記憶に残るコーチ

■魅力のある人材

起業して2年半がたったことになる。速いものです。そのうちのほぼ2年がコロナ禍だったわけだ。企業を退職したらあちこちに旅をしようと思っていたのに、実現せずに今に至っている。その分、新しく始めた事業に集中してきたとも言える。テーマは一貫して変革人材を育てること。変化の激しい時代にあって、今までの延長線上に未来はない。変わり続けることが唯一の解であり、そのリーダーを育てたいという想いは変わっていない。

変化はコロナ禍にあって加速し、経済は縮小した上に、先進国にあって唯一のデフレときている。DXは進まず、水先案内人のデジタル庁もリーダーとしての役目を果たすに至っていない。地図のない道を歩くように、益々戦略の選択は難しく、しかし、留まっていることは死を意味し、速く判断し即行動し、だめだったら即方向修正する慧敏性が益々求められる。

リーダー諸君。変革に目覚めた人々が新しいチャレンジをする際、相談相手にあなたを選ぶだろうか? 選ばれないとしたらあなたは新しい時代のリーダーとして認知されていない証拠だ。影響力は典型的なバロメーターだ。壁打ち相手にあなたが選ばれるようになるためにはどうしたらよいのだろうか。

どういう特質が必要なのか考えてみてください。それがあなたの来年の課題です。

 

■記憶に残る授業

皆さんにも記憶に残る授業はありますか? 僕は大学時代のある授業です。東芝のシニアの方が先生だった。大学教授と違って企業で実務をリードする幹部の目線で、企業の実態に触れる生々しい話だったことが、僕の興味を引いた。それが電機メーカーに就職するきっかけになったとも言えます。

FobesJapanによると、阪大には朝一番の時間にもかかわらず大講堂がいつも埋まる人気の講義があったそうだ。テーマは「日本国憲法」いかにも不人気なテーマに思える。なぜ人気なのか。

阪大では、生徒が講義や教授の評価をしている冊子が売られているらしい。この講義は「お笑い」の項目が満点だそうだw。

その先生とは「サンデーモーニング」に時々出演している谷口真由美さん。森組織委員会元会長から「わきまえない女」と評されたラグビー協会の元理事だ。番組上もなかなか鋭いコメントをされている。

さて、なぜ彼女の講義が人気なのか。講義の冒頭10分間に「DJまゆみの恋愛相談」wをしているのだそうだ。前回の出席票の裏に書かれた恋愛ネタ(テーマは彼女が出す)に答えるのだ。これが実にいい加減で、バッサリ切り捨てたり優しかったり実に面白いらしい。10分間恋バナなどで頭が柔らかくなったところで、「法の下の男女平等」などのテーマに入る。「なぜ君は彼女に専業主婦になってほしいの?」などと突っ込むわけだ。「インタラクティブな授業であることによって、学生に授業の内容を自然に自分ごととして捉えさせ、想像力を働かす機会を与えた」とのこと。そうでしょうね。私も受講してみたかったな。

彼女の授業にはもう一つユニークなところがある。試験にカンペ持ち込みを許しているのだ。そのかわり条件がある。A4の紙1枚のみ。学生は裏までびっちりと要点をまとめるのだ。まるでそれは小宇宙! 学生は個性あふれるカンペを作るのだそうだ。そのプロセスが学びになるのだということなのでしょうね。学生はちゃんと勉強(カンペ作り)をして試験に臨むのだから、まんまと術中にハマったということだね。

記憶に残る授業は、立派に青春の1ページとなっている。

私は記憶に残るコーチになれれば嬉しい。来年も頑張ろう。

 

■お世話になった皆様へ

クリスマスも無事終わり(ケーキもローストチキンもツリーもプレゼントも何も特別なことをしていないので、無事もへったくれもないか(笑))、いよいよ年末。年賀状もごく内輪の人を除いて送るのを失礼し、このブログなどの場を使いメッセージを発信することにしたこともあり、年末の風物詩も少なくなった。コロナ禍もあり年始に集まることもなくなり、静かな日々が続きそうだ。

こうして一年が終わる。厚労省のシミュレーションでは、私の年齢の男性の余命は15年余り。15年もあると言ってもいいのだが、コロナ禍の2年もあっという間だったことを考えると、更に加齢のスピードに抗うことの困難さを考慮すると、貪欲に活動できる期間もそう長くはあるまい。どう意図的に生きるかを意識した時間の使い方を目指すべきだと、自覚する。

今年一年は、コーチ、メンターとして新しいプロジェクトも始めたし、Hogan Assessmentの認定コーチにもなった。来年は何をしようか。

新しいチャレンジは、多くの友人に支えられた。きっかけはすべて人間関係から生まれた。それは、いつもちょっとした日常にビルトインされていたのだ。

内なる発見によって覚醒する人などほとんどいないだろう。誰かに影響を受けて目覚める、エナジャイズされるのだ。出口さんは、「旅をしろ、人に会え、本を読め」と仰る。インスパイアはそんなきっかけだ。僕もまさにそうで、友人やクライアントとのコミュニケーションが僕を動かしている。

この一年も多くの皆様にお世話になりました。深く感謝します。

皆さまにとりましても来年が更に良い年になることをお祈り申し上げます。

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ギリシャのデザート“バクラヴァ
初めて食べたギリシャ料理は、かつて勤めていた会社から歩いても行ける街にあった。
めちゃくちゃ甘いが、めちゃくちゃ美味かった。
小さな発見は人生を豊かにする。来年も行こうっと。

 

リーダーの有効性

部下の転職に頭を悩ませている人は多い。近年は特に日本においても流動性が高まり、就職イコール就社という感覚が薄れてきた。入社してイメージと違ったとか、このままでは自己実現できそうもないとか、特定のスキルを身につけ転職によって高収入の道が開かれたとかいろいろなパターンがあろう。

今日ここで取り上げたいのは、職場に魅力がない、チームに魅力がないというケースだ。これだけでは転職に踏み切るとは限らないが、これに上記が重なると転職のモチベーションは一気に高まると思われる。

申し上げたいのは、職場の魅力はリーダーによって創り上げられるということだ。その要素を考えてみたい。

 

■リーダーの二面性

そこで考えたいのが部下を持つリーダーが適正かどうかだ。まず、リーダーの仕事は2つに分けられる。ひとつは率いること。即ち統率することだ。部下を引っ張り、具体的指示をし、成果を出す行動。

そしてもう一つが導くこと。リーダーは普段からパーパスやミッション、ビジョンなどを部下に説き、腹落ちさせ、日常は彼らの自主性に任せ、必要なときのみ的確にコーチンする行動だ。

前者は指示待ち人間を作ってしまうリスクがあるが、後者は自律人材が育っていく。しかし後者はピンチの時やカオスのケースに弱さが出やすい。その場合はリーダーが前面に立ち全社のリーダーシップを発揮すべきだ。

即ち、それらを戦時と平時の時のように的確に使い分ける必要があるわけだ。リーダーの能力とそれに立脚した行動は、その二面性を持つことが重要なのだ。

 

■マネージャーとしての規律

そして、チームとして最大の成果を出すために重要なことが、経営資源の適切な配分だ。限られたリソースを最大の成果を出せるように配分すること。タイムリーにやりくりすること、必要に応じてスピーディーに獲得することなどだ。

更に組織には必要な規律がある。会議、承認、評価などなど、組織が機能するために必要なルールを最適化することが重要だ。最適化というのは細かければよいというものではないということ。オーバーコンプライアンスにならないよう、現場の自発性を損なわない自由度の高い、現場に責任と権限を持たせたルールが必要だ。

マネージャーはその適切性に目を配らなければならない。言うならば自由と規律のバランスをとるわけだ。

 

■リーダーとしての規範

リーダーは常にロールモデルにならなければならない。率先して高い目標にチャレンジし、成功までの道のりを示し、チームメンバーを動かすとともに自ら現場で事実と向き合い続ける。チーム内のコミュニケーションを先導し、フラットで風通しの良いカルチャーを創り上げる。メンバーに対しては常に献身的で、チーム内は利他心で満ちている様に動機づけする。

 

■リーダーの能力

一言でいうと、広く見て、深く見て、先を見ることができること。この能力によって、部下や社内に対し十二分の影響力を発揮できる。これらが部下と同程度しかないとリーダーとしての存在意義さえないも同然だ。

 

■人財育成

一人一人のキャリアデザインに寄り添い、成長の手助けをすること。ビジネスの将来、チームの将来に必要なスキルや能力を洞察し、その獲得に中期的に戦略的に努力を続けること。部下の成功に必要な異動やプロジェクトアサインは、躊躇せずに行うこと。

 

大雑把に思いつくまでに書いてみるとこのような感じだろう。リーダーが上記のような能力を持ち行動ができたとするなら、間違いなく部下は定着し、育ち、職場は活性化し、皆充実した毎日を送ることができるということだ。これを「リーダーの有効性」という。

 

なお、リーダーとマネージャーを区別して記述したが、意味は大分違う。その違いはまたの機会に書きたい。日本の組織の中では、管理者のほぼ全員がその二役を同時に有し演じ分けている

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横浜のこんな景色も好きだ。この辺にできるかもしれなかったカジノの構想は無くなった。新しい首長はどのようなリーダーシップを発揮するのだろうか。

 

ミレニアム世代が年寄り扱い

「ミレニアム世代は、既にZ世代から年寄り扱いされている」 え!!まさか・・・ 既にアメリカのあちこちでそんな日々が繰り広げられているそうだ。

驚いてはいけない。政治もSDGSもエンターテイメントも、そして職場も彼らZ世代が新しい常識を創り出している。それはちょっと先輩のミレニアム世代ですらついていけない。もっと年長の世代からは全く理解されないだろう。しかし、世界では彼らの価値観がどんどんメジャーになっていく。自分たちが支え守り変えていかなければならないのだから、好きなようにさせてほしいと言っているかのように。その通りですよね。年長者は彼らよりずっと早く引退し死んでいく。Z世代は自分たちが生きやすいように国も職場も変えていけばいい。本当にそう思う。年長者は新しい世代に責任を渡していくべきだ。当事者意識の希薄なZ世代も渡されてしまえば、考えざるをえまい。そして、考えてみれば自分たちが社会の主役になっていくことは自明だと気付くはずだ。

 

しかし、日本は少々状況が違うようだ。Z世代の投票率は低く意思表示をしたがらないように見える。年長者に押さえつけられシラケているのかもしれない。前回の衆議院総選挙では若い人ほど自民党に投票した比率が高いという結果がでて、僕を驚かせた。年長者の方が自民党に厳しい評価をしているのだ。自民党の傲慢さを許せない感情が年長者の方が色濃いことは間違いないようだ。

 

もちろん、いずれZ世代とて次の世代に年寄り扱いさせるだろう。しかし、間違いなく言えることがある。VUCAの時代に最先端のテクノロジーを当たり前のように使い、今までの当たり前が廃れていくそのスピードに何の疑問も持たない感覚は、それまでの世代に比べ、自信をもって今までの延長線を堂々と否定する。そんなZ世代がパフォーマンスを出せる職場にしていかないと企業は成長できないだろう。そして、彼らは必ず古い環境や価値観を首を傾げるだろう。大いに結構ではないか。彼らの価値観がメジャーになっていくんだ。それまでの間の多様な混ぜこぜの世界が何かを生み出すんだ。混沌を楽しむんだ。企業内においてもZ世代の頭を押さえつけるようなことは絶対に避けるべきだ。新しい価値観を歓迎しよう。青臭い議論を楽しもう。一緒になって社会の変化を感じよう。価値観はカラフルでなければイノベーションなど起きるわけがないのだ。

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新旧混在の街に秋の陽がふりそそぐ

 

戦略とは②

前々回の続きを書こう。「全社戦略(事業部戦略)」の3つ目は「③事業領域の管理・再編」だ。「経営戦略原論」によれば「自社の事業の範囲」を議論することを指す。まずは「多角化」戦略だ。どの事業部であろうが、製品やサービスを増減せずに数十年強化だけ行い、成長し続けていることはないだろう。古くはBCG(ボストンコンサルティンググループ)が定義したBCGマトリックスの4象限のように事業には浮沈が必ずある。商品やサービスにはライフサイクルがあるのだ。だから「金の成る木」で得たキャッシュを可能性のある「負け犬」に投資をしたり、新しい事業を開発したりして、事業の盛衰を判断しマネージしていく「事業ポートフォリオマネジメント」が必要不可欠なわけだ。これは、富士フィルムの医療への事業シフトや、大日本印刷半導体製造装置へのシフトなどご存じのように成功例はたくさんある。一方で、昨今の東芝の分割やGE、ジョンソンアンドジョンソンの分割のような「コングロマリット・ディスカウント」により市場価値を失った企業が事業再編をせざるを得なくなるような、多角化のデメリットとどのように闘うかの問題も内包している。

多角化」とは違う事業展開に「垂直統合」がある。即ち特定の事業の製造販売をしているとした場合の、「川上」「川下」への事業拡大がそれだ。古くは「スマイルカーブ」などと言って、製造業では川上である企画や部品産業と川下であるメンテやサポートが一番儲かり、本業(川中)である組み立て製造は儲からないと言われ、川上から川下まで自社で一貫して行うように事業拡大していった企業も多い。もちろんメリットばかりではない。経営資源を内部に取り込むことで柔軟性は失われていく。どこかのバランスが崩れると重荷になっていく事業が現れるのだ。連結から外して競合他社にまで顧客を広げざるを得ない産業も多い。

もうひとつが「地理的な拡大」だ。シンプルに言えば、国内だけを相手にしていた事業を海外に広げていくことになる。これは産業によってハードルの高さは大きく違うだろう。製品を作って販路だけ広げれば事足りるのか、ITサービス事業のようにローカライズのために現地に根を張ったエンジニアが必要不可欠なのかによって、投入すべき経営資源は全く違う。ハードにおけるメンテ体制の構築もしかりだ。

多角化」は即ち事業ポートフォリオをどのように変革させていくかということに他ならない。事業部長や経営陣の最も大きな使命と言ってもいい。限られた経営資源をどこに投入するのか、自社の資源を使い必要な人材は育成するのか、スピードをどうマネージするのか、大胆にM&Aで資源と時間を買うのか、多角化した時のガバナンス体制はどのようなスタイルでどのような体制で行うのか、そのためのキャッシュをどのように調達するのか等々、すべて実現可能性の高いレベルでプランニングして実行しなければならないのだ。近年は、自社のキャッシュを投入できず、その事業を切り離しVCなどに投資をしてもらい、別会社として独立させ成長を目指す「カーブアウト」という手法もメジャーになり始めている。そのように、経営陣は常に爪を磨き、時代に合った手法を学び、即応できるチームを育て続けなければならないのだ。ケーススタディーはたくさんある。GEやシーメンスなどは分かりやすいだろう。シーメンスのヘルスケアシフトなどは見事な成功例だ。つい先日も「医療プラットフォーム」をリリースし、日本国内にも進出してきた。それは既に世界各国で4万2千以上の医療機関に使われているらしい。驚いた。実は、事業シフトの実態やその本質を理解している日本人は、想像以上に少ないのではないだろうか。

 

4つ目が「④監査、評価、企業統治」だ。実際自ら事業展開している人たちにとってはピンとこないかもしれない。しかし、これは企業において生命線であり、重要な「機能戦略」なのだ。企業ではないが、昨今の日本大学の不正問題を考えてほしい。最近ではある理事が不正を働いたばかりでなく、理事長も多額の不正報酬を受けていたとの報道もあった。その真偽のほどはべつにして、大学の経営陣たる理事会、更に評議員会が全く機能していなかったことになる。これが皆さんの事業部や企業だったらと想像するといい。企業が社会の中で存在できるのは法律はもとより社会通念や倫理を守ることが必要不可欠だ。全社機能として、取締役会、監査役、監査組織、事業ラインのスタッフなどが適切に配置され、責任と権限をもって④の機能を発揮できているのか。それが事業ラインの社員と信頼関係が構築されているのか。それら機能が発揮されているかと言って、がんじがらめな身動きが取れないルールで縛り付け、しつこい位の承認プロセスを義務づけたりすれば、現場の意欲は削がれていく。イノベイティブなチャレンジは身を潜め、不確実性の低いことしかしなくなる。変化の激しい時代はそれでは成長などできるわけもない。欧米企業にますますおいていかれる。不確実でも試してみるしか生きる道はないのだ。だから、④の本質と信頼関係が大切なのだ。自由闊達な企業カルチャーを推進し、リスクに向き合い、実際大けがをしないようにスタッフがオーナーシップをもって伴走する、そのようなカルチャーを定着しなければならない。これは経営陣の仕事だ。企業や組織は必ず老化するのだ。これは絶対に忘れてはならない戒めだ。幹部や組織トップは常にそうならないように目を光らせていなければならない。それは自分を映す鏡を見続けることと等しい。もちろん、幹部でなくてもそれに気付いた社員は、幹部に向かって躊躇せずに警鐘を鳴らさなければならないのだ。

 

経営学」というと頭でっかちな学問かと誤解している方も多いが、それは大きな間違いだ。時代の変化の即した企業のあるべき姿や、成長を支える考え方、社会から求められる企業のパーパスの変化、国柄や企業カルチャーの違いによって成否が決まっている事実を知って学ぶことの大切さを痛切に実感すべきだし、学ばずして昭和の感覚で古い価値観や手法を押し付ける古いマネージメント層は一掃されないと、日本企業は生き残れない。

日本においても近年スタートアップの成長が著しい。投資家のサポートも厚くエコシステムができている。しかし、実は彼らには上記「全社経営機能」をちゃんと回す能力が絶対的に欠如している。そこに厚くコストをかけられないのだ。しかし、事業が順調にスケールしていけばそんなことを言ってはいられない。適切な機能を社内に持たざるを得ない。アウトソーシングできることも限られている。順調にスケールした優れた新興企業は優れた機能リーダーを配している。HRやファイナンス、デジタル化などの戦略的で先進的な若いリーダーをヘッドハントしている。その一部はメディアにも頻繁に登場し、ダイナミックで尖ったビジョンを語っている。その多くは、大企業が見習うべき視座を与えてくれるのだ。

 

仕事柄企業の幹部候補の方々にお会いし議論する機会が多い。現場のリーダーの多くはハンズオンで経験を積む。しかし、そのほとんどは自らの事業を成功させるための行動にフォーカスする。しかし、それだけでは将来幹部になるために必要な要素を満たせない。自分にはどのような見識や知識や経験が足りないのかは薄々分かっているでしょう。分かっていない方は、とりあえず「グロービス学び放題」のメニューを見てみるといい。無料で多くのコンテンツエッセンスを動画で見ることもできる。それをざっと観るだけでも自分に欠けているものが何なのかは分かるはずだ。

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あなたの鏡は正しくあなたを映していますか? 気付いた時には手遅れかもしれませんよ。

 

日本のレジリエンス

ハーバード大学フーバー研究所上級フェローのニーアル・ファーガソン氏の指摘は、日本人の感覚とは大分違う。それは恐らく塀の中に閉じこもった日本人がズレていることを意味しているのではないか、と感じてきた。

 

日本の高いレジリエンスはどこから来ているのだろうか。そもそも僕たちは自分たちがレジリエントだと感じたことすらないのではないか。彼の指摘は例えば、

☆世界で最も地震などの気候リスクの高いホットスポットに存在している先進国という事実。

☆COVID19対策として、強いロックダウンをしなかった国であるにもかかわらず死者が非常に少ない事実。

☆実は政治的に非常に安定していて、不確実性が低い。これは変われないということを指しているのと同義であることを忘れてはならない。

知識レベルの平均値が非常に高い。アメリカのワクチン接種率は上がらない。その理由は、接種するとマイクロチップを体内に注入されるとか、間違った想像を完全に信じる人が信じられないくらい多いから。これは怖いよね。今後間違った理解で米国の政治や軍が影響を受ける可能性もゼロではないでしょうね。

☆政治の打ち手がコンサバ過ぎる。それはコロナ対策や経済対策の躊躇や大胆さに欠けることに表れているが、それにより少なくとも暴走は起きないアメリカは経済対策は慧敏で巨大。それゆえ行き過ぎが起きるアメリカでは間もなく制御不能なインフレが起きる可能性を心配し始める人が出始めている。日本は根本的な改革ができず、借金だけがかさんでいく。要は子孫にツケを回している。その割にZ世代など若者は騒がない。選挙にも行かない。もちろん、だからレジリエントだと思いたくはない。

 

と、こんな感じ。日本は他国、とりわけ同様の先進国の中では良くも悪くも最も安定している、ということは間違いなさそうだ。気象などの変化に対して強靭というように感じはするが、それは「我慢強い」ということなのではないか。ハザード地区にずっと住み続ける人も多いし、大きな被害に遭ってもまたその地に戻る人も多い。「我慢強い」というより、「変化を嫌う」ということなのかもしれない。結局はほとんどの人はその中流感覚を居心地が良いと感じているのだろう。変わることを望んでいない。いわゆる「自己保存の法則」だ。そのことは別途書こうと思う。

 

 

さて、世界の緊張は近年急速に高まってきた。軍事政権は増え、自国優先の価値観をむき出しにする国ばかり。国連などの枠組みはポジションを下げ実効性を落としている様に感じる。そう、長く続いた冷戦が熱戦に変わるリスクが増えているのだ。11/17にインドネシア国軍トップがハーバード大学出身の親米派に変わった。これは米国にとっても対中包囲網の築くうえで非常に都合の良い動きのはずだ。中国共産党の「歴史決議」採択、それによる習主席の国家統制エネルギー強化。米国の対中圧力の高まり。その流れは誰にも制御できない。いろいろなめぐり合わせが重なり止められなくなるリスクは高まっていく。間違った思惑や楽観が暴走を生む可能性もある。その結果、世界の中で最もリスクの高い場所が台湾になっていくだろう。いかに強引な中国であっても民主主義国を敵に回して戦争に打って出ることは流石にないだろう。なんて楽観的にほぼ日本国民全員が考えているでしょう。もしくは、そんなことを想像したことすらないでしょう。しかし、今のアメリカのスタンスは実に中途半端。それでバランスし続ければまだいいが、どうなるかなんて全然わからない。いささか行き過ぎたインフレ対策に追われるかもしれないし、共和党政権に逆戻りする可能性だって高い。台湾がリスクにさらされてもアメリカは手出しをしない可能性もある。もし手出しをしないと中国が判断してしまったら、中国が暴挙に出る可能性が十分あり得る。アメリカ、英国、フランス、ロシア、そして日本。どの国がどう出てくるかなんてまるで不透明だ。皆結局は自分の安全と利害だけ考えている。国民がそれを望むからだ。メルケルはもういない。

 

日本のレジリエンスは揺らいでいる。

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こんな時代はしぶとかったかもしれない。@江戸東京たてもの園 昭和2年に港区白金に建てられた乾物屋

 

 

 

戦略とは①

世の中には「戦略的マーケティング」「戦略的サプライチェーン改革」などのように戦略的というもっともらしい前置きのある言葉が多用されている。これらは特定の事業にべったり接着した機能を定義しているのではなく、事業部門や全社としての競争優位性を高める独立した経営機能の強化を指す。そう、目先の事業に埋没しない高い視座で考えることを前提としている。しかし、現実的には「戦略的」という言葉を弄んだオママゴトが多いように感じるのは僕だけではないだろう。

 

その最たるものが「全社戦略」。これは大企業のおけるそれと、中堅企業以下におけるそれとはだいぶ趣が違う。大企業の場合は事業ドメインが多岐にわたっている。いわゆる多角化が進んでいる。そればかりでなく地理的にもグローバル化が進んでいる。しかし、変化の激しい現代においては、中小企業においても、また大企業内の事業部においても、マーケットの変化に対応するため、事業ドメインの見直しや新規事業創造の推進に血道を上げている。生きていくためにそうせざるを得ないわけだ。となると、ドメインの大きさを除けば「全社戦略」と同様の価値観で戦略を考えるべき事業体が大半であるだろう。即ち大企業であろうが、中堅企業であろうが、事業部であろうが同じはずだ。

 

経営戦略原論(琴坂将広)」によれば、Google ScholarDiversification Strategy(多角化戦略)と検索すると3万6800件の論文がヒットするのだそうだ。要するにそれくらい多様な考え方があるとともに、その裏にはそれくらい企業のニーズが大きいことを物語っている。

 

同書によると、「全社戦略(私の視点では事業部の戦略も同様なので、全社を事業部と読み換えていただきたい)として検討すべき4つの要素」には「①組織ドメインの定義・周知・更新」「②全社機能の戦略検討」「③事業領域の管理・再編」「④監査・評価・企業統治」がある。

 

まず骨格となるのが「①組織ドメインの定義・周知・更新」だ。「組織ドメインとは、組織の生存領域、生存目的であり、ビジョン、ミッション、バリューとも呼ばれるものである。これを定義するのはもちろんのこと、更に組織内に周知し、適宜それを環境の変化に応じて更新し続けることが重要になる」 MVV(ミッション・ビジョン・バリュー)最近ではミッションの代わりにパーパスと言われることが増えた、は企業の中の日常で語られるようになって久しい。変化の激しい時代には規範をしっかり腹落ちさせたうえで、社員が自由闊達にその土台の上で外の世界の変化を感じながら、他社や顧客と交じり合い化学変化をエネルギッシュ起こしていくことが重要になる。

 

一昔前の日本企業は組織内の社員の方向をまとめる必要なんてほぼなかった。というか、自動的にまとまっていた。同質な人が集まり、「男性中心社会であり、年齢による安定的な序列があり、長期的に安定した雇用の慣習がある組織では、組織の価値観や方向性の統一は、頻繁な飲み会や週末のゴルフなど自然発生的に生じる構成員間の交流でも可能である」という一種のムラ社会の価値観で統一されていた。MVVなんて必要ないのだ。しかし、現代は「事業が国際展開し、個々人のバックグラウンドに多面的な多様性が生まれると、一定以上人為的な取組を行い、組織の方向性を統一しなければならないのである」

 

上記のように、変化が激しい世界の中では、社員がアンテナを高くして多面的にマーケットの動きにビビッドでなければならない。正にVUCAの対応方法である。皆が自発的創造的で、組織の中に共感の輪が作られなければならない。しかし、人々はある目的に向けて束ねられなければならない。それが「全社戦略」の骨格なわけだ。

 

次に「②全社機能の戦略検討」だ。さて、これは何を指しているのか。事業部の中には事業自体を支援する機能が存在する。例えば、販促、物流、企画、R&D、HR、会計、マーコミなどなど。これら「機能戦略」は「伝統的に戦略の下層(事業戦略の下)に位置付けられていた」昔は、これらの「機能が組織の競争優位を左右する足腰という見方は一般的でなく、差別化をもたらす源泉とは考えらていなかった」しかし、僕の記憶では数十年前に競争優位性を作る重要な要素に「Operational Exellence」が定義され、それらの機能が一気に注目された。ここで最初に書いた「戦略的〇〇」の話につながる。例えば、皆さんも感じていらっしゃると思うが、昨今「戦略的人事(HR)」が注目されている。例えば、イノベイティブな事業開発を目指してるにもかかわらず、礼儀正しくQCDを守り、計画通り実行する枠にはまった人ばかりを採用し、勤怠管理や時間管理を堅く行い、枠にはまった年功序列の賃金体系や昇進昇給システムを頑なに守っていては、目指すべき組織ドメインの実現などできるわけもない。それは経理なども同じ。会計基準管理会計で何を管理しどう配布するかなど、すべて「全社戦略」とアラインしていなければならないわけだ。全社の(事業部の)MVVがあり、成し遂げたい世界観が明確になったら、それにあらゆる機能がアラインしなければならないのだ。しかし、それができている企業は少ないのではないか。それはリーダーの価値観が旧態依然としたままで、ムラ社会を維持する方向にエネルギーが向いているからに他ならない。

 

さて、今日はこの辺にしておきましょう。続きはまたの機会に!

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“辛口”。結構ではないか。鏡に映る自分を甘やかしてはいけませんね。
でも、行動を変えられたら自分を褒めてあげましょうね。

 

バーン・アウト

NHK朝ドラ「おかえりもね」をご覧になっていただろうか。東日本大震災に際し、何もできなかった自分を責め、皆何かを傷を抱えている。何のために生きているのか、自分は何ができるのか、これでいいのか、何もできない、もうやめたい、閉じこもる心、本音を言えず孤独・・・などの感情が渦巻いている。そんな朝ドラも終わってしまった。暗くて観るのが辛かったが、終わってみると何だか寂しい。

 

そう、一瞬の幸せは感じても、底流に流れる感情はいつも何かに引っかかっている。そんな人は多い。ウェルビーイングってなんだろう? トレンドワードになった「手取り13万円」 食べるだけでいっぱいいっぱい。趣味も娯楽も身だしなみにすらかけるお金がない。ライフワークと言えるようなやりがいのある仕事ならいいが、嫌いな仕事をライスワークにして、それで「手取り13万円」ではウェルビーイングと言われても遠い世界なのかもしれない。

 

星の巡りあわせで負のスパイラルから這い上がれない人はたくさんいる。騙されたり逃げられたり、病に倒れたり、事件に巻き込まれる人もたくさんいる。身近な人の負債を引き受けざるを得ない人もいる。そんな運命的な巡りあわせですら、努力不足だと一刀両断する不遜な大人もいる。コロナ禍が状況を悪化させたのは事実だろう。だから一律の給付金だ、ベーシックインカムだ、などという社会主義な思考が拡がる。富の差による分断を減らすアプローチは先進国の一つの大きな潮流になってきた。しかし、バラマキしか芸のない政治を応援するつもりはない。不自由のない人に給付する必要は全くない。それらの人々にニーズなどないのだ。特定の層だけにピンポイントにタイムリーに給付するのが政治でしょ。しかし、そう主張する政党はいない。皆無策だ。本当に情けない。国民がそう要求しないからだ。

 

一方で「燃え尽き症候群バーンアウト」。仕事などに打ち込んできた人が、ある日燃え尽きたかのように情熱ややる気を失ってしまう。仕事に打ち込み過ぎてきた人が疲れ切ってしまうケースも多いだろう。このコロナ禍において、上記のような負のスパイラルにある人が、貯金もなく介護も抱え、日銭を必死に稼ぐ毎日に出口は全く見えず、ある日燃え尽きてしまう。そんなケースもあるだろう。

 

身近にもそんなリスクのある人がいるのではないですか。気付かないだけかもしれない。金銭的な問題を抱えていなくても、バーンアウトすれすれの人もいるでしょう。コロナ禍の孤立・孤独バーンアウトに引きづりこんでいるケースも多いでしょう。そういう人がいたら、または「もしかしたら」とよぎったら、寄り添いましょう、話をしましょう、仕事から離れた世界を共有しましょう。「もしや自分も」と感じたら、友人や同僚にアクセスしましょう。オープンに相談しましょう。必ず手を差し伸べてくれるはずだ。

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自分と向き合うことも大切だが、たまには人に頼ったらどうだろうか。