスラ社の株は下がっていましたが、選挙結果により株は一気に上がり(1日で彼の資産は3兆円程度増えた)ました。彼の資産は増えトランプ氏に投資したキャッシュ(200億円?)は元を取れたことになります。中国からのEV車の関税も上がるのかもしれません。彼がもし規制除去省のトップになったら、宇宙ビジネス、地下高速鉄道、ロボタクシーなど彼が進めているビジネスの前に立ちはだかる規制や長期間の申請許諾時間を排除するでしょう。彼はやりたい放題の道を進むのかもしれません。もちろんそれにより米国は益々イノベイティブな国に発展していくでしょう。しかし、それは他国にとって脅威以外の何物でもありません。同時にトランプ氏がかつて進めたように国際協調枠組みからの脱退が益々進み、米国の内向き政策が更に進むとするならば、東側各国だけでなく、西側の国々も右往左往するでしょうし、もしかすると世界のバランスを保ってきたNATOやもはや機能不全が起こっている国連などへの貢献が薄まり、地球環境保全などへの世界的投資も世界的トーンダウンへ進むかもしれません。要するに米国民だけのために仕事をするという姿勢です。行き過ぎたポピュリズムと言えます。今回彼に投票した人の一部は、呆れかえるかもしれませんし、世界の進む方向に不安を感じるかもしれません。彼はそんなことはお構いなしでしょう。熱狂的なトランプファンに支えられて突っ走るでしょう。彼が選ぶであろう側近は彼の考えを支え、大胆な施策をどんどん提案するでしょう。願わくは、共和党内にバランスを考えた方向に修正する流れが起きることことです。どの議員がその先兵に立つのかなどの流れは、日本にいてはなかなか分からないと思います。今後きっといろいろなせめぎ合いが陰で行われることでしょう。

いずれにしても、今回の選挙で象徴する流れは、地球環境よりインフレ対策DEIよりマッチョという言葉に象徴されるのではないかと感じています。

これからどのような変化が起きるのでしょうか。どのような変化が起きようがそれに対応するしかありませんし、日本が益々世界に置いていかれないように走り続けるしかありません。世界の変化に耳を傾けましょう。どこに向かえばいいのか、あらためて考えてみましょう。

 

話しは展開します。変化と言えばこんな事実があります。日本の規制が世界から取り残されている現状を作ってきました。人口減、特に働く人の減少に対応できていない日本は益々住みにくくなっていくような気がします。

アメリカの一部の西海岸の都市で有料乗車サービスを始めたウェイモ(アルファベットの部門)のロボタクシーは週15万件の乗車があり。更にサービス地域を拡大するといいます。また、イーロン・マスク氏は、自動車メーカーであるテスラをロボタクシーの会社に再構築すると言っています。EVマイカーはサチるという危機感があるからです。いや、もうサチり始めているといっていいでしょう。

車を所有し自ら運転することに意味を感じる人は、運転を趣味として楽しむ人だけになる時代が訪れそうです。

日本はドライバーが足りず、バスは減便され、駅前には客待ちのタクシーがどんどん減っています。電話やネットで手配したくても走っているタクシー自体が減っています。解はロボタクシーしかない時代が訪れたとひしひしと感じます。。

もちろん、2種免許がない人も自由に客を乗せられるライドシェアが解禁されれば解決するという考えもあるでしょう。しかし、距離当たりの事故件数は自動運転の方がはるかに低いし、素人の腕前に任せるよりは余程安全だし、文句も言わないし、24H働けるのだから敵いません。それに、規制でがんじがらめの現状で嫌々始めたタクシー会社によるライドシェアは、全く拡大していません。勤務時間は短いし歩合が低すぎるからです。

自動車産業に未来はあるのだろうか。輸出の多くを稼ぎ出し、GDPや雇用を支えてきた自動車産業に頼っている日本自体の危機が来るでしょう。自動車自体の台数は今の1/5で十分かもしれないのだから。そんなことは10年以上前から言われ続けてきたのですが、ロボタクシーがやっとその扉を開いたと捉えられます。

 

日本人は気付いているだろうか。メモリーだって、液晶だって、太陽光パネルだって、EV電池だって・・・皆世界でトップシェアだった。しかし、何年も続かない。多くは中国にあっという間に抜かれてしまった。人件費が高いから? それが理由ではありません。未来を読めないから、リスクテイクせず投資を躊躇するから、血眼で頑張らないから・・・ 要するに世界を知らず、ボーっとしているからです。

道はどこに向かっているのだろうか @八幡平

 

 

 

失敗から学ぶ ~意図的な部下育成~

皆さんは部下や同僚に失敗をする自由」を与えているだろうか。経験の浅い社会人に失敗するなと言っても、そもそもやったことのないことにチャレンジしているわけで、学習のないままその結果を想像することなどできるわけもない。基礎知識を教え、ケーススタディーを通して学んだうえで、仕事を任せなければならないし、そこまで丁寧に支援したとしても、洞察力や先見性はまだ磨かれていないのです。大怪我をしない程度の失敗は、上司は失敗しそうだと気付いても、敢えて失敗させるくらいの寛容さを持った方がよいと思います。失敗させたうえで、そこから何を学んだのか次はどうするべきなのかなど、気づきを言語化させるコーチンを行うことがとても重要です。

失敗のプロセスで大切なことのもう一つは、インクルーシブであることです。上司が受け止める力を思い切り発揮することです。決して正論だけを一方的に投げつけたり怒ることなく、失敗の報告を優しく傾聴して上記のようにコーチンしてほしいのです。その関係を作り上げることで、どのようなケースであろうが、失敗やピンチ、予兆などを包み隠さず躊躇なく話せる関係を作り上げるのです。職場は常にそのような環境でなければなりません。皆さんもお気づきの通り、近年メディアを賑わしている大企業の不正案件の多くは、このような職場だったら決して起こらなかったはずです。

 

信頼する、任せる、期待する、見守る、報告させる、これからの行動を回し、向き合ってフィードバックする、そしてまた任せる。そのサイクルを繰り返すことが大切でしょう。

 

失敗した時に必ず伝えなければならない言葉は、チャンスは何度でもある」ということです。学び続ける姿勢が何より大切なのであって、同じ失敗を二度としないという姿勢が成長を加速化します。

そのプロセスの中で、上司は部下のビビッドさ(感度)を磨いてください。視野を広げ、今まわりで何が起きそうになっているのか、どうなる可能性が高いのかなどに神経が向くようにコーチンしてください。その繰り返しが、ビジネスのセンスを磨きます。即ち、洞察力と先見性を磨くのです。それを磨くコミュニケーションが何より大切なのです。

そうやって、部下の成長を支援することができたなら、部下は日々充実した毎日を送ることは間違いないですし、成長を実感し、いずれ部下を持った際は同様の育成をしてくれることでしょう。これは何より強力なリテンションにもなります。人は成長実感が得られる環境を手放したくないものです。

官軍につくべきか、賊軍につくべきか。生き残りか仁か。一種のシナリオプランニング。
洞察力と先見性がなければ混沌とした世界で生きていけない。

新しいリーダーの覚悟と計画性

多くの企業のビジネスサイクルは4/1から始まる一年の繰り返しです。その中には、組織再編、人事異動、戦略のアップデート、オペレーションの変更などが含まれます。そこで考えなければならないのがリーダーの変更です。前回書いた「サクセッション」のことですね。そこで考えてみてください。4/1にリーダーの変更があるとすれば、その後継者選びは冬の間に詰めなければなりません。皆さんの組織はそのプロセスを緻密に進めているだろうか。

次のリーダーに自分のポジションを譲らなければならないことをどれだけの人が自覚しているだろうか。または、自分が次のリーダー候補だとどれだけの人が自覚しているだろうか。日本企業の多くはそれらがとても曖昧だ。従い、多くの人事異動当事者が「青天の霹靂だ」などと言う。それが事実だからしょうがない。

 

リーダーのミッションにもよるが、ハイレベルになればなるほどステークホルダーは増えるし、部下の数も増える。例えば、事業は複雑になり課題も多い。事業状況を理解するだけでも時間を要するし、多くのステークホルダーと信頼関係を構築するのはもっと時間を要する。

しかし、その準備期間を考慮しないのが日本企業のほとんどでしょう。それでよいのだろうか。

また、ビジネスマンの成長は、新しいポジションを得て必死に学びオーナーシップを高め、思考を拡大していくプロセスで醸成されます。そのプロセスを的確に進むためには、教育や動機づけが必要不可欠だと考えますが、日本にそんな体系化された教育は存在しないでしょう。欧米発のビジネス書で学ぶしかなさそうです。しかし、十分な時間が与えられれば、前任者の協力を得ることができるし、ベテラン幹部にメンタリングをお願いする手もあるし、CEOクラスであれば取締役会のサポートも得られるだろう。もちろん、私のようなコーチと壁打ちすることも有効です。

 

さあ、今から数ヶ月以内に組織、人事に係わる変革プランを明確にしましょう。そして新しいリーダー候補に選定のプロセスに入ることを伝えよう。押し出される前任者が昇格なのか異動なのかポストオフなのかによりますが、彼にサポートを指示しましょう。

リーダー候補が複数いる場合に、日本の幹部はその旨を伝えるのを躊躇します。どちらかが落選することを忍びないと感じるからです。理解できますが、その感情は不要ではないだろうか。落選者になぜ選ばれなかったかを説明できないと思う人も多いのかもしれません。しかし、絶対に理由はあるはずです。その理由を感情ではなく論理で説明できれば、落選者の成長の動機づけになるはずですね。その自信がないから上司は複数人に候補だと伝えられない。それ自体おかしいと思いませんか。選定理由が曖昧だと証明しているようなものだ。だからダメなのです。常に必要な人財定義を明確にしておくべきなのだ。

しかし、それがなかなか難しい。以前ある企業から依頼され、幹部登用のためにアセスメント項目(具備すべきビジネススキル)を整理したことがありますが、一苦労しました。世の中にその手の適切なフレームワークがないからです。各企業ごとにHRや幹部が熟考し定義するしかなさそうです。

 

新しいリーダーがスムーズなスタートを行うことは、企業にとってとても重要なプロセスです。無用な混乱や反感を生んだり、業績の落ち込みを発生させてはならないのです。経営システム(決裁ルール、会議体の構造、報告ルール、意思決定の方法などなど)はどのように変革するのか、しないのか。経営チームは再編するのか、しないのか。新年度の事業方針はどうするのか。等々はスタートしてから慌てて考えるしかなくなると、失敗するか、それを恐れて前任者のやり方をそのまま継承するかしかなくなりますね。それでは、良いスタートが切れるわけがありません。

よくあるのは、100日プランなどという最初の100日をどの様に使うかを計画立てて行動するやり方です。しかし、考えてほしい。たった100日で今後の業績が決まるわけはない。どんなに意気込んだってそんなことはできません。まずひたすらスムーズなスタートを切るために行うべきことを確実に進めることです。変革プランを大胆に立てたとしても、その時点で実態を把握しきれてはいません。まずは、100日でできる限りハンズオンで、現場を回り、重要顧客と話し、パートナーと話し、社員と話すことだ。もちろん、4/1以前に内示が発令されていれば、堂々とフライングすればいい。

 

大切なことは、慌てず騒がず本質を探ることです。将来を洞察し向かうべき方向の仮説を立て、試行錯誤を続けることです。その時に忘れがちなのは歴史に学ぶこと。今までの経営計画はどのようなものだったのか、それは成功したのか、渦巻いていた感情はどのようなものだったのかなどは、絶対に理解した方がいい。多くの場合はそこに何らかの問題が存在していたはずです。それも重要なインプットになります。新しいリーダーは腰を据えて、しかし歩みを止めず在りたい姿に向かって行動を続けよう

カオスを起こすことで民衆の共感を得ようとするのは、某国の大統領候補の手法と同じだ。世界のポピュリズムはまるでデストピアに案内しているようだ。

 

トランジション・サクセッションを考える

会社員としてのトランジション(遷移・変化・異動)はいろいろな形で訪れる。異動命令、新たな仕事のオファー(異動と違い「やってみないか」と機会が打診される)、ミッションの追加(今の仕事を継続した上で、アドオンのミッションが与えられる)、もちろん転職も・・・。

しかし、会社(上司)は本人の能力や特徴やキャリアプランを的確に理解した上で、機会を設計しているとは限らない。まず、対象社員の能力を用意されたフレームワークに従って見える化(アセスメントなど)している企業も少ないだろうし、どのように戦略的に能力の拡大を狙い、次の適切なポジションを設計しているケースは案外少ないと思われる。社員が的確なトランジションを進むためには、会社特に上司の責任はとても重たいと考える。

 

そして、本人は機会が与えられたら、アジェンダ(課題)を明確化しそれに必要なスキルを磨き期待以上のパフォーマンスを出すよう努力する。それが当たり前のように行われる文化を持つのがサステナビリティの高い企業だろう。それらがシステム化されている場合はそのフレームワークに従い行えばよいが、そうでない場合は、マネジメント幹部は自らの動機で真剣に熟考・コーチンしなければならない。ここに、良い上司に巡り合えるかどうかなどという運不運めいた話が存在するのも事実だ。

 

それでよいのであろうか? 

一つは、HR(人事部門)が1on1、キャリアプランの共有、トランジションの設計、トレードやミッション拡大の意図的な機会創出、そのための組織横断の仕組み、タレントマネジメント等々のフレームワークを決め、それらが機能するよう責任をもって運用することが必須だ。HRは現場に丸投げしてはならない。

二つ目は、上司の自覚の問題だ。それが自らの責務だと認識すること。一人一人の顔を思い浮かべて、どういうトランジションがその人にとって最も幸せで、活躍できるのか、能力や指向に合致する(ただし本人の思い込みや先入観もあり得るので注意が必要)のかなどを真剣に考えることを当たり前として行うことだ。その前提が日常のコミュニケーションであることは言うまでもない。部下のトランジションをイメージしながら日常の対話やコーチンを進めることが何より大切だ。

 

上司が頭を痛めるもう一つのことがセクセッション(継承、後継者育成)だ。「Aさんを異動させたいが適切な後任がいない」というような悩みは枚挙に遑がない。自組織の業績に責任を持つ上司の陥る罠がここにある。Aさんが優秀であればあるほど、異動を躊躇する。コンサバな思考に囚われAさんの成長機会のチャンスの芽は摘まれてしまう。これは実に残念な「あるある」の話だ。

 

考えなければならないのは、まず、サクセッションは常に考えておくことが常識だと考えること。トランジションとサクセッションは常にペアで考えることが上司の仕事だ。

二つ目は、考え方を改めることだ。優秀なトップがいなくなれば二番目の人のガラスの天井がなくなり一気に成長する(リーダーの自覚が生まれる)と捉えることだ。リスクばかりを考えるから躊躇してしまう。新しいリーダーが必ず登場すると信じることだ。僕の経験で言うと、必ず上手くいくと確信できる。期待を明確に伝え、手厚くコーチンすれば期待以上の成長を実現してくれるはずだ。

三つ目が時代感だ。今や転職は日常的に行われる。Aさんは突然転職してしまうかもしれない。その時になって慌てたってどういようもないのだ。その対処を考えるのは上司の仕事なのだ。そう考えれば、Aさんのトランジションを戦略的に行うことのハードルは遥かに低いはずだ。そのような価値観は今の時代のベースラインだろう。

もちろん、何の相談もなく突然転職したり社内公募に合格したりすることは上司にとってとても寂しいものだ。しかし、それは自らが招いたことだと諦め受け止めること必要だ。それと同時に、日々のコミュニケーション量を増やし、キャリアプランの共有を進め、戦略的なトランジションを設計し、それを部下と共有することを意図的に進めることだ。研修なども含め機会を与え部下と寄り添うことが大切だ。それが日常になればリテンションは難しくないだろう。Win-Winなのだから。即ち部下の成長と組織の成長が同時に実現するのだ。

感覚のビビッドさ(開放性や感受性)は年齢と共に減衰していくのだろうか。
そうは思いたくない。部下の人生を考えるのにも重要な要素だと思う。
@チームラボボーダレス(麻布台ヒルズ)