監査の矮小化

先日の三菱に関する記事で更に感じることが湧いてきた。それは「監査」の役割。以下に思っていることを書きますが、かなり言い過ぎだと自覚しています。監査に係わる人たちに袋叩きに合うかもしれません(笑)が、どうか笑って読んでください。

 

企業には監査を行うチームが存在する。監査役とは、企業において取締役や役員の執行を監査することが仕事とされる。監査チームは更に現場に近く各事業が的確に行われているかを監査するわけですが、それは法令順守だけを指すわけではないはずです。HBRでは「学習に関する監査を毎年実施し、意思決定やチームの交流が不十分だったところを確認する」「期待した成果を出していない取り組みを特定し、その根本原因を調べる」とあります。前に書いた通り、当該部署内の人たち(インナーサークルの人たち)はバイアスだらけなわけです。部外者が客観的に見ることがどれだけ重要なことか。しかし、現状は監査チームは、風通しが良いカルチャーかとか、学習が適切に行われているかなどの評価は自分たちの仕事だとは思っていませんね。即ち、三菱で起きたような原因に行きつくことは、監査の対象だとは思っている人は恐らくいないでしょう。私は「監査」の仕事が矮小化されている気がしてなりません。即ち定義された最小限のことしか自分のミッションだと思っていないということです。

 

企業は残念ながらムラ社会の集まりの要素が捨てきれません。スタートアップだってスケールしてきたら、チームごとのエゴが出ます。トップが株主へのリターンプレッシャーに押し殺されそうなら、部下たちは目先の数字に汲々とし、怒られないようにすることを最優先にオペレーションし始めます。企業においては、そのような本能的な行動にを抗うことがどれだけ難しく、かつ重要なのかを理解しなければなりません。

その中において、三者の監査監査役でなくても、事業ラインのスタッフでもよい)や品質管理部門の使命は大きいと理解すべきです。

 

僕の友人にも監査役は何人もいる。彼らはきっと分かってくれると思う。(といいな)

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自分で見ると真っ直ぐかどうかは分かりにくいもの。

 

Progress

最近、経済的成長を求め続けることに意味があるのだろうか、というような議論が広がってきた。大量消費、過剰生産、お金は使うから社会が回る、生活は豊かであれ、成長率、売上利益増、株価上昇、株主至上主義・・・ そんな価値観が見直されつつある。

即ち、「経済成長し続けなくてもいいじゃないか」「ポスト資本主義」更に、SDG's的価値観の浸透によりグリーン、エコが強く歌われ、経済的分断を減らすベーシックインカム社会主義的価値観も広がりつつある。

最近20年位の間、日本は先進国の中で一人経済成長から取り残された。デフレが続き、給与は増えない。最近まで物価も低いまま。世界で最も物価が安い国の一つだ。それはよく聞く「ビックマック指数」を見ても明らかだ。

失業率も低い(安価な非正規の人は多いのは問題だが)、国民皆保険も維持している。医療環境も高レベル(コロナ禍で問題が顕在化したが)、寿命に至っては世界最高レベルだ。

西欧の国々に比べると、高収入者と低収入者の差ははるかに少ない(経済的分断が少ない)。

本来、日本人の満足度や豊かさは非常に高くてもいいはずだ。

 

このまま進んでいくとどうなるのだろうか。僕は経済学者でも社会学者でもなく全くの素人的な感想で恐縮だが、ちょっと考えてみる。DGPがこのまま伸びずに行くとする。先進国の多くは継続してインフレが緩やかに進む。今と同様に大量消費、贅沢志向も更に進む。最近のミートショックを典型とするように、食料品やエネルギー、鉄など原材料を輸入に頼っている日本は、それらの価格がどんどん高騰していくことに耐えられなくなる。為替がそれを補正できないなら、明らかに収入が増えないままインフレが進む。国内の付加価値が増えないままインフレが進むということは、インフレが給与増をもたらさない。生活は苦しくなる。企業も産業セクターごとに差は広がるだろう。材料などを輸入に頼ると競争力はどんどん下がっていく。

即ち、自給自足ができないまま成長しない国は、相当劣後していくだろう。

その一番の背景は少子高齢化。生産年齢(働き手)が激減していくということは、経済競争力の低下に直結することは誰しも分かることだが、それを止めることは不可能だろう。

 

成長できない国が目指すべきものは何なのだろうか。

間もなく中国も下降フェーズに入る。それが分かっているので指導者も慌てたように強引な手に出ている。批判も覚悟。情報は操作できるから国民だけは洗脳し続けられると思っている。それも近い将来限界が来よう。

世界中で競争するように「成長」を求め続けてよいのであろうか。地球はもう耐えられない。地球更に人類のサステナビリティ―を考えれば「成長」を捨てるしかないのではないか。もう、そう考えざるを得ないことは多くの人が気付いているのではないか。

「成長」を求めず「豊かさ」を求める。そんな「変身」が目の前に迫ってきた気がする。しかし、それすら、醜い押し付け合いや、自分さえよければいいという独りよがりの価値観のせめぎ合いだ。自分だけは「成長」を続け、繁栄(贅沢)を独り占めしたいという欲望。全世界が一斉に「成長」のスイッチをオフにできないものか。今は、絶対に不可能と感じざるを得ない。Z世代が新しいエネルギーになりつつある。彼らが核となり世界の価値観は変わっていく。きっと。

 

「成長」の代わりの「Progress」(前進、進歩、発展、進化)とは何なのだろうか?

皆さんの企業においても、そんなことを考える時期に来ていませんか?

売上や利益をひたすら伸ばすことだけが、ステークホルダーの幸せなのだろうか? 社会に還元すべき価値を向上させることが、一番の「Progress」なのでは?

囲い込まれる「コモンズ」と、意志共鳴型社会へのステップ ~NEC未来創造会議講演レポート~

この記事にインスパイアされ思わず書きなぐってしまった。斎藤准教授は素晴らしい論客(最近TVにもよく登場する)だが、この記事では発言が少なく(ピックアップが少なくかな)残念。

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枯れても心は温かい

 

ヘルプシーキング

困ったときに、まわりの人たちに助けを求められますか? 日本人は責任感が強くて、安易に弱音を吐くことを嫌いますよね。そう教育されてきた感じもしますね。「弱音を吐くな!」って。だから、一人で悩んだり、抱え込んだり、いちからトライ&エラーを繰り返し、非効率な作業をしたりしますよね。

そんな時に、もっと気軽に周囲の人に助けを求められればいいのにと思いますよね。そのように援助要請をすることを「ヘルプシーキング」と言います。僕はその言葉を知りませんでした。ワンオペで育児をする女性が、周りに遠慮なく助けを求めることがいかに大切かなどという議論があり、女性の方が「ヘルプシーキング」という言葉をご存じかもしれません。

「ヘルプシーキング」は甘えでしょうか? 一人で悩んで非効率な日々を送ることは精神衛生上も大きなマイナスですよね。そして、ビジネスで考えるなら、とても効率の悪いことです。

 

「チーム」という言葉があります。チームとは何でしょうか。同じ目的に向かって人々が集います。集うだけではチームと言いません。一人一人の能力や成果の総和は単純な足し算でしかありません。しかし、多様な人が集まり、お互い補い合い、協力し合い、アイデアを出し合い、イノベーションを起こして仕事を行えば、人数以上の能力を発揮し成果は倍増するでしょう。そういう集まりを「チーム」と呼ぶのです。前者はただの「集団」ですね。

さて、「チーム」に存在すべきものが「ヘルプシーキング」だと思いませんか? 困ったときに「ヘルプシーキング」ができ、メンバーが助けてくれる、上手いやり方を教えてくれる、自分の作った資料を提供してくれる、誰に聞けばいいのか教えてくれる、何を読めばわかるか教えてくれる、自分の作ったプログラムコードを提供してくれる・・・。そんなことが自然に、皆喜んでやってくれる人たちが「チーム」だと思いませんか? 

そんなチームを作るのがリーダーの使命ですね。必要なのは心理的安全性」そして「称賛」「利他心」。助け合うことが喜びだと感じること。それは正に組織カルチャーです。そんなカルチャーを作るコツの一つが「雑談」です。日常の雑談を通して自分を晒して、着込んだ鎧を脱ぎ捨てておくことです。そうして心のハードルを下げておくことです。

 

更に「適切に助けを求める」ためには「適切」なアプローチがあるようです。沢渡さん(あまねキャリアCEO)はこう言います。何にどう困っているのかを適切に説明することだと。また、小田木さん(NOKIOO取締役)はこう言います。ぎりぎりまで抱え込んで、「やばい状況」になって「助けてください」というのか、リスクを適切に読んで早い段階で助けを求めるのかでチームの負担が全然違うと。これも、「あるある」ですよね。「早く言ってよ!!」よく聞いたセリフでしょ。要するに適切なタイミングで適切な説明で助けを求めるスキルが求められるのです。

 

皆さんのチームは「助け合えるチーム」ですか? そして、「適切なヘルプシーキング」ができていますか? そのカルチャーを創るためにリーダーは努力していますか?

これができるかできないかで生産性は全然違いますよ。そしてマインド面即ちウェルビーイングも全然違いますよ。結局それは競争力の高い企業を創っていくのです。

 

PS. ヘルプシーキングは実は家庭内の方が難しいと考える人が多い。パートナーに対して遠慮をする関係なら、まずそれを乗り越えましょうね。

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線路や道路は東西南北どちらの方向に向いているのか、案外分かりにくい。
地図もない太陽も出ていない時は特に。
僕らの人生も同じ。

 

民主主義と成熟

民主主義のことを考えていたら、ルソーのことを思い出した。そう18世紀のフランスの社会哲学者で「社会契約論」が有名ですよね。実はかなり変な人(街で女性にイチモツを見せるような、今なら変態の犯罪者的な癖もあったことはトリビア)だったらしいが、民主主義の原型を唱えた人なんですね。彼が言っていたとても大切なことの一つが、「自然人」と「社会人」の話。人間には二つの概念がある。一つが自然人、つまり自分のために生きる人。もう一つが他人のために生きる社会人という概念。当時は庶民に人権など存在しなかったし、子供もそう。社会のために生きるなんていう考え方などなかった。王政のフランスはすべての権利は王様が持っていて、フランス革命によってルイ16世が処刑されるなんていう蜂起がなければ、自由も人権も、社会と自分という概念もない世界だった。その時代に自然人と社会人の概念を持ち込み、その両方のバランスが大切なんだなんて言い出したわけだ。著作が発禁になった彼は逃亡した。カソリックと政治がほぼ一体の世界の中で、反社会的とされたわけです。しかし、現在ではそのバランスが社会を成り立たせるためにいかに重要か、皆本能的に分かっていますね。コロナ禍において、自然人の価値観と社会人としての価値観がバランスしているお国柄、個人、の差が大きく出ましたね。そう、日本はバランスしている国民性なんだろうと思う。ところが現実的には…という視点を持つことも重要だろう。将来のために。

 

思想家の内田樹さんという人がいる。彼がNPでこんなことを書いていた。

「民主主義がちゃんと機能するかどうかを決めるのは、制度設計の出来不出来よりも国民の『成熟度』です。国民の中に『まっとうな大人』の頭数があるラインを下回ると、民主主義は簡単に機能不全に陥ります。現代日本がそうです。」と。「今の日本では、民主主義が弱まっているのは、システムの問題ではなく、民主主義を機能させるだけの成熟度に達していない国民の数が増えすぎたからです。」

去年の総選挙がバロメーターと考えられる。「得票率は戦後3番目に低い55.93%。しかも、20代の若者に限ると、30%台にとどまっている。」この事実は確かに民主主義の危機と考えられるかもしれない。

「民主主義というのは、その集団のできるだけ多くの人々が意思決定に参加し、その決定について責任を持つように仕向ける仕組みです。意思決定が適切なものであるために成員たちが市民的に成熟していることを求める仕組みです。」その通りですね。その面倒臭さの意味を理解している人たちの集団でなければ成立しませんね。

「選挙で多数を制した政党に全権を委ねて、そこで市民が思考停止してしまうことを許したら、民主主義の最も重要な遂行的課題である『市民的成熟を促す』という仕事を放棄することになります。」そう、専門家がいるから彼に任せたと、考えることを放棄した集団「グループシンク」がそこに横たわってしまうのです。

企業における意思決定もそうなっていませんか。何の意見もない、偉い人がそういっているからそれに従う、もしくは従っている振りをしているひとがほとんどじゃないですか。

 

今年は日本の大きな変わり目かもしれません。米中、北朝鮮、台湾、東アジアは益々煙たくなります。日本の自衛隊は敵基地をも攻撃する能力を持とうとしています。防衛予算は拡大し、煙たい状況を武力で解決する姿勢です。憲法の議論も国民抜きに進めたい人たちもいるでしょう。自分の考え方が正しく国民には分からないとでも思っているような、傲慢な価値観を持つ一部の人たちにとっては、国民の「成熟度」は邪魔なのかもしれませんよ。僕は日本の(成熟度を上げるべき)メディアの劣化は相当ひどいと感じていますし、僕たちはメディアに流されないように自分の意見を持たなければならないと強く感じます。「成熟」は「自律」抜きに獲得できません。

 

デフレ基調の続く日本。収入の増えるインフレにシフトしていかないと、輸入に頼る環境(自給自足ができない)では、エネルギーも半導体も食料も高騰するばかりで、国民の生活は楽にならない。高騰ならまだしも、奪い合いに負ける状況になれば、GDPは下がっていくかもしれない。成長、成長と言わず、足るを知る価値観で幸せに暮らせばいいじゃないか、という気持ちは僕にもあります。しかし、それは自給自足できる場合だけです。今の日本は(当分)無理なのです。

 

「成熟」なき「自律」はないのです。そして自主的に(自分で考えて)生きる道を選ぶためには、学び続けるしかないと思うのです。

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成熟は枯れることじゃない、耐えることでもない

 

 

学習する力が自滅をなくす

先日投稿した「三菱に学ぶ」は多くの方に読んでいただきました。いま、たまたまHBR(Haevard Business Review)の「リーダーシップの教科書2」のある論文を読んでいたら、同様の論点が書かれていた。それはリーダーに必要なスキルに関するものだった。リーダーに必要なスキルの一つが「学習する力」で、戦略リーダーは組織学習の中心にならなければならず、成功と失敗の両方から教訓を得なければならない、と指摘されている。ある製薬会社の上級幹部が自己診断テストを受講したところ、共通する最大の弱点は学習にあることが分かった。「同社の全階層で、間違いから学ぶよりも罰しようとする傾向が浮き彫りになったのだ。それはリーダーが往々にして、自らの過ちを隠そうと躍起になっていたことを意味していた。」と記されている。

これって、正に「三菱」と同様のことではないか。企業における競争優位性は、実は「自滅を避ける」こと。それはイコール「学習する力」を高めることに他ならない。

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自滅の先にはススキ原のような寂しい風景が広がる

 

三菱に学ぶ

明けましておめでとうございますHeaven's Kitchen読者の皆さんのご多幸をお祈りします。今年もよろしくお願いします。

さて、新年1回目の投稿です。去年もいろいろなことがありました。僕たちがビジネスを進める上でとても大きな学びになった事案の一つが「三菱電機の不正」でした。工場の品質不正が発覚して半年以上たっても不正が続いていた事実。それもあちこちの部門で長い間続いていた。「ガバナンスレビュー委員会」が調査報告書(なんと291ページ)は、不正問題に詳しい安岡元教授によると100点満点中30点だという。原因分析の踏み込みが不十分だと指摘する。

東洋経済のネット版に詳しく掲載されているので興味のある方は読むことをお勧めするが、僕なりのポイントを書きたいと思う。

明らかに一番の問題は企業カルチャーだろう。「上長の命令は絶対。まるで軍隊」「どうやったら本社の事業本部長に怒られないか必死で考え、報告書の文面を必死に考える・・・」「幹部には決して本音を語れない」「皆上を見て仕事をしている」「パワハラ以外のマネジメントを知らないと自嘲する幹部」ともかく、現場に対する異常なプレッシャー業績重視(すなわち数字)で品質は二の次。上司には相談もできない、しかし従業員サーベイでは「風通しが良い」という評価。などなど。それほどひどかったのか、と僕も驚く。しかし、考えてみてください。それに似たことはあなたの部署でもあったのでは?

東芝の不正会計も似ている。数字に対する幹部からの異常なプレッシャー業績優先でその他のことはすべて目をつぶる。ともかく怒られないように・・・そればかり考えている。顧客は二の次。品質を管理すべきスタッフの意志はどこにあるのだろうかエンジニアのプライドは・・・ 倫理観は・・・ 働いていた人たちは辛かっただろう。目先の業績を嘘で塗り固めても、結局は大きな社会問題となり、信用は失いブランドは棄損し、顧客を失い、業績は大きく落ち込む。彼らは何を守ってきたのだろうか。もう、過去に戻ることはできない。

 

以前にも書いたが、僕はビジネスの要諦は「自滅しないこと」だと確信する。皆さんのビジネス上の敗退や失敗の原因を俯瞰してみてほしい。他社が○○だったから、顧客が○○だったから・・・原因を自分以外に置くことが多いでしょう。本当にそうですか? ほとんどの原因はあなた自身、あなたの組織など足元にあるのではないですか? 結局判断ミスとか、見逃していたとか、優先順位を下げていたとか、エスカレーション出来なかったとか、背水の陣で交渉する勇気がなかったとか、止める勇気がなかったとか、適切な経営資源を投入できなかったとか、上司を説得できなかったとか・・・皆あなた及びチームが原因です

これは誰にでもあることです。すべての企業が陥る罠です。その原因は何でしょうか。人間には逆らえない性があります。脳の癖です。その一つがバイアスです。

僕たちの足を引っ張るバイアスは二つあります。一つが「正常性バイアス」これは自分にとって都合の悪い情報は聞き入れないことです。「見たくないものは見えない」と僕も何度も書きましたよね。そのことです。だから「ホラーストーリー」を考えないんですね。「想定外でした」なんて言い訳しちゃうんですね。想定することが仕事なのにね。上司も「じゃあしょうがないね」なんて言っちゃう。完全にポンコツです。

二つ目が「自己奉仕バイアイス」です。これは成功すれば自分のお陰、失敗したら他人のせい、というやつです。たくさんいるでしょ、そういう輩。だから、反省しないんですよ。他人のせいにする人が反省するわけがない。管理職がそうなら組織として学習することなんてあり得なくなるわけです。最低ですね。

だから僕は以前から「自虐的になれ」と言っているんです。自分がいかにお粗末かということに向き合うことがどれだけ大切なのかを肝に銘じてほしい。

そして、もう一つ大きな脳の癖が「自己保存の本能」です。これは生きていくために自分を守らなければならないという生物の最も強い本能なのです。避けられません。これがあるから、自分と違う意見の人に反発したり、自分の地位が危ぶまれると都合の悪いことを隠蔽したり、貧乏くじは引きたくないと放っておいたりするのです。

僕たちは誰でも持っている本能に抗わなくてはならないのです。分かっていれば、意思さえあれば行動は変えられるのです。それができなければあなたの組織も三菱になってしまうかもしれません。是非職場でこの話をして足元の事実と向き合ってください。

絶対に忘れてはいけません。これらに抗える力を組織カルチャーにしなければならないことを。

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上司の指示に従って、何も考えず何の疑問を持たず、前だけ見て進むことほど
危ないことはない。

 

記憶に残るコーチ

■魅力のある人材

起業して2年半がたったことになる。速いものです。そのうちのほぼ2年がコロナ禍だったわけだ。企業を退職したらあちこちに旅をしようと思っていたのに、実現せずに今に至っている。その分、新しく始めた事業に集中してきたとも言える。テーマは一貫して変革人材を育てること。変化の激しい時代にあって、今までの延長線上に未来はない。変わり続けることが唯一の解であり、そのリーダーを育てたいという想いは変わっていない。

変化はコロナ禍にあって加速し、経済は縮小した上に、先進国にあって唯一のデフレときている。DXは進まず、水先案内人のデジタル庁もリーダーとしての役目を果たすに至っていない。地図のない道を歩くように、益々戦略の選択は難しく、しかし、留まっていることは死を意味し、速く判断し即行動し、だめだったら即方向修正する慧敏性が益々求められる。

リーダー諸君。変革に目覚めた人々が新しいチャレンジをする際、相談相手にあなたを選ぶだろうか? 選ばれないとしたらあなたは新しい時代のリーダーとして認知されていない証拠だ。影響力は典型的なバロメーターだ。壁打ち相手にあなたが選ばれるようになるためにはどうしたらよいのだろうか。

どういう特質が必要なのか考えてみてください。それがあなたの来年の課題です。

 

■記憶に残る授業

皆さんにも記憶に残る授業はありますか? 僕は大学時代のある授業です。東芝のシニアの方が先生だった。大学教授と違って企業で実務をリードする幹部の目線で、企業の実態に触れる生々しい話だったことが、僕の興味を引いた。それが電機メーカーに就職するきっかけになったとも言えます。

FobesJapanによると、阪大には朝一番の時間にもかかわらず大講堂がいつも埋まる人気の講義があったそうだ。テーマは「日本国憲法」いかにも不人気なテーマに思える。なぜ人気なのか。

阪大では、生徒が講義や教授の評価をしている冊子が売られているらしい。この講義は「お笑い」の項目が満点だそうだw。

その先生とは「サンデーモーニング」に時々出演している谷口真由美さん。森組織委員会元会長から「わきまえない女」と評されたラグビー協会の元理事だ。番組上もなかなか鋭いコメントをされている。

さて、なぜ彼女の講義が人気なのか。講義の冒頭10分間に「DJまゆみの恋愛相談」wをしているのだそうだ。前回の出席票の裏に書かれた恋愛ネタ(テーマは彼女が出す)に答えるのだ。これが実にいい加減で、バッサリ切り捨てたり優しかったり実に面白いらしい。10分間恋バナなどで頭が柔らかくなったところで、「法の下の男女平等」などのテーマに入る。「なぜ君は彼女に専業主婦になってほしいの?」などと突っ込むわけだ。「インタラクティブな授業であることによって、学生に授業の内容を自然に自分ごととして捉えさせ、想像力を働かす機会を与えた」とのこと。そうでしょうね。私も受講してみたかったな。

彼女の授業にはもう一つユニークなところがある。試験にカンペ持ち込みを許しているのだ。そのかわり条件がある。A4の紙1枚のみ。学生は裏までびっちりと要点をまとめるのだ。まるでそれは小宇宙! 学生は個性あふれるカンペを作るのだそうだ。そのプロセスが学びになるのだということなのでしょうね。学生はちゃんと勉強(カンペ作り)をして試験に臨むのだから、まんまと術中にハマったということだね。

記憶に残る授業は、立派に青春の1ページとなっている。

私は記憶に残るコーチになれれば嬉しい。来年も頑張ろう。

 

■お世話になった皆様へ

クリスマスも無事終わり(ケーキもローストチキンもツリーもプレゼントも何も特別なことをしていないので、無事もへったくれもないか(笑))、いよいよ年末。年賀状もごく内輪の人を除いて送るのを失礼し、このブログなどの場を使いメッセージを発信することにしたこともあり、年末の風物詩も少なくなった。コロナ禍もあり年始に集まることもなくなり、静かな日々が続きそうだ。

こうして一年が終わる。厚労省のシミュレーションでは、私の年齢の男性の余命は15年余り。15年もあると言ってもいいのだが、コロナ禍の2年もあっという間だったことを考えると、更に加齢のスピードに抗うことの困難さを考慮すると、貪欲に活動できる期間もそう長くはあるまい。どう意図的に生きるかを意識した時間の使い方を目指すべきだと、自覚する。

今年一年は、コーチ、メンターとして新しいプロジェクトも始めたし、Hogan Assessmentの認定コーチにもなった。来年は何をしようか。

新しいチャレンジは、多くの友人に支えられた。きっかけはすべて人間関係から生まれた。それは、いつもちょっとした日常にビルトインされていたのだ。

内なる発見によって覚醒する人などほとんどいないだろう。誰かに影響を受けて目覚める、エナジャイズされるのだ。出口さんは、「旅をしろ、人に会え、本を読め」と仰る。インスパイアはそんなきっかけだ。僕もまさにそうで、友人やクライアントとのコミュニケーションが僕を動かしている。

この一年も多くの皆様にお世話になりました。深く感謝します。

皆さまにとりましても来年が更に良い年になることをお祈り申し上げます。

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ギリシャのデザート“バクラヴァ
初めて食べたギリシャ料理は、かつて勤めていた会社から歩いても行ける街にあった。
めちゃくちゃ甘いが、めちゃくちゃ美味かった。
小さな発見は人生を豊かにする。来年も行こうっと。