テクノロジーと倫理

Googleで「地球温暖化」と検索すると、問題意識の高い人にはエビデンス情報やその対策情報が出てきて、懐疑的な人には陰謀論などの情報が先に出てくる。確かに、そうかもしれない。

即ち、個人個人に対して興味が持てる情報を優先して提供するわけだ。それは言うまでもなく、PVを増やし広告収入を増やすためなわけ。

考えてみてください。そうだとすると、プラットフォーマー主観を誘導していることになってしまう。攻撃的な情報に興味のある人には更に攻撃的な情報が差し込まれる。その中にはフェイクも多いかもしれない。客観って何? 情報がフィルタリングされている。便利ではあるが、情報操作され情報の奴隷になり、知らない間に洗脳されてしまっているかもしれない。プラットフォーマーは勝手に僕の行動をハックし、嗜好を理解し、思考をも理解する。そして、もっと知りたくなる情報を選別して提供する。それは知的好奇心を満たすには好都合ではあるが、思考を操作されていることと同じ。

2年くらい前に問題になったが、投票行動だって操作できる。ということは国策も操作できることを意味してしまう。

ハリウッド映画にありがちな、AIが社会をコントロールする世界はSFではなくなりつつある。Meta(旧Facebook)が世界最速のAIスパコンを開発中だ。その先には恐ろしい世界が待っているかもしれない。

テクノロジーと倫理は両立させなければならない最も大きな課題だと感じる。

我々が目にするロシアのウクライナ侵攻情報も選別されているかもしれない。

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先日観に行った「オペレーション・ミンスミート」。その数日前に観た数年前の作品「1917命を懸けた伝令」 共に戦争映画。両方とも二度と戦争はしてはならないと胸に刻む作品。多くの人がそう感じるだろう。しかし、戦争のない世界は全く訪れていない。後者のラストシーンは確かこうだった。「人間は最後の一人になるまで戦い続ける」 
なんと愚かな生き物だろう。

 

爽やかに泣く

去年から始めた仕事があります。コーチ仲間(シニアな男女)と共に、ある企業の女性管理職たちに対して行っている幹部育成プログラムです。そのプログラムの一環として行ったワークショップの最終回でのこと。

僕たちコーチ仲間は目を潤ませたのです。私も司会進行役ながら声を詰まらせてしまいました。彼女たちクライアントは順番で今まで感じたことや今後についてプレゼンをしてくれた時の話です。8か月は、自分と向き合い、何がバイアスだったのかに気付き、自分なりのリーダーシップ像を見つけるプロセスだった。その結果、霧が晴れ目の前がクリアになり、自信をもって前向きにチャレンジする覚悟ができたと。私たちはその瞬間に立ち会えたことを心から喜んだ。

 

例えば、リーダーとは強くて「俺についてこい!」というような引っ張るキャラクターでなければならないのだと思い込んでいたが、そうでないことを知った。今までは、私にはとてもそんなことはできないと思い込んでいた。リーダーシップにはいろいろなタイプがあり、私なりのスタイルを貫けばいいのだと理解できたことで、私にもできると気付いた瞬間。彼女は泣いていた。重たくて強固な甲冑をまとい戦場に向かうことなど必要ない。私には私のやり方がある。甲冑を脱ぎ捨てた瞬間の、晴れ晴れとした自信が僕には見えた。全員が声を震わせ、新たな扉を開けた瞬間を味わっていた。

彼女たちに比べはるかに齢を重ねいろいろな経験をしてきたはずの僕らも、そろって感動し、嬉し涙を浮かべた。

彼女たちは皆新しいリーダーとして羽ばたいていくだろう。いつまでも応援し続けたいと心から思う。

こんな仕事をして本当に良かった。清々しい気持ちにさせてくれた彼女たちに感謝したい。

 

女性活躍の推進に目覚めた企業は多い。いかに優秀な女性であっても、機会を逃してしまうケースがある。その一つが上記のようなバイアスだろう。私には無理と感じてしまう。ステレオタイプなリーダー像。上司の刷り込み。ハードワークへの美意識などのカルチャー。評価者の曇った目。皆バイアスが原因だろう。それは乗り越えられるのだ。

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春が来る。あなたにも。

 

悲観主義は気分だが、楽観主義は意志である

悲観主義は気分だが、楽観主義は意志である」という言葉を最近知った。すごく納得した。僕には、人生は意志によってどうにでもなると言っているように聞こえた。

この言葉は、フランスの哲学者アラン『幸福論』にあるが、元の文章は「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである。およそ成り行きにまかせる人間は気分が滅入りがちなものだ」と、続きがある。「意図的に生きろ」と言っていると解釈できますね。

年度末が近づきました。やるべきアジェンダは明確ですか? 4月には組織や仕事が変わる人も多いでしょう。そのチャンスをどう活かしますか? このタイミングこそ、意図的に行動をすることを意識しましょう。人生を考える時です。

 

「幸福論」に書かれている名言がサイトに紹介されていました。その中からいつくかインスパイアされた言葉を選んでみました。気に入った言葉がありましたら、どこかに書き留めておいてくださいね。

「知れば知るほど、学ぶことができるようになる」
「人間は、意欲し創造することによってのみ幸福だ」
「幸福だから笑うわけではない。笑うから幸福なのだ」
「幸福になろうとする努力は決して無駄にはならない」
「幸福になることはまた、他人に対する義務である」
「力いっぱい戦ったあとでなければ、負けたといってはいけません」
「名高い山頂まで電車で運ばれた人は、登山家と同じ太陽を見ることはできない」

どうですか?

 

幸福は意志で勝ち取るものだと感じますね。

さ、楽観的に生きましょう。

 

(注)アランは1868年生まれ。高校の哲学教師を勤めるかたわら、哲学コラムを寄稿し、83才で亡くなるまで執筆活動を行いました。幸福についてのコラムをまとめた
「幸福論」は1925年に発刊され、スイスのカール・ヒルディの著した「幸福論」、
イギリスのバートランド・ラッセルの著した「幸福論」と併せて「世界三大幸福論」
などと言われています。

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時々深みにはまる。しかし、多くの場合、分かっていたはずだ。
「自滅は避けられる」

 

メタ認知とコーチング

Don Mclean "American Pie"を聴きながら書いてる。言われる前に言います。確かに古いです。僕が10代の時のアルバムですからね、そりゃ古いですよw。Amazon musicが推薦してくるのよね。懐古趣味だと決めつけてるようにw

 

さて、最近「メタ認知」という言葉をよく聞きませんか? 仏教などのものの捉え方を説明するときなどにも聞きますし、ビジネスの世界などでもよく使うようになっていると感じます。

メタ」というのは「高次の」という意味。即ち、自分が認知していること(考えたり学習したりすること)をより高い次元で認知することになるわけです。例えば、自分が考えている姿を上空1万mから冷静に、客観的に見下ろしている感じ、と僕は捉えています。ちょっと仏教っぽいでしょw。

僕は今まで、誰しもバイアスに冒され間違った判断や誘導をしてしまいがちなことや、ムラ社会歪んだ価値観や、グループシンクや、上司の指示に盲目的に従う行動などの問題を書いてきました。それを避ける意味でも、今の自分を客観的に見ることができる「メタ認知」がとても有効なのです。

メタ認知低い人の特徴はどのようなものなのでしょうか。

思い込みが強く、極端なものの見方に固執するとか、場当たり的で感情的というのが典型的かもしれませんね。SNS上の間違った情報を鵜呑みにして決めつけた言い方をする人などもそうですね。自分がそうだということを認知できませんからね。そうなると、他者との無用な衝突をしてしまったり、なんで分かってくれないのかと悩んでしまったりする人もいるかもしれません。場合によっては、他者によって指摘されても「そんなことはない」と客観的になるきっかけも逃してしまったりします。

逆にメタ認知高い人は、俯瞰的にものごとを見ることができますから、自分自身を客観的に見つめて、感情をコントロールすることもできますし、ものごとの本質に向き合うことができます。抽象化して表現することも得意でしょうね。そして、自分と他者の距離感を認知できますから、適切な配慮ができますし、円滑な人間関係を構築できるでしょう。協調性も高く、恐らくファシリテーションも得意でしょう。他者の感情を理解しインクルーシブな行動をとることも得意でしょうし、包み込むようなリーダーシップスタイルができそうです。更に、鏡を見る様に自分と向き合えますから、失敗を梃子にして成長することも得意そうです。学習ができるということですね。

メタ認知ができるできないで学びの深さは大分違うでしょうね。

 

ビジネス上のメリットは何でしょう。上記のように問題に向き合うとか、リーダーシップの観点を除くとどうでしょう。目の前で起こっていることを俯瞰して見ることができますので、課題設定能力が高いのは間違いありません。矮小化して分かったようなふりをすることなんてなさそうでしょ。また、状況の変化にもビビッドでしょう。変化の激しい時代の必須能力とも言えます。変化の真っただ中にいる自分(自社)という客観的な事実を言語化できるでしょうね。経営戦略を立てる上でなくてはならない思考ですね。

 

私の仕事である「コーチン」は、実はクライアントの「メタ認知」向上を手助けすることでもあると気付きます。その考え方がバイアスなのかどうか、自分が写る鏡を見る様に気付かせるのもコーチの仕事の一つだからです。そう、自分がバイアスまみれであることに気付くことがスタートですね。それは一種のトレーニングです。常にもう一人の自分が上空から見ている。そう、上空にいる自分になるように視座のチェンジを試行するのです。

私たちの日常に「今私はメタ認知できているか?」と自分に問いかける習慣を組み込んではいかがでしょうか。いいと思うよ!

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これほど身近にキンカンを見かけた年はない。実は初めて生をそのまま齧った。
噂の通り皮が甘く美味い。実はさほど美味くない。
皮を細かく切ってヨーグルトに入れて食すと春の味だよ。

 

 

今の業績は3年前に仕込んだもの

スタートアップのエネルギーや行動力は大企業では実現できないのであろうか。「Invent & Wander ジェフ・ベゾス Collected Writings」にはそのヒントが書かれている。それを実現することは簡単ではない。しかし、その精神は十分理解できるはずだし、リーダーは普段の行動や言動にそれを活かせるはずだ。

例えば、「アマゾンの基本理念として、『デイワン(はじまりの日)』がある。アマゾンは常に創業したばかりであり、決して『デイツー(二日目)』になってはならないのだ。なぜなら二日目には組織は立ち止まり、時代に乗り遅れ、やがて会社が傾いていくからだ。」どうすればいいのか。もちろん答えはいろいろあろう。ベゾス氏の思いがここにあるのではないだろうか。それは「デイワンに留まるためにはどうしたいいのか。その答えは、お客様にこだわること、既存のプロセスを疑うこと、外部のトレンドを取り入れること、そして素早く意思決定を行うことだ。」私はクライアント(企業の幹部)とよくこんな話をする。「あなたは顧客とどれくらいの頻度で会っていますか?」と。リーダー、幹部は自分の仕事をマネジメントだと思っている。それも既存の価値観に縛られた手法でマイクロマネジメントに明け暮れる人もいる。顧客価値を自分の目で確認もせずにビジネスを語れるわけがない。そんなリーダーの下では会社はあっという間に価値を失い、気付いた時には基礎体力がなくなるほど衰退していよう。自分の姿を鏡に写してみよう。既存のプロセスはどれだけ不必要なぜい肉で覆われているのか。それにも気付かないリーダーは失格だ。

 

更に、意思決定のスピードについてはこう言っている。これには少々驚いた。想像以上に手堅い価値観を示しているからだ。意思決定には2種類あるという。「一つは一旦決めたら後戻りができない意思決定だ。このような決定はゆっくりと慎重に下さなければならない。」アマゾンからゆっくりと慎重になどという言葉が出てくるとは思わなかったのだ。

ここからが納得。「だが、ほとんどの決定はそのような必要はないたいていの決定は後戻りできるのものだ。あらかじめ『後戻りできるかできないか』と問うことで、組織としての意思決定のスピードを底上げできる。」ほ~。たいていは後戻りできると。これこそベゾスたるゆえんだ。僕はその価値観がリーダーの強さだと思う。即ち、いつでも止められるし、ピボットもできるという、慧敏性を自分のものにしているということなのだ。一度決めたことをだらだら続ける(私はこれを一貫性という名の迷路だと思っている)などということはしないという自信だ。そのダイナミズムこそアマゾンを典型とするITリーダー企業の特徴ではないだろうか。(同社では、「one-way door:引き返せない一方通行」か「tow-way door:戻ってこられるドアがある」と表現するらしい)

そう、彼らは失敗を厭わないと言い換えてもいい。「失敗は発明と切っても切り離せない」と。その当たり前ができないのが日本のリーダーだと感じざるを得ない。

短期志向と思いがちなアメリカのCEO。実はいつも3年先を考えている。言い換えれば、今の業績は3年前に決めて仕込んできたものなのだ。中期計画は立てたら終わりの日本企業とは大分違うね(涙)

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計画は立てても放っておけばすぐ枯れる。後戻りできるチャレンジは即断即決で!

 

エンパワーメント

「エンパワーメント」とは何なのか。力を与えること、一人一人が自律的に行動できるようにすることと思われがちですが、英語の辞書を見ても分かるが、これは実に企業における重要なリーダーシップを指していることが分かります。それは「権限委譲」なのです。

これは現在の変化の激しい時代だからこそ、競争力の向上に必要不可欠な視点と思われがちです。もちろん、そうではありますが、振り返れば、稲盛さんが進めていたアメーバ経営や小集団活動など、昔からあった取組も権限委譲の一つの形とも言えますね。前にも書いた記憶がありますが、今でいうアジャイル経営」にも通底する価値観と解釈できます。

「権限移譲」の対極にあるのが権限を集中して指揮命令で仕事を進めるスタイルです。この二つのスタイルを「率いるリーダーシップ」「導くリーダーシップ」と言ったりします。

後者は単に権限を委譲して現場に任せることでうまくいく、と言っているわけではありません。その前提としては、委譲された現場が共有すべき価値観が浸透していることです。それがあれば各チームがばらばらな方向に進むこともないし、お互い協調して大きな成果を目指すことができるわけです。リーダーはその価値観の浸透に責任を持たなければならないわけですね。それが、パーパスやビジョンやバリューなわけです。それらをメンバー全員に腹落ちさせるのがリーダーの役割なわけです。もちろんその土台には行動規範のようなノン・ネゴシアブルなベースラインもあります。

その上で、適切な仕事を与え(実力+α)、適切なアドバイスをし、必要な資源を与え、成果を公正公平に評価しなければなりません。その辺は以前に書いた「リーダーの有効性」参考になるでしょう。

こう書くと「導くリーダーシップ」「エンパワーメント」の方が良いに決まっていると思うでしょう。もちろんそうなのですが、それだけではすべてのシーンでうまくいくとは限りません。例えば、現場がパニックになっている時はどうでしょう。それに、メンバーは経験不足ですし、多様なメンバーが集まっています。統一的な訓練も行き渡っていません。そのような場合は完全に現場は「カオス」になります。一歩間違えると収拾がつかなくなります。そのようなケースには、経験豊富なリーダーが現場の指揮を躊躇せずに行わなければならないわけです。リーダーの使命は1秒でも速くカオスから抜け出すことです。即ち「率いるリーダーシップ」を発揮しなければならないわけです。

このように考えると、リーダーによる普段のコミュニケーションがいかに大切かが分かります。1on1などを通して、日常的にコーチングやアドバイスを行い続けることが何より重要なのです。それを通じて、経営理念やマネジメント手法を共有、伝授していくのです。くれぐれも、日常的に「ああしろこうしろ」と指示ばかりするようなことはしないようにしましょう。部下の自立・自律を促すこと、即ち自分の力で解決するようにしむけることです。それがコーチンでありエンパワーメントなのです。

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輪は広がっていくもの

 

リーダーのパラドックス

リーダーは常に可能性に賭けなければならない。と言っても無謀な戦いに挑むということではない。例えば、両立できないと思いがちなパラドックス(逆説)トレードオフだと考えずに(それがバイアス)、視座を上げて別の手を考えることだ。

前にも触れたHBRの「リーダーシップの教科書2」にパラドックスの例が載っている。いくつか紹介すると「短期目標と長期目標の両立」 僕は観点をちょっとひねると「売上か利益か」というのもパラドックスの一つだと考える。「イノベーションか効率性や有効性の改善か」も組織が二者択一と考えがちなパラドックスかもしれない。

 

パラドックスに縛られるリーダーが陥る罠の典型が、「リソース(時間、資金、人材など)は限られているというスタンスを取る」こと。これは一般的に考えて現実的な理解だと映る。これを真実と捉えると、リソースを決められるのは上位幹部だけだ、という考えに縛られる。即ち自分の手では解決しない(できない)と決めてしまうわけだ。同書はこう言う。「リソースに制約があるという前提を立てた場合、必然的に行きつくのはゼロサム思考だ。(中略)これは異なるアジェンダに取り組むマネージャー間の対立を煽る原因になる」私自身も昔は有限の罠に何度も陥った。しかし、その都度誰かに助けられた。即ち自分が見ている世界とは別の世界から調達できたのだ。

このポイントは、一つはコラボレーションにある。即ち日常の自分のチーム以外人たちとの信頼関係が物を言うということ。助け助けられ、価値観や課題を共有している人が離れた地にどれくらいいるかだ。そう考えると、リソースは限られているわけではなく、増殖可能だと考えられる。決してゼロサムではない。また、ビジネスのデザインを変えることでリソースを膨大に増殖させることもできるかもしれない。今から20年以上前のアメリカのIT企業のインド進出を思い出せば分かるでしょう。ビジネスの構造を変えて、リソースを今までと違う使い方をすることによって、ビジネス規模を一気に拡大したのだ。

 

思考が縛られているリーダーがとても多い。それはキャリアや経験のせい? 視野はどうやったら広げられるのか。日々どのような努力をすればいいのか。もちろん正解は存在しないが、言えることは、外を見ること、いろいろな人と付き合うこと、本を読むことなど、即ち多様性を身につけることだ。それが何度も書いたように「広く見る、深く見る、先を見る」力を養うことに繋がっていく。出口さんの言う「本を読め、旅をしろ、人と会え」と同じことだ。

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何歳になろうが新しい出会いによって人生はドラマチックに変わっていく