抽象化の大切さ

すっかり秋が街に降りてきた感じです。そりゃそうですよね。もう10月ですから。芸術の秋、行楽の秋、食欲の秋・・・皆さんはどのように秋を味わいますか?

 

さて、今日は抽象化の話です。皆さんとお話をしていると、働き方改革が進んだとはいえ、多くの会社員は相変わらずお忙しい。在宅の仕事が主流になり、マネジメントのやり方に悩んでいる方も多い。顧客の市場環境も変化が激しく、多くの企業が試行錯誤の連続。足元のプロジェクトは日常的に課題を抱え、トップラインの伸長とコストダウンの狭間で、日々てんてこ舞い、自転車操業状態に見える。

私はクラアントとのコーチングの初回で、事業課題をお聞きします。そして、それがなかなか解決しないとするならば、その原因を訊ねます。どなたもそうですが、その真因に到達できていない方が多いと感じます。多くが、表面的な手段に頼り解決しようとしています。綻びを縫い付けるだけ。取りあえずは直っても、また別なところが綻んでくる。その繰り返し。結局本質に行きついていないので、同様の問題が繰り返される。とてもよくある話ですね。

プロジェクトメンバーは疲弊し、自らも「こんなに頑張っているのに・・・」と感じつつも綻びを縫い続ける。そのような状況で、更に大きな問題が発生したら、現場は明らかにカオスに陥ります。

もちろん、正解などないのですが、問題解決のアプローチを変える必要を強く感じます。Aという問題が発生⇒その事象を解決する。Bという問題が発生⇒その問題を解決する。そして、C、D・・・と続いていく。さて、そのような1:1の問題解決は早晩経営資源の枯渇と問題の延焼と、メンバーの疲弊、マネジメントの崩壊につながっていく

ちょっとオーバーき聞こえてしまうかもしれませんが、多くの人は心当たりがあるのではないでしょうか。

 

私は、コーチングする際、よく「抽象化してみてください」とお願いします。残念ながらそれができない方が多くいらっしゃいます。「抽象化」とはどのようなことなのでしょうか。

「抽象化」の対語は「具体化」ですよね。「もっと具体的に!」と言われれば、どんどんそこにフォーカスを当てて、細かく細かく特徴を描写するという感じですよね。即ち、より限定的なポイントに限って見ていくわけです。「抽象化」はその逆なわけです。より俯瞰的に見る、横断的に見る、共通点を探す、概念的に見るというような感じです。そうすると、先ほどの、ABCDの個々の問題にフォーカスするだけではなく、そこに横たわる共通的・本質的な問題に気付くことができるわけです。

例えば、「チェックが甘かった」だから「ダブルチェックに変える」というAを解決する具体的アプローチではなく、ABCDの本質は「コミュニケーション不足」「自分のタスクだけやればよいというチームワーク欠如」だと分かるかもしれません。そうなると、「チームビルディングのやり直し」「ミーティングルール改定やITを使った共有のやり方の改革」などが的確なアプローチなのかもしれません。そこまで、本質にたどり着いたら次に行うのが、実は「具体化」ですね。「具体的にどうする?」ということです。それもすべてを重厚長大に考える必要はないかもしれません。ちょっとしたアイデアひとつで解決するかもしれません。手段に大きな経営資源を必要としない変革であるなら、AMAZON「2Waydoor」の考えに則って、ともかく「やってみよう!」と新しいアイデアを実践すればいい。「Try and Error」「Test and Learn」という感じですね。皆が共感してくれれば良いのです。

「抽象的に」問題の本質を掘ってみると、多くの場合はきっと仕組み、プロセス、カルチャー、信頼関係、コミュニケーション、当事者意識・執着心、責任感などのベーススキルなどに行きつくと思います。

また、このような「具体化」⇒「抽象化」⇒「具体化」というようにシフトする経験を味わうことは、人材育成に役立ちます。問題解決、いえ、正しい抽象化による問題解決のプロセスは人材育成のケーススタディーとしてもっとも有効だと言えるのではないでしょうか。

光と陰。
陰の中に物事の本質が潜んでいるのかもしれない。
MOT

 

価値観とオーナーシップとフォロワーシップ

「自分は何者か」というシンプルな問いと向き合ったことがありますか?この問いは、人生で最も重要な問いかもしれません。

私は皆さんに、自分と向き合う時間を作ることをお勧めします。自分とは何者かを問いかけることで、自分の価値観を言語化してほしいのです。何が喜びなのか、何を成し遂げたいのか、誰のために生きているのか、どう在りたいのか、生きるとは何なのかなどです。

 

私の個人的な感覚を少し書きます。考えれば考えるほど、人間関係の渦の中にいることに気付きます。もちろん、一人孤独と闘って生きることに意味を見出している人もいるかもしれません。私はとてもそのように生きることはできません。

既に会社員生活に終止符を打ち、幸い個人事業主として多くのクライアントと定期的にコミュニケーションをとっていますが、それがなくなったら次の人生を再設計する必要があるなと、感じています。即ち、コミュニケーションが私の人生のキーだと感じているのです。傾聴すること、話すことで、相手の混沌をクリアにすることができるはずだと挑戦する。恐らく多くの人はクリアな人生を送りたいと思っているでしょう。スッキリとした気持ちで、在りたい自分の実現に挑戦できればウェルビーイングを感じることでしょう。私もそうです。そんな考えを前提にして生きることに価値を見出しているのです。

価値観を言語化することによって、自分にとって何が大切なのかを明確にすることができます。そうすればフォーカスすべき行動が分かります。それに向かって行動を変えることができやすくなるはずです。

意志さえあれば行動は変えられます。自分を主人公にすることができます。別に舞台の中心で演じられると言っているわけではありません。自分で決められるということです。主体的に生きるということです。

 

自分の人生に向き合うと、これでいいのか?と自分に問いかけることが増えるでしょう。目の前で起こったことを自分とは関係ないと、見なかったことにしてしまうかどうかを想像すると分かりやすいかもしれません。自分のチーム、事業部、会社の、自分の担当外の顧客や仕事に関してたまたま知ることになったチャンスやピンチを、他人事にして聞かなかったことにしますか? 僕の担当じゃないと。

もしくは、その話を当該担当を探して伝えますか? 結局はたらい回しにあって匙を投げますか? それとも、自分の力で解決するように動きますか? こんな話は枚挙に遑がありませんよね。私も何回も経験しました。企業には担当が不明確な仕事はいくらでもあります。どのセクションが担当なのかを調べようもない仕事もたくさんあります。あなたはその時、放っておきますか?

亡くなった稲盛さんが、JALの再生を任された時、事実上倒産しているJALの社員が皆他人事だったことを感じ、一人一人が「自分がJALだ」と思ってほしいというような話をしていたと聞きます。皆が他人事で事業の再生などはできるわけがありません。一人一人が血も汗も流し、絶対何とか再生させてみせると当事者意識すなわちオーナーシップを持たなければなりません。JALは全くその真逆だったのです。再生途上のJALの社長~会長だった大西さんに話を聴いたことがあります。なぜ、社員だけで改革できなかったのかとの問いに、彼は「(当事者意識を失った社員ではできなかった)(おかしいことをおかしいと言える)外の血が必要だった」というようなことを仰っていました。

誰も自分のことを自分がJALだとは思っていなかったんですね。それに気付いた稲盛さんの改革はさぞ苦しいものだったと推察できます。他人事・無関心ほど恐ろしいものはありません。逆に、自分事、オーナーシップ、当事者意識の強い社員ほど強いものはありません。誰も見て見ぬ振りはしないし、自分のこととして困難に立ち向かっていくでしょう。

 

自分と向き合うとき、向き合う課題の一つが信頼関係だと感じます。空気を読んだり、傷つけたくないなどと感じて、言いたいことも言えない(意図的に言わない)ことで信頼関係は構築できるのか。傷つけないことが優しさだと勘違いしていませんか? 結局は問題を放置していることにつながっていませんか? 「アサーティブ(assertive)コミュニケーション」という言葉を聞いたことはありませんか? DIAMOND onlineでは「適切な日本語に訳すのが難しいですが、『自分の気持ちをごまかさず、相手の気持ちも尊重した上で、適切に自己主張する様子』といったような意味です」と表現しています。要は、上品に言いたいことを言うことですね。ところが日本、とりわけムラ社会の色の濃い組織では、言いたいことが言えない。言うのは常に年長者。そして彼らは単刀直入に人を傷つける言葉で命令を下すのです。そんな組織で育った人にアサーティブなコミュニケーションは難しいでしょうね。問題は言いたいことを言えるかどうかです。森真一氏の書いた「ほんとはこわい『やさしさ社会』」の中に、相手を傷つけないようにするのが「予防的やさしさ」。その背景には、相手を傷つけたら立ち直れないという思い込みがある。もう一つが、「治癒的やさしさ」。なんでもストレートに話す。それで相手が傷ついてもそれは修復可能だ。ケアするのが優しさだ、という考え。前者が優しさだと思っている日本人。子供のころからブレストなどで激しい議論をやりなれている欧米は、完全に後者です。日本は前者の典型。日本が本質的な問題に立ち入らずに、ずるずると時間任せにしてしまう構図がよく出ていますね。

もちろん、我儘な表現や汚い表現で話せと言っているわけではありません。アサーティブなコミュニケーションは「治癒的やさしさ」に通じる考え方だろうと思います。同時に「インクルーシブ」という考え方とも通じますね。

日本人の多くはコミュニケーションが下手です。もしくは、コミュニケーションを避けていますね。面倒だと感じているのかもしれません。率先して孤立するように行動している人もたくさんいます。在宅ワークが増え、結局はそれに苦しんでいる人もいます。それはちょっとした努力で解決できる問題かもしれませんね。

 

話は、拡がります。フォロワーシップという言葉をご存じだと思います。フォロワーというとリーダーの指示に従う盲目的な補佐役のように思っている人も多いでしょう。実は今「フォロワーシップ」の重要性に注目が集まっています。例えばグロービスのコンテンツにあるくらいです。ロバート・ケリー教授が指導力革命」でこのようなことを書いています。細かくは書きません(興味のある方はネットで調べてください)。フォロワーには5つの分類があります。①消極的フォロワー②順応型フォロワー③孤立型フォロワー④実務型フォロワー⑤模範的フォロワー です。考え方の重要なポイントは、横軸に関与度、縦軸に批判的思考を置いていることです。即ち、関与が積極的か消極的か、批判的な考え方を独自の視点で持っているか、依存的かです。

想像の通り、⑤模範的フォロワーは、自分で考えリーダーに対し建設的な提言・批判をし、組織に貢献するのです。前提はリーダーは万能ではないということ。当たり前ですよね。そう感じていているのに何も行動しないのなら、その時点ですべて他人事という証拠です。そして、どんどんフラット化し、多様なミッションを各自が持つ中で、全員がリーダーでありフォロワーでなければならない。即ち、あるミッションにおいてはリーダーシップを発揮しチームを目標に導いていく。あるミッションにおいては、フォロワーとして自分の能力を発揮しリーダーを支え、独自の視点でリーダーに意見を言いながらミッションの完遂にオーナーシップを持つ。模範的フォロワーがいないと、リーダーは裸の王様に陥ってしまうのは、皆さんの想像の通りでしょう。

 

他人事、自分事などの話から始めましたが、フォロワーシップは他人事と近い価値観だと思ったら大間違いだと言いたかったのです。リーダーだろうが、フォロワーだろうがオーナーシップのないメンバーは活躍できないし、貢献できないと思うのです。独自の提言や批判は自分事として(自分は何者かという考えが、ある程度昇華している状態)考えられなければ、できるものではありません。

 

前回、リーダーに反対表明ができますか?と問いかけました。実は、正に優れたフォロワーは自分の意見を組織のために遠慮なく言えるのです。そして、組織のトップ(リーダー)にはそんな「模範的フォロワー」が必要不可欠なのです。

台風が過ぎれば本格的な秋が始まる。旅に行きたいと感じる今日この頃。
浜離宮恩賜庭園

 

勇気ある反対表明

「勇気ある反対表明」について書きたいと思います。

 

あなたは上司やトップが決めたことに反対できますか? 企業や事業部には“経営システム”があります。例えば、承認ルールや意思決定ルールなどもそうです。企業であれば、取締役会がその典型ですし、事業部や部では同様に○○会議や△△審査会議などがそれに当たります。意思決定は往々にして失敗します。それはそうです。判断に絶対はありませんし、判断材料がそろわなくても決めなければならない時は訪れます。それに、リスクがあるからと、すべての案件を却下すれば成長などあり得ません。もし、ある案件で判断が間違っていて失敗、例えば大きな損失を被ったとき、トップは批判に晒されます。「あなたは独断で決めたのですか?」と問われ、「反対なら反対と言える場はあったが、誰の反対もなかった」と言うでしょう。そうなると、意思決定の場にいたメンバーの責任も問われますよね。しかし、その時あなたは、Aというリスクが顕在化する可能性が高く、やめるべきだと言えたでしょうか。やめるべきだ、もしくはもっとこういう観点で考察すべきだ、もしくはこうなったらどうするかのプランBを用意すべきだ、などと言えますか? 

それが直観にも似たリスクの匂いがするだけの理由で、やめるべきだという主張をして通じますか? だったら君ならどうすると問われた時に、確固たる意見を言えないので反対意見を言いうことを躊躇したり、トップの強い意思を汲み取り言えなかったりしませんか? しかし、トップだって間違いますし、盲目的になります(これも前に書きましたよね)。特に業績がイマイチでマーケットや上位職から批判されているなどという環境下では、一発逆転ホームランを打ちたくなるものです。「どうだ!」と言いたくなるのも分かりますね。しかし、それがどれだけ危険なことか。意思決定のプロセスの中で、怪しい状況変化のアラートを感じても、それに目をつぶり突っ走るリスクがあるのは、以前に話しましたね。(「THINK AGAIN」に関して書いた時も同様の話をした記憶があります。)そのようなトップの迷走や大企業の泥沼を書いたのが「GE帝国盛衰史」です。あの名門GE、名経営者で名を馳せたジャック・ウェルチの時代から迷走が始まっていたとは、全く知らなかった。

 

企業や組織のトップがやってはいけないことは、

傲慢、強すぎるリーダーシップ、不透明な意思決定、YESマンの登用、事実の隠ぺい、過度な業績至上主義、業績に偏った評価・プレッシャー、間違ったコストダウン(削ってはならないコストがある)、グレーな会計処理、リスクの先送り、その場しのぎで何とかできたことに満足することなどなど。この本には企業人にとっての間違ったリーダーシップがちりばめられている。それが事実(だと思われる)だからこそ反面教師になる。管理職の皆さんに、是非読んでいただきたい名著です。サラリーマン人生を変える史書といってもいいと思います。

 

一方、明朗快活で、コミュニケーション能力にたけ、部下とフランクに話し、頼りがいがある・・・というような雰囲気だけに信頼感情を寄せて、経営資質の欠如に気付かないと、ステークホルダーの多くは騙されてしまいます。もちろん、トップ自身はは騙しているつもりではなく、自分の資質が足りないことに気付いていないのです。いわゆる典型的な「裸の王様」なのです。

近年の企業のスキャンダルを聞いただけでも、両方とも相当数存在していると思いますね。同時にこれは企業カルチャーが育てたモンスターなのではないかともよぎります。

 

「勇気ある反対表明」が飛び交う職場が最も健全なのです。YESマンの部下で染まった多様性のない組織は必ず大きな失敗をします。それは間違いありません。傲慢なトップも実は頭ではそれは分かっていますし、自分はそうではないと思っているに違いないのです。信じられないかもしれませんが、間違いありません。指摘しても「そうかな~」と本気で信じられない反応をしますよ。だからこそ、遠慮なく言いたいことを言うべきなのです。トップに対して「多様な意見は必要ですよね。それを求めてますよね。耳が痛い話こそ大切だと思っていますよね。裸の王様になりたくないでよね。だから遠慮なく言いますよ」と言えばよいのです。絶対にトップは「もちろんだ。遠慮なく言ってくれ。私はそういう部下を望んでいる」と必ず言いますから(*^^)v 

万が一そう言わなかったら、それはかなり重篤な状況ですね。あなたは諦めてその組織から出るべきです。変えようと足掻いたらあなたが傷つく可能性が高いですから。

 

あなたが組織のトップや管理職だったら、部下が辛口の意見をどんどん言ってくるのに閉口していたとしても、良い組織をもって幸せだと思うべきです。少々面倒臭いですけどね(笑)

つづきはまた書きますね。

上司はいつも正しいとは限りません。傘をさしていたら、
清々しい青空も、降り出しそうな怪しい雲も見えません。
 和傘を借りて日傘代わりに歩いた。@浜離宮恩賜庭園

 

人生は「ガチャ」で決まるのか

「World Giving Index」(イギリスの慈善団体の調査)によると、「寄付や人助けにどれくらい積極的か」というランキングで、日本は対象114ヵ国中最下位だった。

駒沢大学准教授の井上さんは「日本は『貧しい人を助けないでいい』という人が多い一方で、『お金持ちを許せない』という人も多い。どちらも気に食わないんです。どうも、まともに働いて普通に生活している人が一番偉くて、貧しい人に対しては『努力が足りない』と見ているし、お金持ちは『どうせ悪いことをしている』と見ているようです」と仰る。

例えばそのような偏見はアメリカの方が強そうだと感じるが、「(日本は)自分と立場の違う人への偏見が強い。それはアメリカに比べても激しくて、例えば、アメリカでは伝統的にお金持ちは憧れの存在で、事業に成功して富を築いた人は尊敬されますが、日本はそうではありません。ホームレスや生活保護を受けている人たちへの風当たりも、日本は非常に強いです」と分析している。

 

成功するかどうかは運で決まるのだろうか。サンデル教授の新作「実力も運のうち 能力主義は正義か?」はまだ読んでいませんが、中に「『大学教育を受けられるか受けられないか』がクリティカルポイントで、それには能力というより親次第という面がある。『親のおかげで大学に行った人が、それなりに頑張ってお金持ちになったからと言って、偉そうなことを言うのはおかしい」という論点がある。つまり子供は親を選べず、どのような環境で育つかで人生の多くは決まってしまうのだろうか、という論点ですね。本人の努力で決まるんだろうと思っても、お金がなければ進学できないし、その前に塾にも行けないし、参考書も買えない。家計を助けるために朝も夕方も働き、クラブ活動もできないし、勉強する時間もないかもしれない。勉強なんて意味はない、そんな時間があったら働けとずっと言われて育つ人もいる。自分の力ではどうしようもないことはたくさんある。特に子供であればいかんともしがたい。つまり、人生は運しだいということになる。井上氏は「『貧しい家庭から這い上がって成功した』という人も、もちろん本人が努力した結果とは思いますが、『努力する能力をどこかで身につけることに成功した』という意味で、究極的にはやはり運が良かったのではないかとも思うんです」

即ち「人生はすべてガチャで決まる」たまたまクラス替えで出会ったいじめっ子に、たまたまいじめのきっかけとなるシャツのほころびを見られたことから、人生が変わったりもする。昇格選抜の前に異動命令が出て、行った先の上司は子飼いを優先し、チャンスを失い、我慢して努力をして成果を出していよいよという時にまた異動、などという話もある。その逆で運の良い人もいる。出会いや、タイミング。それは本人の努力ではない。しかし、それを逃さなかったセンスや勇気がその影にはきっとあったのだろう。一歩踏み出せるかどうか、心に飛び込めるかどうか、チャンスを得られない人と得られる人の違いは大きい。しかし、その素養もどこかで運よく得られたものなのかもしれない。人生は「ガチャ」なのだろうか。

 

ポイントとして「出会い」を大切にすることを上げたい。何度も私のブログに登場する出口さんの「本を読め、人に会え、旅に出ろ」という言葉に、私は強く共感している。スイッチを入れるきっかけは、バッターボックスに立つ数でも決まるはずだ。鈍感な人でも、打率の低い人でもヒーローになり得るように、覚醒することができるはずだ。

 

失敗している人を指さし「自己責任」だと叩く人がとても多い。ネットではそんな書き込みで溢れている。あなたは自分の能力によって成功したのですか? 運がよかっただけでしょ。それなのに失敗した人を叩き、ざまあみろ、自分が悪いんだと蔑む。最低ですね。自分を高みに置くことで優越感を得る。人を蔑むことでマウントを取って留飲を下げている。もちろん自業自得という価値観は大切だ。努力した人が報われる社会にしたいものだと思う。しかし、上司の前では頑張っている振りをして、いなくなればサボるひともたくさんいる。私が学生時代アルバイトをしていて、同僚は毎日遅刻をしてきた。しかし、怒られるわけでも注意されるわけでもなく、どういうこと?と不条理を感じていたところ、給料日に彼はその分バイト料を減らされていたことを知り、お天道様はちゃんと見ていると心の中だけで留飲を下げた経験がある。

 

貧しい人を国が支援すべきかどうか。日本は主要国の中で最も「そんなことをすべきではない「貧しいのは自己責任だ」という比率が高く40%にもなるのだそうだ。もちろん「自己責任」という価値観は大切だと思う。他人に迷惑をかけたくないから自分で何とかするとか、努力によって成し遂げられることはあると思ったり、自分を律したり。しかし、上記のように努力ではどうしようもないことも多いことも間違いはないのに、そう思ってしまう日本人。なんだか嫌な国民性ですね。

 

「自己責任」を過度に振りかざす人は、もしかすると、自分が羨むような成功を収めている人に対しては、羨(うらや)み、妬(ねた)み、嫉(そね)み、せめて皮肉をいうことで留飲を下げているという弱者の情けない行動と、自分より失敗をしている人を蔑みマウントを取る弱者の情けない行動、の両面を持っているのではないだろうか。何れも、自分と向き合っていない、即ち「自分は何者なのか」を考えたことがない証左なのではないだろうか。深く向き合えば、決してそのような態度で入れれないと思うのだ。

 

人生って、何かに抗うことだと感じる時がある。流れに身を任せるのではなく、流れを変える行動をとること。それには勇気がいるし、リスクはあるし、疲れるし、面倒だし、共感されないかもしれない。でも、「正しい道は何なのか」「自分の使命は何なのか」を考え続ける人生が人を成長させるのではないだろうか。それは妬むことや蔑むことは真逆の価値観だと感じる。すべて「自分は何者なのか」が原点になるはずだ。

夏の名残り。
9月の公園は寂しい。

 

 

言葉の影響力

少々前の話です。私がCMOだった頃、エモい」という言葉が巷で言われ始めました。恐らく、最初はマーケティングを進める上での価値観として「Emotional」という意味で使われ始めたのではないかと、私は思っています(事実は闇の中)。

確かに「Emotional」であることはとても大きな価値です。B2BであろうがB2Cであろうが、消費者、意思決定者の心情に刺さるメッセージが求められるのです。そこにはロジックや経験では設計できない情感があるはずですよね。

それが、いつの間にか「エモい」として闊歩するようになったのです。使い方も今私が言ったことをはるかに超越して、私には説明できない世界に昇華されていますね(笑)

言葉ってすごく影響力がある。言葉の流行で本質的な意味を思い出させてくれる社会的な影響力を感じることもあります。

必ずしも新しい言葉にビビッドではない私が最近キーワードだねと感じた、古くて新しい言葉が「ポリコレ」です。多くの人が既に使っているのかもしれません。私は知らなかった。しかし、社会価値として非常に重要な言葉であり、その言葉が拡がることにより、社会がよくなる可能性を感じる言葉だと思いました。「パリコレ」じゃないですよ。古いね(笑)

 

「ポリコレ」とは、ポリティカル・コレクトネス」のことで、性別や人種、職業、信条などなどにおいて偏見や差別を生まないような表現を用いることです。政治的な中立性と言ってもいいかもしれませんが、よく分かりませんよね。実は「ポリコレ」という言葉を知っているかどうかは別として、その流れは皆さんよく分かっているはずです。

例えば、「スチュワーデス」という言葉は「フライトアテンダント」、「看護婦」が「看護師」、「伝染病」が「感染症」、「痴呆症」が「認知症」、「インディアン」を「ネイティブアメリカン」などは皆「ポリコレ」により変わったものなのです。

私の親の世代は、疑問も持たずに偏見的な言葉を使っていたように思います。このような表現の適正化は恐らくほんの3、40年の変化ではないでしょうか。

今では、当たり前の価値観として正しく言葉を選ぶ行動が自然になってきました。いえいえ、もしかしたら足元では「おっと・・・」と感じることがあるのかもしれません。

一種「エモい」と通じる軽いノリの「ポリコレ」。その重さは全然違いますよね。でも、いいんです。それを若者たちが正しく使ってくれれば、社会はもっと良くなるはずです。

「それエモいね」というように「それ、『ポリコレ』じゃネ」なんて若者が話す社会は嫌いじゃない。

これちょっとエモいでしょ(笑)
東京都現代美術館MOT)

 

GRITと再考

今から25年くらい前のことです。スタッフの部長に異動し、ITサービス事業を担う事業部を対象とした「上級セールスマンコース」のコンテンツを作っていました。ポイントは「スキル」。スキルというと「業務ノウハウ」とか「テクニカルスキル」を思い出すでしょうが、そればかりに目を向けていると見逃してしまう重要なポイントに気付いて欲しいという狙いの教育です。例えば、いかにテクニカルスキルに優れた天才でも、問題が起きている現場で第三者になってしまい、事実に向き合わなければ誰からも信頼されません。そのように「スキル」を支えるものがあるはずです。それに気付き、その本質に向き合うことを求めるのが主旨です。

 

それを我々は「ベーススキル」と呼んでいました。本当は「スキル」ではなく、マインドセットとか行動原則という類です。

 

例えば、当事者意識、執着心、責任感、チャレンジ精神、突き詰める力、好奇心、先見性・・・などというものです。ビジネスマンとして成果が出ない時、その理由を分析し同じ過ちを犯さないようにする取り組みは非常に重要ですが、多くの場合はその結論は表面的で何の学びにもなりません。例えば、なぜコンペで敗退したか? 分析した結果が「価格が高かったから」「提案書の技術点が足りなかったから」・・・という具合ではただの現象でしかなく、何の反省材料にもなりませんね。なぜもう一歩踏み込まなかったのか? なぜもっと情報を収集しなかったのか? リソース不足ならなぜ上層部に直談判して要員を借りなかったのか? 等々多様な反省があるはずですね。なぜそのような妥協や甘さや躊躇や危機感の欠如をしてしまったのか? その裏に何があったのかが「本質」でしょう。その「本質」に向き合わなければ学びと成長はないと強く思います。例えば、「誰かがやってくれるだろうと、当事者意識が足りなかった」と反省すべきですね。

 

そうです。実は問題の原因の多くが「ベーススキル」の欠如なのです。私はクライアントに、部下との1on1でその本質に向き合う(ベーススキルの欠如に向き合う)コーチンをするよう促しています。それが人材育成に最も重要で、実は欠落している要素だと思うからです。

 

さて、その10年以上後によく言われ始めた言葉があります。皆さんもよくご存じの「GRIT」です。「やり抜く力」などとも言われます。Guts(度胸)。Resilience(復元力)。Initiative(自発性)。Tenacity(執着)。の4つですね。  

 

さて、皆さんもお気づきの通り、「ベーススキル」と「GRIT」は酷似しています。私はそれらがビジネスパーソンにとって最も重要なマインドセットだと思っています。

 

ところが、最近の研究でGRITの問題を指摘した人がいます。アダム・グラントです。彼は最新の著書「THINK AGAIN」で、考え直すことの重要性を研究によって解き明かしています。その中でこのように書いています。「回避可能である失敗を回避できないのは、立場固定バイアス*によるところが大きい。だが、もう一つ大きな原因がある。それは皮肉にも、私たちが成功の原動力と崇めている資質「根性(GRIT)」だ。根性は情熱と忍耐の掛け合わせであり、人を長期的な目標に向かって突き動かすエンジンの一部であることは研究でも明らかになっている。ところが、再考という観点から見るとマイナスな資質になりかねない」

 

ビジネスや人生で成功や幸せを勝ち取るために重要なことの一つは柔軟性です。バイアスに囚われ、間違いを認め方向転換できない人は多い。変化の激しい現代、情報にビビッドでいるとともに、慧敏に考えを改め(再考)、行動を変えることが求められています。

 

それなのに、一度決めたことから離れられない(船は錨を下ろすとそこから離れられないことに似ていることから、「アンカリング」とも言います)ことはリスク以外の何物でもありません。それにステークホルダーから、「もう状況は変わったのに・・・」「意地っ張り」とか「強情な奴」だと思われる可能性すらあります。

 

GRITは素晴らしいマインドセットです。しかし、時としてその頸木から逃れられなくなる。必要なことは、客観性、オープンな心、素直な反省、変化のセンシング力、コミュニケーション量などではないだろうか。

 

*立場固定バイアスとは:「目標に打ち込んでいる時は考え直さないことが多い。失敗していると分かっていても戦略転換せず、固執し大金を投じ続ける起業家などはたくさんいる。そのパターンを『立場固定』という。心理的バイアスの一つ。」

退職と共に新しいサイトに場を移し、再開したブログ。
先日で10万アクセスを越えた。数えると164通アップしていた。
正に「ちりつも」。
社内ブログを始めてから20年以上経つと思う。もはや習慣かもしれない(笑)
よく飽きないねと思うかな? 僕自身もそう思う(笑)



 

直球と変化球 王道を行きたい

以前に勤めていた会社でのエピソード。「直球勝負」の昔話です。
昔ある大手シンクタンクと協業していました。その時が初めてのお付き合いです。彼らのパッケージソフトを担ぎ我々が営業していました。営業とプロジェクトマネジメントを我々が担い、開発をその会社が分担するというチーミングです。彼らのノウハウとパッケージの機能が評価され、受注をしたものの、プロジェクトはうまく行きません、このまま進めると大赤字間違いなしという状況で、話は先方の上層部に上がり、私は彼らの御前会議に呼ばれました。40歳少し前のころでしょうか。
話はすれ違い平行線。彼ら幹部はITサービス事業の何たるかを、リスクも含めて分かっていませんでした。こうなったのは誰の責任なのか。すべて当社に押しつけようとしました。私は一貫して事業の性質と上流での顧客との仕様調整、その上でのプロジェクトの見通しとそのコミットメントの重要性を説き、突っぱね続けました。時正に夏休み。限られた休みの中、家族四人で小さなコテージに泊まっていた夜、上司からの電話。先方の専務が怒っていると。「何故清水は休んているのか」とお怒りだと。ささやかな一泊の夏休みはその瞬間なくなり、すぐ荷物をまとめて泊まらずとんぼ返り。次の日にはその会社を訪問していました。とはいえ、状況は打開するわけでもなく、平行線のまま開発は続きます。
さて、どうなったでしょうか?
最終的には、同社の副社長が登場し、私と面談。彼は初めて会った私のことを「清水さんは剛速球投手ですね」と笑い、折れてくれました。赤字の多くは彼らが負担し、プロジェクトは完遂しました。実は副社長は以前親会社にいたときに当社と付き合いがあり、信頼関係があったことを後日知りました。その方が登場しなかったらもっと尾を引いていたでしょう。僕の人生にはこのように運命の扉が突然開いたことが、何度もあります。
 
プロジェクトは完遂したものの、後日談があります。同社はそのチームを解散し、その事業から撤退したのです。
この事業を続ける限りこの手のリスクから逃れられなく、それを回避する実力も、そのための投資原資もないと判断したのでしょう。要はビジネスとして成り立たないと判断したのだと思います。
シンクタンクの多くは親会社が金融系です。親会社向けの仕事をしているぶんには、リスクなどほぼないのですが、競争社会で利益を出すことの難しさを、親会社からきた幹部には理解できなかったのでしょう。実はそのチームはシンクタンク部門と合体したIT子会社のチームだったのです。そのチームの意見など聞き入れられなかったようです。とても残念だったことを覚えています。
 
元々私はとても不器用な人間です。だから直球を投げるしか能がない。その本質は今でも変わっていないと感じますが、流石に少しは学習し、戦略的な変化球の投げ方も学びました。直球しか投げられない人は、大けがをする可能性があります。相手が折れない限り3アウトにならないからです。しかし、絶対に間違っていないという確信があれば、その剛速球の前に相手は諦めるしかないのかもしれません。その自信が過信だった場合は大けがになりますね。私の若気の至りは幸い成功しただけです。実はベテランになっても速球は投げるのですがw・・・  そのような経験が私の自己効力の源泉になっているのは間違いないでしょう。
 
変化球の話もしましょう。例えば、提案シナリオは変化球を多投したものです。他社の得意なフィールドで、速球を投げても打ち取ることができないと判断したら、めちゃくちゃ癖玉を投げます。ダメ元で、見たこともないようなユニークな提案をして選定メンバーを引き付けるのです。しかし、そんなことで勝てることはそうはありません。しかし、実は最終選定には必ずといっていいほど残ります。多くの人にとって変わり種が魅力に見えるのです。もしかしたら、その提案の方がいいかもしれないと迷うわけですね。もちろんそれを狙って提案しているわけですから、作戦通りです。
 
私は本来王道を行きたいし、それが望ましいと思っています。しかし、それが通用しないのだったら、ユニークな手を考える。それも、相手の想定を超えるような。
見積もりは求められていないのに、無視できない安価な見積書を提案書の中に入れてしまうとか、これからの時代はこう進めるべきだと、RFPて求められていない全く別の提案をしてしまうとか、様々です。失うものはないダメ元の状況であれば、創造力を絞り出せは、道は開かれるかもしれません。
仕事はそのように行動すれば楽しい状況になり、可能性が拡がります。正に、ゲーム感覚です。「仕事をゲーム感覚で行うなんて舐めるんじゃない」などと昔の先輩は言うかもしれません。そんなことはないですよ。仕事はゲームです。どういう手を打てば、相手はどう出てくるか? それを洞察して判断する。その繰り返しは、ゲームそのものです。
 
あるプロ雀士が書いたショートエッセーの話を前にしましたね。負ける理由のほとんどすべては「自滅」だと。ビジネスもそうです。私も実感としてそう思います。そうならないように、洞察して何手も先の状況を想像して手を打つのです。劣勢をひっくり返すのには奇策しかありませんし、勝てる試合であれば、ミスを絶対にしないように詰めていくのが鉄則でしょう。ビジネスと同じなのです。それを楽しみ、チャレンジできる人が大成し、そうでない人が目の前のチャンスを逃します。
機を見るに敏」という言葉がありますよね。「好都合な状況や時期を素早くつかんで的確に行動する」ことですが、不都合な状況でも打ち手はあるものなのです。「背水の陣」的馬鹿力もあるでしょうが、相手の油断につけこむ奇策もあるのです。
 
勝っても負けても楽しい。プロジェクトが成功しても失敗しても醍醐味はあったはずです。それが仕事だと思います。すべてのプロセスに学びはあるはずです。
 
それを許容する、もしくは楽しむのが上司だと思うのです。もちろん責任を取って。
「そうか、ダメだったか。ダメもとの奇策はそう簡単に通用しない。次は先手を取って王道で行こう!」と、部下を鼓舞するのが上司ですね。

夕暮れはやさしい