ORIGINALS  人生は波風だらけのはずなのに

最近読んだ本「ORIGINALS  誰もが『人と違うこと』ができる時代 アダム・グラント」にインスパイアされ少し書きたいと思う。

創造力のあるユニークな考えを持っている子供は生きづらい。教師が問題児として扱うからだ。それに子供たちは気付く。教師が望んでいる答えは何なのだろうかを理解する。そして、望まれるものを考えて答えるようになる。そうしてオリジナリティは封印されていく。そんな話を読み、すごくすごく共感した。

そうして、型にはめれらた子供が「良い子」として育っていくんだろう。着実に。そして、大企業は良い子ばかりを選別して採用してきた。それは残念な事実であり、僕は15年以上前にそれに気付いた。部下たちはとても良い子で、緻密に確実に仕事をこなす。顧客から見たら完璧な企業に見えたことだろう。しかし、構想力がない。枠から決してはみ出ない。言われたことを間違いなくこなせばよかった時代は終わっているのに。即ち、世界は高速に変化し続け今ある製品やサービスは短時間で陳腐化する。ビジネスモデルも変わるかもしれない。その変化に対応できるのは社員の構想力なのだ。25年位前、部下たちのユニークな研修をお願いしたプロ集団からフィードバックを聴き、僕は雷に打たれたようにショックを受けた。同時にすごく腹落ちした。清水さんの部下たちは、緻密さにおいては最高レベルです。しかし、ゼロから1を生み出す構想力がありませんと。そうだ、その通りなんだ。これを治さないとサステナブルな成長はできないと気付き、目が覚めた。まず、人事のトップに採用のやり方を変えてくれと頼んだ。良い子ばかりを採用するなと。何をやらかすか分からないようなユニークな人材を10%でいいから選んでくれと。その願いは無視された。その後、近年は選定が部門で行えるようになり、恐らく徐々にそれが実現できるようになっていったのだと思う。それが必然だからだ。

 

日本企業の多くは、強いリーダーを求め育成してきた。「俺についてこい」タイプだ。そんなリーダーが作り込むのが「支配型ヒエラルキー組織」だ。トップは強制と威圧、褒美と罰で部下を操作する。「俺の命令に従えないやつは・・・」「お前はクビだ・・・」的マネジメントをし、必然的に部下は全員「イエスマンになり、自分の意見は言えず(言うと罰を与えられるから)、全員金太郎飴のムラ社会が出来上がる。多様性はなく、ハイコンテクスト(阿吽)が通じない人はムラにいられない。新入社員もあっという間に型にはめられ、できないやつは排斥されるか、自分から辞めていく

職場で異議を唱えると自分の立場が危うくなるなどと書くと、そんなバカな・・・と感じる人も多いかもしれない。ハラスメントと指摘されるようなことはないと思うが、実はもう慣れてしまって気付いていないのかもしれないし、見えないところで行われている可能性は今でも高いと思う。昔は露骨にそんな組織が多かった。それが日本だ。男性性・マッチョさが美徳、そんなカルチャーなのだ。「支配型ヒエラルキー組織」に違和感を感じる人は案外少ない。

実は日本ほどではないかもしれないが、アメリカも似ている。日本より遥かに自由だしブレストなど子供のころから授業で行われる。しかし、アメリカは優れた成果を凄く求められる傾向が強く、失敗を恐れるあまり周りに迎合する人が多いというのだ。

 

オリジナリティの高い人は、リスクをとることを恐れない。迎合すること、黙っていることができないのだ。オリジナリティとは、発想ではない発想+行動なのだ。オリジナリティとは、創造的破壊(シュンペーターなのだ。波風を立てることを恐れていたらできないのだ。

リスクテイクなき変革など存在しない

構想じゃなくて、これは高層だね

 

トヨタと日本 一連の不正の裏に横たわる日本らしさ

皆さんもニュースに気付いたことと思うが、先日トヨタグループで新たな不正が見つかった。日野自動車(2022/3)、ダイハツ(2023/12)、そして豊田自動織機(2024/1)だ。あまり大きく取り上げられていなかったが、実はそれ以外に販売店11社での車検不正(2021/9)、愛知製鋼での規格外鋼材出荷(2023/5)などという不正もあった。

ご存じのように、自動車産業はEV化の流れとそれにアラインするためのイノベーション合戦、国益優先の自国内生産優先政策でメーカーの生産地政策の急転換、EV化の流れが加速化すると見られる反面、ガソリン車、ディーゼル車の販売禁止の延期の流れ、BYDがテスラを抜くとう新興メーカーの台頭などなど、変化が大きくかつ早い。その中において、トヨタグループはハイブリッドで各国で叩かれる一方で、業績を伸ばし続け、目の敵にされ続けてきた。その裏で、生産革新を地道に続け品質向上とコスト削減の両立を実現するとともに、レクサスというハイブランド戦略も成功させてきた。

そのセクセスストーリーの裏に、絶え間ない努力があったことは疑問の余地がない。当然それに寄り添うように「GRIT」が根付いたのだと思う。それはもちろん尊敬に値することであることは間違いない。

 

現実的に洞察すると、その裏でどのようなことが起きていたのだろうか。以下に述べることはトヨタグループに限らず、何度も触れてきた多様な業界での不正などの根源的な問題に通底するポイントだと考えている。

企業が業績を伸ばし続けることは、マーケットを創造することと共に、競争に勝つことが重要視される。即ち、マーケティング(営業を含む)とイノベーション、そして品質とコストだ。先進的で魅力的な商品を他社に先駆けて追いつく暇を与えず間断なく出し続けることだ。それもローコストでだ。これがどれだけ困難なことかは容易に想像できよう。多くの場合その指針や計画はトップダウンで出される。そして、それは何が何でも実現しなければならないという圧力に昇華される。それが僕たちの使命なのだと。それが「GRIT」だ。

GRITは言うまでもなく「やり抜く力」などと言い換えられ、以下の4つで構成される。

Guts(度胸・根性)

Resilience(復元力・折れずに立ち直る・粘る)

Initiative(自発性・自分の意志で努力を続ける)

Tenaciity(執念・執着心)

これらは上記の様に業績を伸ばし続けるという観点でとても有用な価値観だと分かる。同時に、これらにはリスクも含まれる。もし、方針や目標が現時点で的確でなくなっていたらどうなってしまうのだろうか。行き過ぎたGRITが不幸な結果を招くことはよく知られている。この辺は以前にも書いたが、アダム・グラントの「THINK AGAIN」に指摘されている。GRITに溢れる人は「見たくないものは見えない」状況に陥っているかもしれない。即ち、マーケットの変化の予兆に気付かないかもしれないし、現場の疲弊やサプライチェーンの不満に気付かないかもしれない。気付かないのではなく、見たくないのだ。やり遂げることにだけフォーカスしている人には邪魔な情報なのだ。そして方針を変更するタイミングを失してしまう。

現場には「何が何でもやり遂げろ!」だけが染み渡る。そして不正が起きるのだ。今回の報道でも「不合理な開発日程の策定(豊田織機)」「過度にタイトで硬直的な開発日程(ダイハツ)」とある(日経新聞)。

更に、日本の組織にある特徴が悪さをする。日本では、リーダーはビジョナリーで部下を引っ張るタイプ、即ち的確な指示命令による強いリーダーシップが求められる。彼らが作る組織が「支配型ヒエラルキー(マシュー・サイド『多様性の科学』)」で、威圧と褒美/罰で組織を操作するために職場に心理的安全性が乏しくなる。否定的なことは言えないのだ。言うと懲罰の対象になってしまうということだ。「俺の言うことがきけないのか」と。報道では、「問題が適切に上司に共有される環境が整っていない(豊田織機)」「言ったところで何も変わらない(日野)」とある(日経新聞)。

即ち、「言っても聞いてもらえない」「できないと言えない」「相談しても『で!』といわれるだけ」日経新聞)そう、やむにやまれず不正をしたのだ。これは組織カルチャーそのものだ。それに向き合う幹部がいなかったのは間違いない。これが根本だと思う。

 

もう一つ触れておきたい。先ほど書いたリーダーシップやヒエラルキーはなぜ出来上がってしまうのかだ。Hofstede Insight japanの調査によると、日本は男性性が40ヵ国中1位であり、目標は必ず達成されるべき、それには絶え間ない努力が必要、強い者が支持される、という価値観が最も強い国なのだ。男性性とは誤解を恐れず言うと、相手に良かれと思って、こうあるべきだと指示したくなる、教えたくなる思考が強かったり、結果重視でもがく、あがく、必死になる価値観を重視するなどの特長を持つのだ。上記のようなことが起きやすい価値観だと気付く。

それに対して女性性とは、受け止めたいという気持ちが強く、寛容性が高く利他心が強い、柔軟性が高いなどの特長がある。もし幹部が男性性むき出しでなく、女性性とのバランスが取れていたら、このような企業カルチャーになっていなかっただろうと想像する。

 

「賢者は時を待ち、愚者は先を急ぐ」スピード第一で起業した企業より、様子を見て他社の課題を理解し対策を打ってから起業した企業の方が成長する。遮眼帯を付けてひたすら全力で走り続けるより、周りをよく見て落ち着いて行動した方が良い場合の方が多い。内なる心の声を聴き自分らしい道を歩ける他者の意見に耳を貸し客観的になる瞬間を待てる慌てるな、気付いている人は他にもいるはずだ。時にはこの言葉を思い出そう。

2019に始めたこのブログは、先日累計12万アクセスになった。
承認欲求は強くないと思っているが、より多くの人の役に立てば嬉しい。
こんなブログが役立つと思っていることが傲慢なのかもしれないが・・・



 

建前と本音、裏と表。呆れかえるそのギャップを前に・・・

トーマス・ジェファーソンをご存じだろうか。アメリカ建国の父と称される「アメリカ独立宣言」起草者であり、第三代アメリカ大統領である。

 

彼は人間の平等を訴え、奴隷解放の立場を一貫して取っていた。一方で200人とも600人とも言われる奴隷を所有していた。彼の平等には黒人奴隷は入っていなかったということになる。

さらに、所有する黒人奴隷サリー・ヘミングスとの間に7人の子供がいた。これはDNA鑑定によって証明されたといわれる。そのサリーは死ぬまで解放されることはなかったのである。

 

そして、NY市庁舎の議会室にはトーマス・ジェファーソンの像があったが、2021年市庁舎から撤去された。歴史に名を残した人の末路と言ってもいい。

 

建前と本音。裏と表。成し遂げた快挙の大きさの前にこの程度のことは小さいことだと目をつぶりますか。これは本質を突いた問いだ。

実は、政治家であろうが、ビジネスマンであろうが、大きな成果を上げた裏ではおよそ人格を疑うようなエピソードを持つ人はたくさんいる。現役の時または引退直後にロールモデルとして発刊された自伝的ベストセラーはたくさん存在し、その一部はその後暴かれた真実によって評判は地に落ちた。英雄伝説の陰に、金に汚かったというようなお粗末な話や、人格者という評判の裏で実はパワハラだったとか、見事な事業成長を遂げた実力経営者のレッテルの裏に、違法な会計処理や節税処理があったというような話など、枚挙に暇がないのだ。

 

トランプ氏などはその典型だろうね。しかし、それでも選挙は勝つんだから、分からないものだ。人格とか倫理が人を選ぶ基準になっていないわけだからね。孔子は天国でこんな世界を憂いていることだろう。

僕は、どんなに地位の高い人であっても、そのような建前と事実のギャップが大きかったり、裏と表がある人を決して尊敬はしない。僕の身近にもそんな人はいた。彼の足を引っ張ったり悪評をたてたことは一度もないが、決して信頼したことはないし、盲目的に指示に従ったこともなかった。僕は僕の信じる正しい道を歩きたかったからだ。幸い潰されなかったのは運が良かっただけなのかもしれない。

乾ききった世。心が温まる話は本当に少ない。
でも、ひとりひとりは恥じない行動を当たり前のように続けましょう。
そうすれば、きっと暖かさは人から人へと伝わっていくよ。

2024 恐ろしい扉が開いてしまうのか

今年はアメリカ大統領選挙が行われる。誰もがバイデン対トランプだと予想している。そのような最中イスラエルパレスチナの戦争だ。バイデンはイスラエルを全面支援する姿勢を示しているが、イスラエルハマス殲滅行動で民間人が大量に犠牲になる事実を前にして、相当困っているようにも感じる。実はアメリカのZ世代はイスラエルではなくパレスチナを支持していると言われる。イアン・ブレマー氏によると「バイデンはアラブ系アメリカ人の票の獲得が難しい状況だ。彼らはミシガン州では人口の約5%、ペンシルバニア州では人口の2.3%を占め、選挙結果を左右する重要な浮動票となる」この戦争はバイデンにとって大きなマイナス要因だ。でも、考えてみれば共和党特にトランプは更に強硬な親イスラエル派なわけで、トランプにとっても頭の痛い状況なはずでも、国民の心は時の政権への不満に動く。そんなものだと感じる。トランプが復活する姿は想像もしたくないが、前回の選挙の様に最後まで予想のつかない展開になるのではないだろうか。

ロシアはプーチンで決まりだろうが、心配していた台湾は民進党頼正徳氏が当選し、民主主義陣営を守るためには追い風になった。その中でウクライナ支援のエネルギーは縮小していく今年の世界は揺れ続ける。悲しい動向になろうが、僕たちは直視し続けなければならない。

 

国民が政治を決める主権在民は国民が理性と客観性を持っていることが前提だ。しかし、そんな前提など絶対に成立しないと感じざるを得ない。残念ながら国民に正しい判断力など期待できない。SNSやメディアにフェイクニュースが溢れ、トランプ氏自身がバイデン氏のことを極左と罵る。自身が自分に資する極端なイメージを刷り込み、愚かな国民がそれに踊らされる。そこに知的な判断力など存在しないかのように。残念ながらそれが実態であり、トランプ氏をはじめとする政治家の多くは、国民は愚かだからいかようにも操縦できると舐めてくさっている。舐めているという意思がないのだとすれば、狂っているとしか言いようがない。日本でも同じだ。どうせ国民は喉元過ぎれば熱さを忘れるからしばらく大人しくしていればいいと、厚顔無恥を押し通す。

トランプ氏が共和党予備選初戦アイオワ州を制し第2戦ニューハンプシャー州も制してしまった。今頃ロシアや中国やイランの専制政治体制の人々は笑っているに違いない。民主主義は自滅に進んでいると。

 

続きはまた書こう。

冷たい冬の後には、必ず春が来る。
本当に来るのだろうか。

 

前向きなフィードバックは充実感を連れてくる

「充実感」を感じた時を想像してみてください。

僕は満たされた感覚や精神的な幸せを頭に描く。日々充実した時間を送れたと実感できれば、こんな幸せなことはない。しかし、「あなたはどのような時に充実感を感じますか?」の問いかけに、「何かを完遂した時」と答える人は多い。もちろんよく分かる。「やり切った感」は何にも増して充実感を連れてくる。しかし、それではめったに現れないことを指してしまう。任せられているプロジェクトが成功に終わるなどというシーンは年に一度という感じのサイクルになってしまう。それではずいぶん寂しいではないかと思う。

もっと日常に「充実感」を感じる瞬間を創り出せないだろうか? 実は、それはリーダーの振る舞い一つにかかっていると思っている。何かの目的で集まったミーティングは、テーマの難易度が高い程、満足を得られる結論は出にくい。時間切れになったり、議論が空中分解したり、ストレスを感じたり、スカッとはしないものだ。しかし、チームが頭脳を持ちより真剣に議論したはずで、結論は出ずとも間違いなく一定の進捗を果たしたはずだ。多様な意見があることが分かったとか、混沌の中に一筋の光を感じたとか。ただ、都合の良い結論に至っていないだけだ。

そこで、リーダーの果たすべき役割は、進捗を客観視し肯定することだと思ってほしいのだ。抽象的でもいい。自分の感覚でいい。「A君の意見には驚いた。全く僕には気付かない新しい視点だった。次に進む素晴らしいヒントを得られた」とか、「問題点がたくさん出たね。僕は大分見えてきた感覚を得ているよ。トンネルの先に明かりが見えてきた」でもいい、「ありがとう、みんなの真剣さがよく分かったよ。それだけ難しい課題だったわけだ。今日は時間切れだったけれど、きっと次回には皆が腹落ちできる解を得られると確信している」という表現もある。要するに、リーダーは確実に進んだということ、この先にゴールは見えるという希望を口に出すことが重要なのである。悶々とした時間が報われる瞬間を生み出すのだ。そして、「また明日集まろう。皆の協力で必ず前向きな案を決めよう」と締めればいい。

充実感は毎日得られた方が良いに決まっている。そしてそれは、リーダーのる舞いやフィードバックによって如何様にも演出できるのである。皆の気持ちを受け止めて将来にスポットライトを当てればいいのだ。決して難しいことではない。

すぐにでもやってみよう!

大分登ったね。もうすぐ登りきるさ。

 

ぐうの音も出ない「バイオリージョン」とは ~成長から成熟へ~

年末に様々な雑誌で2024年予測とか2030年予測というような将来を洞察する特集が組まれた。いくつかを斜め読みしたが、今年は大荒れになりそうだ。それは記事を読むまでもなく、既に存在していた昨年後半からの動きが一層加速化するという流れが呼び覚ます直観であり、恐らくほとんどの人が感じていたことだと想像する。

例えば、ウクライナ戦争はロシア優位のまま続きそうだとか、ロシア、イラン、北朝鮮の現状の民主主義国家の秩序拒否姿勢は強まりながら続くだろうとか、アメリカ大統領選挙いかんでは敵対勢力はアメリカの決意(どこまで本気で世界の秩序をアメリカがリーダーシップを発揮して守ろうとするか)を試す行為に出るだろうとか、アメリカ主導の経済秩序は停滞するだろうとか、習近平政権統率力は経済の低迷の影響もあり低下するだろうとか、中東の混迷は世界を翻弄させ、中ロイラン主導の秩序が進むだろうとか、AI失業が現実化するとか様々だ。残念ながらほとんどすべてが混沌を深める方向ばかりだ。今年は何が起きるか分からない

そんな中、「東洋経済2024年大予測」に載った「ポスト資本主義」と題してジェレミー・リフキン氏のインタビュー記事が目を引いた。

地政学的な発想は時代遅れだ。なぜならば、気候変動によって住み慣れた土地から離れざるを得ない人たちが、たくさんの数に上るからだ。そこで重要なのが、バイオリージョンの考え方であり、人間の持つ生命愛や他者への共感力だ。私は若い世代の人たちの行動力に期待している」

バイオリージョン(生命地域)。「国家の主権や地域の自治権はもちろん存在し続けるが、共通の生態系を『コモン(共有材)』として重視する統治の必要性が高まっている

これでは、いったい何を言っているのか分かりにくい。記事も短絡した書き方をし過ぎだ。松下政経塾の藤沢祐美さんはこう言っている。「バイオリージョンとは、人間の都合による境界線ではなく、自然の特徴により、一つのまとまりを持った地域と認められるものであり、多くの場合、一つの河川の流域、あるいはいくつかの地域を集めたものと重なっている。バイオリージョナリズムは、私たちの生活の場である地域を、『多様な生物の共生的な相互関係が、持続性を保証する一つのまとまりを持ったシステム』ととらえ、それぞれの土地をよく観察し、その持続性を損なわないための自然の制約条件を見極め、これらの条件を人間社会のありかた(政治、経済、文化)に組み入れることが不可欠と考えるものである」

ちょっと分かりにくいが、僕は、自然の上に成り立っている私たちの生活の場の持続性を損なわないためには、自然の制約を理解し、その上で人間社会を構築することが必要だというように読み取った。

リフキン氏は更にこう言う。「統治の仕方としては、工業化の時代にスタンダードとなった代議制民主主義を見直し『分散型ピア(対等者)政治』に道を譲る必要がある。これは市民一人ひとりが統治の過程そのものの一部となるというものだ。地方自治体は市民に協力を求め、市民は『ピア議会』(ピア主導の能動的な市民議会)に参加して、自治体と共に働く」

きっと、工業社会を前提とした社会のシステム、即ち経済が生態系を壊していくことを前提としている時代は終焉を迎え、自然と共生するためには一人一人が地方自治の一員となり能動的に政治や行政に関り、自分たちの生物圏・生態系の統治を進める社会に変わっていくという意味なのだろうと思う。自然を含めた生活圏の自治市民一人ひとりに委ねられる時代になるということだろう。

 

この視座の高さをどう表現すればいいのだろうか。限界費用ゼロ社会」でも彼のあまりに高潔な意見に圧倒されたが、今回の彼の意見も同様に清廉過ぎて根本的過ぎて、流れを俯瞰する力にぐうの音も出ないのだ。

限界費用ゼロ社会」でもコモンズの概念などが書かれていたっけ。地産地消、ローカルで最適な社会を自らの力で構築するような考え方だ。都会で金銭的な贅沢や、口は出すけど汗はかかないという価値観とは全く違った将来の在り方だ。少子高齢化の先にはそのようなコモンズの社会様式が、特に地方では必要になっていくように感じる。

力強い経済成長、十分な税収、温暖化など将来の生活に影響を与える地政学的変化など気にする必要がない。そんな時代はとうに終わった。環境を壊さず、自然と共生し、そしてそれにはコストはかけられない。それでいて十分ウェルビーイングな生き方を目指す社会。それには個人個人の我儘や強欲さは邪魔になる。市民一人ひとりが地域の統治に関り、どうあるべきかを考え行動する。なんでも国にぶる下がることはもうできない。地域が自律して問題を解決していく社会だ。

世界は成長モードから成熟モードへと変わろうとしてるのだ。これは一人一人が社会に対して果たす責任が重たくなることを示し、オーナーシップを持つことから逃れられない状況になることを示していると思う。

地域の皆さんと同じベンチに座ることができない人はすごく多いと思う。
でも、そうすることが生き残る術だと分かれば、きっと自然とできるようになる。

 

民主主義の未来 日本の役割は

戦後生まれの僕たちは民主的な国に生まれ育った。もちろん日本的な特徴はあるものの、民主主義国家の典型だろう。それが当たり前に感じてしまっているが、世界を見渡せばそれが当たり前ではないことに気付く。

スウェーデンの研究所が、世界の民主主義の状況を分析している。昨年1月にNHKの解説委員会室というサイトで紹介された。その時点で、世界の中で民主的な国が60ヵ国に対し、非民主的な国が119ヵ国あるという。(「公正な選挙」「基本的人権の尊重」「言論の自由」「女性の社会進出」などの基準を設けて世界の国々の実態を調査した)

更に、非民主的な国の中で、民主化の方向に向かっている国がどれくらいあるかというと、1999年の約70ヵ国から2021年で15ヵ国と一気に減ってきている。ところが権威主義(政治権力を一部の指導者が独占する)を強めている国は33ヵ国と過去最高になっているのだ。皆さんもそうだと思うが、その数字には驚かされた。同時にすごく落胆した。世界は「僕らの当たり前」の方向には向かっていない。

皆さんも覚えてるでしょう。アラブの春。あれは2010年のことだった。あの時、多くの国が一気に民主化に進むものと期待していた。しかし、民主化に進んだように見えた国々で、国民は新しい指導者に失望し、反動的な指導者に走った結果上記のような状況になったと言われているのだ。格差の拡大、腐敗、移民問題、飢餓・・・諸々の社会問題を抱えると、民主的な価値観に拘らず、現状を打破してくれそうな強権的なリーダーを求めてしまうのだ。その裏には、ロシアや中国がSNSなどで民衆を煽る偽情報を流したことも影響しているといわれる。

今、世界は正に二分されている。民主的か専制的かだ。民主主義か非民主主義と言い換えてもいいだろう。残念ながら民主化の流れは加速している。それは混沌とした社会が強いリーダーを求めた結果だといえる強いリーダーは必ず暴走する。国民には都合の良い情報しか流さず、結局国民を騙し続ける。それに気付いた時に暴動が起き政権が倒れる。そんなことが今まで何回も繰り返されてきた。フランスはその典型だ。

昨年民主主義サミットが行われたが、そのような結束を呼びかけ、グローバルサウスを取り込もうとするような動きは、かえって非民主主義国を頑なにさせ、溝が深まるだけの結果しか生まなかったのではないだろうか。非民主主義国は民主主義国を分断を煽る傲慢な国だと思っている。お互いを批判すればするほど、または仲間を集めようとすればするほど溝は深まり、埋めようとする努力自体が無駄に感じてくる。

今年は、アメリカ、台湾、ロシアなどの大型選挙が続く。ヨーロッパでは極右が台頭し、ウクライナ疲れと相まって、安心していられない状況が続く。アメリカ主導連合と、中ロ主導連合の競合、ナショナリズムの進行などが益々進行する年になるだろう。もしアメリカに再びトランプ政権が発足したら、中・ロ・北朝鮮・イランなど敵対勢力がアメリカの決意を試すような試みをするかもしれない。反応を推し測ったり値踏みをするかのように。アメリカは甘く見られないように強硬な姿勢に出るだろう。一歩間違えば一触即発だ。2024年はとても恐ろしい年になるかもしれない。

日本の役割は何なのだろうか。足元では内向きの話に終始する国内事情。グローバルリーダーシップに意識が向く様子はない。これでいいのか日本。次の選挙は国民の見識が問われる。国民は内向きに終始するような姿勢にならないでほしい。

花びらが一枚一枚落ちるのが山茶花。これは私の住むマンションに咲く山茶花
この街には山茶花の木がたくさん植えられていることに気付いた。