an elephant in the room「部屋の中の象」

先日、あるクライアントとお話をしていたら、その方が仰った。「『部屋の中の象』を指摘すると、皆から嫌われる。そんなことが何回もあった」と。

部屋の中の象(an elephant in the room)」とは、その場にいる人たちは実は皆気付いているけれど、あえてそれには触れないようにしてるタブーな話題だったり、重要な課題を指すことわざです。この言葉を初めて知ったのはベストセラー「1兆ドルのコーチ」を読んだ時のこと。

その本の中にこうあります。「最大の問題はいわゆる『部屋の中のゾウ』 それを探して、部屋のど真ん中に引っ張り出して真っ先にタックルせよ。これは先送りしてきた課題もそう。政治的に触れてはならない課題もそう。」

リーダーとはそういう存在でなければならないと、つくづく思い感動したものです。

 

忘れたいこと、先送りしたいこと、頬被りしたいことなどを思い出させる人を嫌う人をどう思いますか? 私はそれを再び思い出したら、「僕の時代に片をつける」と決意するのがリーダーだと思います。もちろん些末なテーマであれば優先順位は低く、先送りの対象になりますが、「象」はそうではありませんね。重要だと分かっているけど、面倒だとか、解決しても注目されないとか、解決するには嫌われ者にならざるを得ないとか、個人的な避けたい理由が透けて見えますね。そこがダメなのです。清廉ではないですよね。利己的な利害という価値観が常に幅を利かせている。そんな人と一緒に仕事はしたくないものです。

 

さて、あなたは象を指摘する人を尊敬できますか? そこがあなたの器でもあるわけです。考えてみてください。こういう人がいないと会社は腐りますよ。

 

今回報道されている三菱電機の不正なども、皆象がいることが分かっていながら、指摘できなかったのだろうな、と想像します。とても悲しい事案ですね。

全員見えてるはずですよね

 

自律型人材とは

最近、時々「自律型人材」という言葉を耳にします。私もブログ内で「自律」という言葉をよく使います。なぜそれが大切なのでしょうか。変化の激しい時代。その変化に対応し続ける組織だけが成長できると言っても過言ではないでしょう。しかし、管理者やリーダーのみが羅針盤になり目標を定め、すべて指示しコントロールしなければ動けない組織であれば、その変化に対応できないのは間違いありません。戦争に喩えると分かりやすいですね。戦場では常に状況が変わります。事前の情報と違う状況が展開され、その都度大本営の指示を待っていても、その間に戦況は大きく変化してしまいます。現場で判断し、即行動しなければ状況を打破できません。今のビジネス環境が正にそうでしょう。VUCAの時代のチームの在り方は、自律と信頼(チームワーク)ではないでしょうか。(元々VUCAは軍事用語です)

ところで、「じりつ」には二つの漢字がありますね。「自立」「自律」です。前者は自分で仕事をこなせるという意味でしょう。後者は自分の意志で自分をコントロールしビジョンに沿った行動ができるという意味だと捉えられますね。

自律型人材(ここではあえて人財と書きます)とはどのような人財なのでしょうか? 皆さんも考えてみることをお勧めします。言語化しようともがけば、その結果自分や部下が目指すべき人財像が見えてくると思いますよ。

 

私も大雑把に考えてみます。

まず、言うまでもなく、言葉通り

1.自分で考え自主的に行動できる。

 という言葉が浮かびます。即ち上司の顔を窺いながら、指示を待つ姿勢ではないということですね。

2.チーム・組織のために最適・最良な行動を選択できる。

 自分で考えるといっても、その向かうべき方向は自分の浅はかな考えに従い、我儘に行動をすればいいというわけにはいきません。チームのパーパスやビジョンを理解し、その考えに従い、最適・最良な行動を考え、行動しなければなりません。

3.責任感、オーナーシップを持つ。

 そして、自分で考え決めた行動には責任を持たなければならないですね。一人一人が責任をもって行動するとともに、チームの目標にもオーナーシップを持つから、チームの結束が高まり、信頼関係に立脚した利他的行動、補完関係、化学反応などが助長され、成果が最大化されます。

4.喜びを共にする。

 自律と言っても一人一人が孤立しているわけではありません。上記のようにチームとしての文化・関係の中に存在します。日々の充実感を味わうことが、チームのウェルビーイングに必要不可欠です。そうです、自己満足に浸るのではなく、喜びを共有することが、自律とペアでなければならないと感じます。

さて、これらは私が勝手に考えた自律人財です。恐らく一人一人考えは違うでしょう。正解などないのですからそれでよいのですが、そうやって考えることによって、自分や自チームはどうなのか?を振り返ることができるのです。それができれば、「じゃあどうする?」に繋げられますよね。

 

更に、少し角度を変えて考えてみたいと思います。自律人財化が加速するための仕組みやティップスがあるのではないか? それは何なのか? です。これも正解などないでしょう。私なりに考えてみました。ランダムに書きますね。

自分を振り返る機会を作ること。即ち、1on1などの機会を意図的に創り、できる限り 客観的なフィードバックを行い自分を見つめ直す機会を作ることを促すのです。フィードバックが大切なことは前にも書きましたね。

最も最適な方法を考え挑戦する、ことを評価すること。それが成功するか失敗するかは問わない。

利他的な行動を評価すること。

・常に新しい学びに貪欲で、実際学び続けていることを評価すること。

・常に社外の変化に敏感であること。

・チーム・部門以外の人達とのコミュニケーションに積極的であること。

・学んだり、経験したりしたことを発信するなりして、影響力を発揮すること。

・自らキャリアプランを考え、上司はその実現に協力すること。

多様な経験をする機会を意図的に作ること。上司もその機会をタイムリーに与えること。

・上司のこのような戦略的な行動を評価すること。

いろいろアイデアはありそうなことが分かりますね。心掛けるべき行動などが整理できると、それを評価したり、賞賛したり、促したりすることができるわけですね。

秋がどんどん深まってきた。無性にどこかに行きたくなる。
勝手に行けばいいじゃん。そうね、自律か~

 

迷える1on1を実のあるものにする

1on1が企業の中に定着して久しい。しかし、必ずしもそれによってモチベーションが上がったり、心理的安全性が上がったり、コミュニケーションのハードルが下がったりなど、革新的な変化を味わっている人は案外少ないのではないでしょうか。以前に書いたような気がしますが、統計では、上司は定期的にちゃんと1on1をしていると答えている人が圧倒的に多く、部下は1on1をやってくれないと答えている人の方が多いのです。それくらい、ギャップがあるということですね。上司は手前味噌だということなのです。

そんな迷いがあるであろう管理者の皆さんに向けて、感じていることを少し書きたいと思います。参考になれば幸いです。

1on1は関係を発展・進化させるチャンスだと理解してください。

部下に自分の考える「正解」を押し付けないでください。腕組みなど圧力を与えるような態度や話し方は決してしないでください。部下の自律を促し自信をつける場にしてください。即ち、考えるチャンスを与えてください。部下が迷ったり意見を言うことを躊躇していたら、その空気を暖かく飲み込んであげてください。口を開きやすくするためのヒントやサンプルを出してあげてください。どんな球が飛んできても、決して否定せず壁打ちの壁になってください。何度でも何度でも打ちやすい球を返してあげてください。即ち、シンプルに言うならば「そう思う」とか「そう思わない」というような一種の判断を伴う球を返さない方がいいです。もちろん、「共感」を表わすレスポンスは大いにしてください。「そう思わない」時は、「そう考えているんだね」と受け止めてあげてください。そして、そこから優しく質問をしてください。「どうしてそう思う?」とか「どういう時に?」というようにです。それが壁打ちです。上下の関係ではなく、壁打ちの相手になるのです。部下が何も話す気がないというオーラを出しているなら、あなたとは壁打ちをするつもりはない時間の無駄だ、という強烈な否定的メッセージを出していることになります。それは部下に問題があるのではなく、普段のあなたの姿勢に問題があるから起きることだと気付いてください。あなたは、修行のつもりで思い切りインクルーシブな態度に振り切ってください。絶対に短気になってはなりません。あなた自身も徐々に慣れてくるでしょう。

エール㈱の櫻井さんは、同じように「きいて」いるようでも、自分の視点でジャッジメント(評価判断)を入れながら耳を傾けるのは「聞く」で、相手の視点で自分のジャッジメントを入れないで受け止めることを「聴く」と分けて表現しています。もちろん、上司と部下の関係を発展させるための1on1は後者を大切にしてください。実は、1on1という定期的に意図的に作る場以外の、日常的なコミュニケーションも同様なのです。部下に自律的に考えるように促すためには、「聴く」即ち「傾聴」の姿勢が必要不可欠です。仕事上の意思決定も、上司が一方的に「ああしろ、こうしろ」と指示をしてしまうのではなく、例えば「どういう状況?」「どうなると思う?」「どうした方がいいと思う?」「なぜ?」・・・というような壁打ちを続けることによって、部下の意思を確認したり、自分で解決できることをその場で理解させたりするのです。「そうだよね。どうだい? できる気になってきたでしょ」と背中を押すのです。

上司は誠心誠意「傾聴」することによって、部下の本音や悩みや迷いなどが透けて見えるようになります。そうです、「直観」が働くようになるのです。部下の自律を手助けするのは、そのようなときですね。自信を持つように勇気づけてあげてください。責任を取るのは上司なのですから。最後は「任せるよ」です。「指示」をするのが上司の務めだと思っている人が多いと思いますが、それは大きな勘違いです。上司の務めはあるべき方向に「導く」ことです。

「傾聴」しながら深く観察してください。そしてタイムリーな「質問」(リターン)を繰り返し、「共感」や「承認」を繰り出してください。部下は自分で考え、自信をもって次の行動に進むでしょう。

「傾聴」「直観」と部下との関係が深くなってくると、上司は部下のことに対してより「好奇心」を持つことになるでしょう。部下に対してそんな気持ちが根付いてきたら、完全に関係は発展・進化したことになるでしょう。部下は上司との対話を安心した気持ちで楽しむでしょうし、何も隠さず自分を晒すようになるでしょう。いつも見守られている気持ちになり、上司に包まれながら、自律・自立していきます。これが「エンパワーメント」ですね。

秋の空は独特だ。気持ちがクリアなときに見る青空ほどスカッとするものはない。
コミュニケーションもそうありたいものです。
@富士見台高原

 

自己トランスフォーメーション

人が複数人集まれば集合・集団・グループ(「集団」とします)と言いますね。同じ集まりと言っても、それと「チーム」とは大きな隔たりがありますね。違いは何でしょうか?

同じ目標を共有しているかどうかですか?

それも重要な要素でしょう。しかし、私たちが所属する企業においては、「集団」であっても目標は共有していますよね。トップからパーパスやビジョンなどをはじめ向かうべき方向は幾度となく伝えられているはずです。共有していないとは言わせませんよ(笑)。

問題は、心の底から腹落ちしているかどうかですね。

 

先日あるワークショップで話をさせてもらいました。私は「自分は何者なのか?」「使命とは何か?」を考えることによって、「存在の根拠に自信を持ちたい」と思って行動してきたのかもしれない、と。それがドライバーとなって、「意図的に生きる」ように努力し、「流されない人生」を目指し、「最善と尽くす」という価値観を大切にしてきたように感じます。最後は「なるようになるさ」と楽観的に考えていたのだと思います。

そう考えると、私などは凡人の典型ですから、恐らくすべての人は「意志さえあれば行動は変えられる」そして「行動が変われば自分が変わる」という経験をしているはずです。しかし、その動機はどこから生まれるのか? 動機が強いから行動を変えられるのか? もちろんそうできるはずです。しかし、多くの人は強い動機を持てません。人間は意志が弱いものです。そうなると、どうしたら良いのか? 

私は、まず「えいやと行動を変えちゃうこと」が大切だと思っています。考えて考えて何もしない、ということは避けるべきことです。また、考えてから行動するのではなく、「まず行動してしまう」ことが肝要なのではないかと考えています。

ちょっとした意思があれば行動は変えられます行動が変われば動機が強くなるはずです。その行動による周りの変化を感じ取り、もっとやりたくなる。そして強くなった動機が次の行動を駆り立てるのです。そのサイクルは一度経験すると自信につながり、行動を変えることに躊躇が薄まってきます。大切なのは「最初の一歩」。「ファーストペンギン」即ち「勇気」ですよね。元京大教授で南極越冬隊だった西堀さんがこう言っています。「勇気が自信に先行し、経験が勇気を創る」と。サイクルが回っている人と、初めの一歩が踏み出せない人の違いがそこにあります。

私は同時にその時の一歩を左右する重要なドライバーがあると思っています。それは「誰のために」やるか。そして「誰とやるか」です。思いの先には必ず誰かがいるはずです。利他心が勇気を後押ししてくれるはずです。そして、同じ気持ちを持つ誰かと共に行動したいはずです。共感に包まれずに自信を感じることは難しいものです。仲間と言える誰かと笑顔でチャレンジすることの充実感を私たちは求めているはずです。

 

そう、「チーム」と言える仲間はそこが強みのはずです。お互いを補い合い、人の数だけある「能力」の「総和」以上の成果を出せるのが「チーム」なのです。「集団」のメンバーは、個人の責任の範囲内で仕事をします。そのから出ようとはしません。「チーム」メンバーは個人の責任を越え、チーム全体の責任を全員が感じています。即ち全員が「オーナーシップ」を持つのです。だから、一人一人の能力の総和以上の成果が出せるのです。「誰のために」「誰とやるか」の気持ちが強い人が集まる「チーム」ほど強いものはないと感じます。一人一人がプロアクティブにあるべき方向に向かって行動します。周りを見ながら他のメンバーの行動を感じながら「次」を考えて行動するのです。そう、「広い視野」で「先を見て」行動するのです。それはすべて自分でやらなければならないことではなく、「補完し合って」行えばよいのです。「チーム」の中で育った人々は「コレボレーション」の素晴らしさを体感します。違うチームと仕事をする時チーム同士をつなげる役を果たすでしょう。それが「コラボレーション・リーダーシップ」ですね。

「チーム」に存在している価値観などの特長とはどのようなものなのでしょうか。尊敬、共感、理解、学び、昇華、同期、化学反応、補完、共助、多様な人の集まりであっても目的に向かってはハイコンテクスト・・・などではないかと思います。

 

「行動を変える」「自己を変える」すなわち「自己トランスフォーメーション」に自然とチャレンジする自分になりたいとつくづく思います。できれば、何歳になってもね。

南アルプスを望む@富士見台高原
秋ど真ん中を楽しみたいものですね。

 

抽象化の大切さ

すっかり秋が街に降りてきた感じです。そりゃそうですよね。もう10月ですから。芸術の秋、行楽の秋、食欲の秋・・・皆さんはどのように秋を味わいますか?

 

さて、今日は抽象化の話です。皆さんとお話をしていると、働き方改革が進んだとはいえ、多くの会社員は相変わらずお忙しい。在宅の仕事が主流になり、マネジメントのやり方に悩んでいる方も多い。顧客の市場環境も変化が激しく、多くの企業が試行錯誤の連続。足元のプロジェクトは日常的に課題を抱え、トップラインの伸長とコストダウンの狭間で、日々てんてこ舞い、自転車操業状態に見える。

私はクラアントとのコーチングの初回で、事業課題をお聞きします。そして、それがなかなか解決しないとするならば、その原因を訊ねます。どなたもそうですが、その真因に到達できていない方が多いと感じます。多くが、表面的な手段に頼り解決しようとしています。綻びを縫い付けるだけ。取りあえずは直っても、また別なところが綻んでくる。その繰り返し。結局本質に行きついていないので、同様の問題が繰り返される。とてもよくある話ですね。

プロジェクトメンバーは疲弊し、自らも「こんなに頑張っているのに・・・」と感じつつも綻びを縫い続ける。そのような状況で、更に大きな問題が発生したら、現場は明らかにカオスに陥ります。

もちろん、正解などないのですが、問題解決のアプローチを変える必要を強く感じます。Aという問題が発生⇒その事象を解決する。Bという問題が発生⇒その問題を解決する。そして、C、D・・・と続いていく。さて、そのような1:1の問題解決は早晩経営資源の枯渇と問題の延焼と、メンバーの疲弊、マネジメントの崩壊につながっていく

ちょっとオーバーき聞こえてしまうかもしれませんが、多くの人は心当たりがあるのではないでしょうか。

 

私は、コーチングする際、よく「抽象化してみてください」とお願いします。残念ながらそれができない方が多くいらっしゃいます。「抽象化」とはどのようなことなのでしょうか。

「抽象化」の対語は「具体化」ですよね。「もっと具体的に!」と言われれば、どんどんそこにフォーカスを当てて、細かく細かく特徴を描写するという感じですよね。即ち、より限定的なポイントに限って見ていくわけです。「抽象化」はその逆なわけです。より俯瞰的に見る、横断的に見る、共通点を探す、概念的に見るというような感じです。そうすると、先ほどの、ABCDの個々の問題にフォーカスするだけではなく、そこに横たわる共通的・本質的な問題に気付くことができるわけです。

例えば、「チェックが甘かった」だから「ダブルチェックに変える」というAを解決する具体的アプローチではなく、ABCDの本質は「コミュニケーション不足」「自分のタスクだけやればよいというチームワーク欠如」だと分かるかもしれません。そうなると、「チームビルディングのやり直し」「ミーティングルール改定やITを使った共有のやり方の改革」などが的確なアプローチなのかもしれません。そこまで、本質にたどり着いたら次に行うのが、実は「具体化」ですね。「具体的にどうする?」ということです。それもすべてを重厚長大に考える必要はないかもしれません。ちょっとしたアイデアひとつで解決するかもしれません。手段に大きな経営資源を必要としない変革であるなら、AMAZON「2Waydoor」の考えに則って、ともかく「やってみよう!」と新しいアイデアを実践すればいい。「Try and Error」「Test and Learn」という感じですね。皆が共感してくれれば良いのです。

「抽象的に」問題の本質を掘ってみると、多くの場合はきっと仕組み、プロセス、カルチャー、信頼関係、コミュニケーション、当事者意識・執着心、責任感などのベーススキルなどに行きつくと思います。

また、このような「具体化」⇒「抽象化」⇒「具体化」というようにシフトする経験を味わうことは、人材育成に役立ちます。問題解決、いえ、正しい抽象化による問題解決のプロセスは人材育成のケーススタディーとしてもっとも有効だと言えるのではないでしょうか。

光と陰。
陰の中に物事の本質が潜んでいるのかもしれない。
MOT

 

価値観とオーナーシップとフォロワーシップ

「自分は何者か」というシンプルな問いと向き合ったことがありますか?この問いは、人生で最も重要な問いかもしれません。

私は皆さんに、自分と向き合う時間を作ることをお勧めします。自分とは何者かを問いかけることで、自分の価値観を言語化してほしいのです。何が喜びなのか、何を成し遂げたいのか、誰のために生きているのか、どう在りたいのか、生きるとは何なのかなどです。

 

私の個人的な感覚を少し書きます。考えれば考えるほど、人間関係の渦の中にいることに気付きます。もちろん、一人孤独と闘って生きることに意味を見出している人もいるかもしれません。私はとてもそのように生きることはできません。

既に会社員生活に終止符を打ち、幸い個人事業主として多くのクライアントと定期的にコミュニケーションをとっていますが、それがなくなったら次の人生を再設計する必要があるなと、感じています。即ち、コミュニケーションが私の人生のキーだと感じているのです。傾聴すること、話すことで、相手の混沌をクリアにすることができるはずだと挑戦する。恐らく多くの人はクリアな人生を送りたいと思っているでしょう。スッキリとした気持ちで、在りたい自分の実現に挑戦できればウェルビーイングを感じることでしょう。私もそうです。そんな考えを前提にして生きることに価値を見出しているのです。

価値観を言語化することによって、自分にとって何が大切なのかを明確にすることができます。そうすればフォーカスすべき行動が分かります。それに向かって行動を変えることができやすくなるはずです。

意志さえあれば行動は変えられます。自分を主人公にすることができます。別に舞台の中心で演じられると言っているわけではありません。自分で決められるということです。主体的に生きるということです。

 

自分の人生に向き合うと、これでいいのか?と自分に問いかけることが増えるでしょう。目の前で起こったことを自分とは関係ないと、見なかったことにしてしまうかどうかを想像すると分かりやすいかもしれません。自分のチーム、事業部、会社の、自分の担当外の顧客や仕事に関してたまたま知ることになったチャンスやピンチを、他人事にして聞かなかったことにしますか? 僕の担当じゃないと。

もしくは、その話を当該担当を探して伝えますか? 結局はたらい回しにあって匙を投げますか? それとも、自分の力で解決するように動きますか? こんな話は枚挙に遑がありませんよね。私も何回も経験しました。企業には担当が不明確な仕事はいくらでもあります。どのセクションが担当なのかを調べようもない仕事もたくさんあります。あなたはその時、放っておきますか?

亡くなった稲盛さんが、JALの再生を任された時、事実上倒産しているJALの社員が皆他人事だったことを感じ、一人一人が「自分がJALだ」と思ってほしいというような話をしていたと聞きます。皆が他人事で事業の再生などはできるわけがありません。一人一人が血も汗も流し、絶対何とか再生させてみせると当事者意識すなわちオーナーシップを持たなければなりません。JALは全くその真逆だったのです。再生途上のJALの社長~会長だった大西さんに話を聴いたことがあります。なぜ、社員だけで改革できなかったのかとの問いに、彼は「(当事者意識を失った社員ではできなかった)(おかしいことをおかしいと言える)外の血が必要だった」というようなことを仰っていました。

誰も自分のことを自分がJALだとは思っていなかったんですね。それに気付いた稲盛さんの改革はさぞ苦しいものだったと推察できます。他人事・無関心ほど恐ろしいものはありません。逆に、自分事、オーナーシップ、当事者意識の強い社員ほど強いものはありません。誰も見て見ぬ振りはしないし、自分のこととして困難に立ち向かっていくでしょう。

 

自分と向き合うとき、向き合う課題の一つが信頼関係だと感じます。空気を読んだり、傷つけたくないなどと感じて、言いたいことも言えない(意図的に言わない)ことで信頼関係は構築できるのか。傷つけないことが優しさだと勘違いしていませんか? 結局は問題を放置していることにつながっていませんか? 「アサーティブ(assertive)コミュニケーション」という言葉を聞いたことはありませんか? DIAMOND onlineでは「適切な日本語に訳すのが難しいですが、『自分の気持ちをごまかさず、相手の気持ちも尊重した上で、適切に自己主張する様子』といったような意味です」と表現しています。要は、上品に言いたいことを言うことですね。ところが日本、とりわけムラ社会の色の濃い組織では、言いたいことが言えない。言うのは常に年長者。そして彼らは単刀直入に人を傷つける言葉で命令を下すのです。そんな組織で育った人にアサーティブなコミュニケーションは難しいでしょうね。問題は言いたいことを言えるかどうかです。森真一氏の書いた「ほんとはこわい『やさしさ社会』」の中に、相手を傷つけないようにするのが「予防的やさしさ」。その背景には、相手を傷つけたら立ち直れないという思い込みがある。もう一つが、「治癒的やさしさ」。なんでもストレートに話す。それで相手が傷ついてもそれは修復可能だ。ケアするのが優しさだ、という考え。前者が優しさだと思っている日本人。子供のころからブレストなどで激しい議論をやりなれている欧米は、完全に後者です。日本は前者の典型。日本が本質的な問題に立ち入らずに、ずるずると時間任せにしてしまう構図がよく出ていますね。

もちろん、我儘な表現や汚い表現で話せと言っているわけではありません。アサーティブなコミュニケーションは「治癒的やさしさ」に通じる考え方だろうと思います。同時に「インクルーシブ」という考え方とも通じますね。

日本人の多くはコミュニケーションが下手です。もしくは、コミュニケーションを避けていますね。面倒だと感じているのかもしれません。率先して孤立するように行動している人もたくさんいます。在宅ワークが増え、結局はそれに苦しんでいる人もいます。それはちょっとした努力で解決できる問題かもしれませんね。

 

話は、拡がります。フォロワーシップという言葉をご存じだと思います。フォロワーというとリーダーの指示に従う盲目的な補佐役のように思っている人も多いでしょう。実は今「フォロワーシップ」の重要性に注目が集まっています。例えばグロービスのコンテンツにあるくらいです。ロバート・ケリー教授が指導力革命」でこのようなことを書いています。細かくは書きません(興味のある方はネットで調べてください)。フォロワーには5つの分類があります。①消極的フォロワー②順応型フォロワー③孤立型フォロワー④実務型フォロワー⑤模範的フォロワー です。考え方の重要なポイントは、横軸に関与度、縦軸に批判的思考を置いていることです。即ち、関与が積極的か消極的か、批判的な考え方を独自の視点で持っているか、依存的かです。

想像の通り、⑤模範的フォロワーは、自分で考えリーダーに対し建設的な提言・批判をし、組織に貢献するのです。前提はリーダーは万能ではないということ。当たり前ですよね。そう感じていているのに何も行動しないのなら、その時点ですべて他人事という証拠です。そして、どんどんフラット化し、多様なミッションを各自が持つ中で、全員がリーダーでありフォロワーでなければならない。即ち、あるミッションにおいてはリーダーシップを発揮しチームを目標に導いていく。あるミッションにおいては、フォロワーとして自分の能力を発揮しリーダーを支え、独自の視点でリーダーに意見を言いながらミッションの完遂にオーナーシップを持つ。模範的フォロワーがいないと、リーダーは裸の王様に陥ってしまうのは、皆さんの想像の通りでしょう。

 

他人事、自分事などの話から始めましたが、フォロワーシップは他人事と近い価値観だと思ったら大間違いだと言いたかったのです。リーダーだろうが、フォロワーだろうがオーナーシップのないメンバーは活躍できないし、貢献できないと思うのです。独自の提言や批判は自分事として(自分は何者かという考えが、ある程度昇華している状態)考えられなければ、できるものではありません。

 

前回、リーダーに反対表明ができますか?と問いかけました。実は、正に優れたフォロワーは自分の意見を組織のために遠慮なく言えるのです。そして、組織のトップ(リーダー)にはそんな「模範的フォロワー」が必要不可欠なのです。

台風が過ぎれば本格的な秋が始まる。旅に行きたいと感じる今日この頃。
浜離宮恩賜庭園

 

勇気ある反対表明

「勇気ある反対表明」について書きたいと思います。

 

あなたは上司やトップが決めたことに反対できますか? 企業や事業部には“経営システム”があります。例えば、承認ルールや意思決定ルールなどもそうです。企業であれば、取締役会がその典型ですし、事業部や部では同様に○○会議や△△審査会議などがそれに当たります。意思決定は往々にして失敗します。それはそうです。判断に絶対はありませんし、判断材料がそろわなくても決めなければならない時は訪れます。それに、リスクがあるからと、すべての案件を却下すれば成長などあり得ません。もし、ある案件で判断が間違っていて失敗、例えば大きな損失を被ったとき、トップは批判に晒されます。「あなたは独断で決めたのですか?」と問われ、「反対なら反対と言える場はあったが、誰の反対もなかった」と言うでしょう。そうなると、意思決定の場にいたメンバーの責任も問われますよね。しかし、その時あなたは、Aというリスクが顕在化する可能性が高く、やめるべきだと言えたでしょうか。やめるべきだ、もしくはもっとこういう観点で考察すべきだ、もしくはこうなったらどうするかのプランBを用意すべきだ、などと言えますか? 

それが直観にも似たリスクの匂いがするだけの理由で、やめるべきだという主張をして通じますか? だったら君ならどうすると問われた時に、確固たる意見を言えないので反対意見を言いうことを躊躇したり、トップの強い意思を汲み取り言えなかったりしませんか? しかし、トップだって間違いますし、盲目的になります(これも前に書きましたよね)。特に業績がイマイチでマーケットや上位職から批判されているなどという環境下では、一発逆転ホームランを打ちたくなるものです。「どうだ!」と言いたくなるのも分かりますね。しかし、それがどれだけ危険なことか。意思決定のプロセスの中で、怪しい状況変化のアラートを感じても、それに目をつぶり突っ走るリスクがあるのは、以前に話しましたね。(「THINK AGAIN」に関して書いた時も同様の話をした記憶があります。)そのようなトップの迷走や大企業の泥沼を書いたのが「GE帝国盛衰史」です。あの名門GE、名経営者で名を馳せたジャック・ウェルチの時代から迷走が始まっていたとは、全く知らなかった。

 

企業や組織のトップがやってはいけないことは、

傲慢、強すぎるリーダーシップ、不透明な意思決定、YESマンの登用、事実の隠ぺい、過度な業績至上主義、業績に偏った評価・プレッシャー、間違ったコストダウン(削ってはならないコストがある)、グレーな会計処理、リスクの先送り、その場しのぎで何とかできたことに満足することなどなど。この本には企業人にとっての間違ったリーダーシップがちりばめられている。それが事実(だと思われる)だからこそ反面教師になる。管理職の皆さんに、是非読んでいただきたい名著です。サラリーマン人生を変える史書といってもいいと思います。

 

一方、明朗快活で、コミュニケーション能力にたけ、部下とフランクに話し、頼りがいがある・・・というような雰囲気だけに信頼感情を寄せて、経営資質の欠如に気付かないと、ステークホルダーの多くは騙されてしまいます。もちろん、トップ自身はは騙しているつもりではなく、自分の資質が足りないことに気付いていないのです。いわゆる典型的な「裸の王様」なのです。

近年の企業のスキャンダルを聞いただけでも、両方とも相当数存在していると思いますね。同時にこれは企業カルチャーが育てたモンスターなのではないかともよぎります。

 

「勇気ある反対表明」が飛び交う職場が最も健全なのです。YESマンの部下で染まった多様性のない組織は必ず大きな失敗をします。それは間違いありません。傲慢なトップも実は頭ではそれは分かっていますし、自分はそうではないと思っているに違いないのです。信じられないかもしれませんが、間違いありません。指摘しても「そうかな~」と本気で信じられない反応をしますよ。だからこそ、遠慮なく言いたいことを言うべきなのです。トップに対して「多様な意見は必要ですよね。それを求めてますよね。耳が痛い話こそ大切だと思っていますよね。裸の王様になりたくないでよね。だから遠慮なく言いますよ」と言えばよいのです。絶対にトップは「もちろんだ。遠慮なく言ってくれ。私はそういう部下を望んでいる」と必ず言いますから(*^^)v 

万が一そう言わなかったら、それはかなり重篤な状況ですね。あなたは諦めてその組織から出るべきです。変えようと足掻いたらあなたが傷つく可能性が高いですから。

 

あなたが組織のトップや管理職だったら、部下が辛口の意見をどんどん言ってくるのに閉口していたとしても、良い組織をもって幸せだと思うべきです。少々面倒臭いですけどね(笑)

つづきはまた書きますね。

上司はいつも正しいとは限りません。傘をさしていたら、
清々しい青空も、降り出しそうな怪しい雲も見えません。
 和傘を借りて日傘代わりに歩いた。@浜離宮恩賜庭園