「ソーシャル・プレナーシップ」

今年もあと1週間。クリスマスの夕方にこれを書いている。私はクライアントとオンライン・コーチングを終え、今年の仕事はこれで終わり。あとは来週にある勉強会に参加するだけだ。静かな年末年始になりそうだ。そうだ、先日届いた新しいデジタル一眼レフのマニュアルを読まないとね。古いカメラを3台売却し替わりに買ったもの。そして、来週にはPCが届く。今は供給がついていけないようで、発注から1か月ほど待たされた。2年弱の間に3台のPCを買った。2台は仕事用、今度のは今までにあった家庭共用の更新。移行が面倒だな~  さて、今日の話は・・・

 

ワールド・マーケティング・サミットがオンラインで行われた。その日は都合がつかないこともあり、アーカイブを視聴するチケットを購入し、後日好きな時に大量にある有名なマーケターの講演を同時通訳付きwの録画をオンデマンドで聴講した。

 

その中で、最近の流れを初めて別の角度で再確認できたのが「ソーシャルプレナーシップ」の話だ。これは企業のブランド戦略やリクルート戦略、更に言うと企業の存在意義やパーパスもしくはミッションに関わる新しい時代のセンスメイクだ。

 

ワールドマーケティングサミットグループCEOのサディア・ギブリア氏の講演の要点を説明しよう。彼女は「ソーシャルプレナーシップ(Socialpreneurship)」を「企業が“儲け重視ならびに株主主義”から“社会的責任を担う商品提供およびステークホルダー主義”に変化するためのイノベーション」と定義した。なるほど~

 

 

それは、今後の社会の主要プレーヤーたる若者の変化を理解すると腹落ちする。若い消費者は社会や環境への意識が高く、それが消費行動に深く関係しているというのだ。それはデータを見ればすぐ分かる。例えばこうだ。

>68%が社会に貢献する製品を過去1年以内に購入済み。

>87%が社会課題の解決支援にあたる企業に好印象を持つ。

>88%が社会を支援する企業を支持する。

>92%が社会や環境に貢献する企業を信頼する。

以前にも書いたが、世界ではミレニアル世代(Y世代)やZ世代のポジションが相対的に高まり、政治や経済の中心に躍り出ている。日本にいるとなかなかそうは感じられない。極端な少子高齢化により相対的に人口比率が低いこと、若者たちがエネルギーに溢れ社会的な参画を果たしているイメージがないことなどが、要因だろう。しかし、小泉環境大臣の今年の心変わりを見ても、政治が大きな影響を受けていることをうかがわせる。今の高齢者たちは早晩いなくなる(当然僕も)。残された若者たちが、将来幸せに暮らせるように社会を変えたい、と思うのは当然の話だ。彼らの声に応えられる企業が繁栄し、そうでない企業は衰退するのは自然の摂理だと言っていい。



ギブリア氏は「ソーシャルプレナーシップ」の必要条件を次のように言っていた。

>世界を良くするためにボランティア活動をする。

>自分が住む社会を意識する。

>人類の幸せ、平和、繁栄を意識する。

>自分のビジネスの社会へのインパクトを意識する。

>CSRだけでは不十分、自分の製品やサービスは『世界課題を解決する』と明示する。

そうです、今の若者を中心とした新しい「ソーシャルプレナーシップ」は、「お金を追わずに夢を追うのが条件」なのだ。

「ソーシャルプレナーシップ」は個人の想いからスタートし、企業の存在価値が共鳴し、産業界や政治が連携することによって実現する

 

即ち次のように連鎖していく。彼女はこう定義する。

>まず自分から始める。

>1対1で広めていく。

>同志と集まる。

>社会的責任を担うメーカーから買う

>お金や名声のために働かない、夢や目的を追う(株主からステークホルダーへのパラダイムシフトにより利益は後からついてくる)。

>人、地球をケアする会社のために働く

 

この傾向は、以前から言われていたことだ。若者たちの指向が明らかに社会的影響、例えばSDG'Sなどの方向に向かい始めたのだ。これは何もBtoCだけではない。もはやBtoBにおいてもY世代が意思決定者になり始めているのだから。さらに、これから数十年はY世代、Z世代がマーケティング的にターゲットになる。その世代の人口比率が低い日本においては、どうなのだろうか。今のシニアは企業の意思決定層からどんどん外れていく。テクノロジーやビジネス開発のトレンドがどんどん変わり、それを実践できる主役が間違いなくY/Z世代となる。マーケティングターゲットはそこにフォーカスしていくべきだ。今の企業トップだって、DXなどテックオリエンテッドの流れにはついていけない。Y/Z世代の意見を聞くしかないのだ。身も心もセンスもお爺さんやオッサン(もちろんお婆さんもオバサンも)を相手にしてはならない。ただし、これは年齢やジェンダーではなくビジネスセンスの問題。70歳でもバリバリのビビッド爺はいるからね。同時に40歳でも置いてきぼりの人もいる。

 

今後企業が意識しなければならないことは、自社が「ソーシャル・プレナーシップ」を発揮しているのかどうかだ。自社が、ジェンダー平等なのか、フェアトレード(相対的に立場の弱い取引相手などに対して、安値を無理強いしたりせず、対等な立場で公正な取引を行うこと)を実践しているのか、環境コンシャスな事業をしているのかなどに、厳しく向き合い、クライアントに説明責任を果たさなければならないのだ。

 

PS. これはそうそうたる有識者が議論してきたNEC未来創造会議が訴える、「意思共鳴社会」にも繋がる話だ。社会は間違いなく成熟していく。「意思共鳴社会」の指摘はとても腹落ちするもの。皆さんも調べてくださいね。NEC Visionary weekのアーカイブでも観れますよ。

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流れは思っているより速いもの

 

経営は進化する芸術 ~ 開放性が鍵?

一気に寒くなった。やっぱり、コロナ対策は「Stay home」に立ち戻らざるを得ない状況だ。それしかないのは分かっているのに、躊躇すればするほど、安心して暮らせる状況は遠のくばかり。残念でならない。

 

産業構造はどんどん変わっていく。2016年東芝白物家電事業(東芝ライフスタイル)を中国の美的集団に売却した。株式の80.1%を約540億円。12/12に日立は海外の家電事業の持ち分の60%をトルコのアルチェリクに約310億円で売却すると決めた。それに対照的な話が、先日発表されたセールスフォースによるスラックの買収だ。なんと2兆9千億円! 二桁違う! これは実に象徴的な事実だ。一昔前の産業の象徴、家庭の近代化、幸せの象徴であった家電の事業価値が薄れ、SNSなどのコミュニケーションツールなどテックベンチャー企業価値が爆発的に大きくなっている。なんだか、とても寂しい。その傾向は日本の衰退と重なる。ディスプレイ、メモリ、PC、携帯・・・ 皆そうだった。今や日本の製造業の輸出を支えているのは自動車のみ。それもほぼトヨタに頼る。電動化が急激に進むマーケット。HVすら排斥される流れの中で、これからどうなっていくのだろうか。トヨタの進める全個体電池だけは中国に負けてほしくないものだ。前回も書きましたが、不確実性から逃げていたら変化に置いてきぼりになるのは間違いない。

 

経営は進化する芸術だと、ワーク・クオーツ編集者ヘザー・ランディー氏は語る。時代の変化やニーズや規範に対応に対応し続けなければならない。同時に戦略の一部は決してスタイルから外れてはならない、と。

 

経営とは何なのか? 思いつくことを書いてみる。

精神性の高いもの

スキルやノウハウだけでは語れない

センスであったり、清廉さであったり、共感であったり

一橋大学の楠木教授も究極的に経営はセンスだという

スキルと共感は、合理と情理の関係とも似ている

IGPI元CEOの冨山さんは、その両方を持たなければ経営はできないという

一種の宗教観が漂う経営者も多い

誰かのために、社会のためにと考え続ける。自らのパーパスを考え抜くとそこに行きつくのかも。

スタイル、センス、想い

だからこそ「リベラルアーツ」が重要と言われる

 

性格スキルという言葉がある。それは昔から多くの研究者によって研究されてきた。性格には、①開放性 ②真面目さ ③外向性 ④協調性 ⑤精神的安定性 の5つがある。イリノイ大学ロバート教授の研究では、開放性を除いて性格スキルは70歳程度までは伸ばせることが分かっている。開放性だけは20歳までは上昇し、60歳まではほぼ変わらずその後下がっていくとのことだ。開放性とは、新たな美的、文化的、知的な経験に開放的な傾向を示す。好奇心、想像力、審美眼、幅広い興味などに現れる。新しいものに触れ、それを取り入れ、変わっていこうする積極性とリンクしているのだろう。最近、経営者には芸術や音楽のセンスが必須だとよく言われている。「リベラルアーツ」の重要性が語られるのも同様だ。

また、仕事の成果は、②真面目さ、③外向性、⑤精神安定性、④協調性 の順で関係性が高いともいわれる。そして、止めに来るのが①開放性なのだ。実はこれが経営者として大成するかどうかに大いに影響していると思えてならない。もちろん、他のものが優れているという前提だが・・・w

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開放してあげて! 違うかw

 

働きがいとは?

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小豆島の新漬けオリーブ。以前に旅行に行った日が丁度、新漬けの販売解禁日だった。普段は輸入のもの、即ち新漬けでないものばかりを食べているのだけれど、初めてこれを食べてはまった。その後浜松町にあるクライアントのビルのそばでこのシーズンに売っているのを発見し、クライアントを訪問した際に買ったものだ。今年はふるさと納税で申し込んだ。解禁日が過ぎてもなかなか送ってこないので、ヤキモキしていたが、やっと先日到着。

やっぱり美味いのだ! 輸入物などは塩抜きしてから食すと良いよ。

今日は、「働きがい」について少し考えてみたい。人生は「就学」「就職」「引退」の3ステップで進む。その先は「死」しかありません。前者2つが昔に比し長くなりました。これからますます長くなるだろうし、「就職」「就学」「就職」と2サイクルや3サイクルの人も増えるでしょう。恐らく多くの人にとって最も長いのが「就職」。即ち働いている時間です。頑張って付加価値を高めなければ稼ぎが少ないし、ある意味競争の世界ににいざるを得ない。多くの人は競争他者と闘っているからです。その「就職期間」をいかに充実して送ることができるかは重要なテーマですね。即ち「働きがい」を感じて過ごしたいということです。

 

働きがい」とはなんだろうか。公益財団法人では、働きがいを「ワーク・モチベーション」と定義しています。ちょっと思い出してください。HRの人なら全員が知っていますね。フレデリック・ハーズバーグの「二要因理論」の「衛生要因と動機付け要因」を。仕事への満足度は、「衛生要因」即ち職場環境や給与や福利厚生などの、本人からすると外的な与えられる要因と、「動機付け要因」即ち仕事がもたらす達成感や成長、困難な仕事にチャレンジする機会や責任ある仕事を任されるなどの、自分の気持ちが鼓舞される内的要因、正に動機付けがあります。前者はなければ不満に感じる、後者はあればやる気が出る。という違いがあります。仕事へのモチベーションは、外発的に(「衛生要因」によって)生まれるのではなく、仕事そのものから内発的に(「動機付け要因」)生まれることが研究から明らかになっています。

 

実は、日本をはじめ世界の働きがいのある会社ランキングを発表し、その実現をサポートする「Great Place to Work® Institute(以下、GPTW)」では、働きがいの定義を「働きやすさ」と「やりがい」の両方が揃っている状態と定義しています。「働きやすさ」とは快適に働き続けるための就労条件や報酬条件などにリンクし、上記の「衛生要因」だと理解できます。仕事のモチベーションと同様に、「働きやすさ」だけを向上させても、「働きがい」は上昇しません。そこに必要なのが「やりがい」なのです。

 

やりがい」をもっと考える必要がありますね。これは個人個人の「仕事観」という価値観に強く結びついていると思います。何のために仕事をしているのか? 何を成し遂げたいのか? 何が喜びなのか? などですね。働く意味を充足できれば、仕事に対するやる気やモチベーションが上がりますよね。自分の能力が活かされた時には「やりがい」を感じますよね。日々成長を感じることができれば「やりがい」を感じますよね。そうです、「やりがい」とは仕事そのものや仕事を通じて得られた「変化」に起因するものなのです。

 

さて、話が繋がってきました。「働きがい」とは「衛生要因」「動機付け要因」の両方を上げていかなければなりません。最近では前者を象徴するのが「働き方改革」ですね。前者はビジブルなのでコンロトールすることは比較的容易です。それに、長きにわたる組合との交渉などで、ほとんどの企業ではやるべきことはやり切ったに近い感覚だと思われます。もちろんこのコロナ禍で出た新しい在宅ワークに関する設備投資やルール整備の問題が残っている企業は多いと思いますが。そうなると、フォーカスすべきは「動機付け要因になるわけです。

 

皆さんも覚えていると思います。2017年にアメリカのギャラップ社が世界で実施した従業員のエンゲージメント調査を。日本はやる気のある社員がたった6%。やる気のない社員が70%を超え、対象国中ほぼドべだったのを。日経新聞で取り上げらた時にはびっくりするとともに、なるほど~と妙に納得したものでした。その後もたくさんのメディアで取り上げられ、話題沸騰。それを引用した書籍はたくさん発行されたし、エンゲージメント上げるためのHRTechサービスがたくさん登場しましたよね。そうです。日本の問題は「やりがい」を上げるということなのです

 

これには、以前に書いた日立の矢野フェローの研究も深くリンクしていますね。社員のHappinessは「やりがい」を高めるのです。

この辺に関してはたくさん書籍やWebサイトに取り上げられていますから、是非ご覧になってください。

 

前回男性性と女性性の話を書きましたね。記事に登場するホフステード社の友人から不確実性に対する話を聞きました。「不確実性の回避」とは不確実な状況や未知の状況に対して、不安やリスクを感じる程度を言います。曖昧、未知、予知不能な状況にストレスを感じ、避けようとする願望強いのか、弱いのか、ということです。ホフステードの5次元モデル(4) 不確実性の回避 (hofstede.jp) に書かれていることを引用しながら考えを述べますね。「不確実性の回避度」が高い文化の国では、不確実性を減らすためにいろいろなルールや規制、縛りなどの仕組みや約束事がたくさん用意されます。「不確実性の回避度」が高い国の典型が日本なのです。それに対して「不確実性の回避度」が低い国の特長とはどんなものでしょうか。想像がつきますよね。リスクの度合いがわからなくても初めてのことであっても、それほどストレスを感じない文化なのです。まず、やってみよう、なのです。ルールは少なく、本当に必要なルールのみです。野中郁次郎氏も言っていますね。日本をだめにした理由の一つが「オーバー・コンプライアンス(過剰統制)」だと。通じる話です。同社は「不確実性を回避する傾向の強い国では人々は不安で忙しそうで、ソワソワしています。平均すると、あまり幸せであると感じていません。」と言っています。なるほど~ 皆さんもそう思うでしょ。仕事上でもがんじがらめで縛られていたら「やりがい」を感じませんよね。

 

社員が光り輝きイノベーティブでオープンな会社は、社員の自律度が高いと感じます。自分で考え自分で判断し自分で行動します。排他的ではなく、人々が交わり共感しあい助け合い楽しみながら成果を追求します。そこには手続きの煩雑さや面倒くささは存在しません。指示待ち人間は存在できません。

 

とはいえ、ルールがないわけではありません。当然ですよね。ネゴの余地のない規則やルールが厳然と存在します。分野ごとに〇〇さえ守れば、やり方は問わないなどという感じです。自由度が高い。その反面、外資系などはその原則を守れない人は厳しく罰せられます。先日歴史の長い典型的な日本企業の部長と話しました。部長には絶大な権限が与えれれていました。皆さんのイメージよりはるかに高額の受注権限です。いくらまでは部長権限で受注判断ができるのです。これは外資系にも存在しないと思います。日本法人であれば確実にHQの承認が必要になる話です。そこまで自由度が与えられている。もしかしたら上場企業の社長の権限より大きいかもしれません。日本企業も変わってきたものです。

 

ところが、その企業がやりがいに溢れているのかと問われれば、「NO」でしょう。ご多分に漏れず、社員のモチベーションやエンゲージメントの向上が課題なのです。現場に権限が委譲されればやりがいが出る、というように簡単に解ける問題ではなさそうです。

 

私は、自分の仕事観、即ちなんのために働くのか? 働く喜びとは何なのか? などに真剣に向き合うことをお勧めします。自分の気持ちを整理し、それに忠実に生きるのです。自分の存在価値を感じ、チームの存在価値を共有し、その実現に邁進するのです。不確実な世界と向き合い、逃げずに楽しむのです。できるかできないかではない。やってみるのです。行動するのです。それがあなたの存在価値なのですから。

 

以前に書いたかもしれませんが、最近ある組合幹部の方と話し合ったときにそんな話題になりました。組合は長い間福利厚生や給与などのアップの交渉ばかりをやってきたが、すでにそういう時代は卒業すべきなのではないか。社員に「やりがい」を感じさせるためには交渉でなく、両者が手を取り合って問題を解決していかなければならないのではないかと。時代は変わったのです。Nomalがない以上NewNomalなど存在しないのです。自分たちで考えるしかない。そこに労使など関係ないのです。

 

冒頭、競争の世界にいざるを得ない、と書きましたが、多くの人にとってはそうかもしれませんが、そうしなければならないということも全くありません。ジェレミー・リフキンの言うように共有社会になっていけば、価値観はガラッと変わります。幸せと競争は無関係です。企業の多くもそのような価値観が社員や社会の共感を得るでしょうし、やりがいを感じるかもしれません。たとえ、競争の時代を長く送ってきたとしても、その世界から離れて、自分の価値を誰かに提供する喜びを糧に生きている人もたくさんいるでしょう。現在の私もそうです。

 

文化に抗うということの困難さは容易に想像がつきます。リーダーの力に負うところも大きいでしょう。しかし、それを乗り越える斬新なリーダーがたまたま現れるという幸運を待ってもしょうがないのですよ。一人一人が自分と向き合い自覚をして変わっていくしかないのです。

女性性は個性

D&I

女性役員が3割いる会社の利益率が、そうでない企業より15%も多いという事実がある。株価が高いというデータもある。業績が良ければ株価も高くて当然だ。企業における「D&I」の価値は誰もが認めるようになった。一色に染まったムラ社会よりも絶対にイノベイティブだし、インクルーシブな文化は社員の心の安寧につながり、風通しも良い。そう、皆が分かっているはずだ、少なくとも建前は。一方で、管理職でも「D&I」って何ですか?という人もいる。これも残念な事実。更に、言葉は知っていても、価値観や行動や言動はそれとは程遠い人が多いのではないだろうか。最近では某区議会議員の偏見にまみれた言動が、世間をにぎわせた。本人は何で批判されているのか理解できていないようだった。それが現実。

 

女性性と男性性

この言葉は最近、私の友人が代表取締役を務める「ホフステード・インサイツ・ジャパン株式会社」のブログで知った。男性性/女性性をこう説明している。

男性性の特徴

  • 業績主義社会が理想で「強い者」「秀でた者」が支持される
  • 欠点の修正を求める社会
  • 働くために生きる。仕事は人生にとって重要な要素
  • 女の子は泣いてもいいが、男の子は泣いてはならない女性性の特徴
  • 女性性の特徴
    • 福祉社会が理想で、貧しい人、弱い人を助ける
    • 寛容な社会
    • 生きるために働く
    • 男の子も女の子も泣いてもいいが、喧嘩してはいけない
    • そして、なんと日本は世界の中で最も男性性の強い国とされているのだ。

 

マッチョである必要はない

女性管理職の一般的特徴は、臆することのないメッセージ性の高いリーダーシップが弱い。積極果敢に攻める姿勢が弱く見えることなどだろう。これは360度評価をすると明らかな特徴として現れるのではないだろうか。少なくとも私の経験ではそうだ。

しかし、その反面、暖かく部下の話をよく聞くとか、落ち込んでいる人に対して的確に手を差し伸べるセンスがあるというような、インクルーシブな特徴があろう。

強いリーダーシップを称賛する傾向の強い日本。いわゆる、「俺についてこい!」的なマッチョなイメージ。「男はこうあらねばならない」的昭和以前の価値観。その刷り込みが今でも堂々と存在する事実。正直、私にも全くないとは言えない。

目を背けない勇気、先送りしない決意、偏見やバイアスなく意見を公平に聞く懐、冷静な分析・判断、ビビッドな感性、尽きることのない向上心、良識的かつ清廉な価値観などがあれば、いわゆる男性性の低い人(女性だけでなく男性も)が管理職やリーダーや経営幹部に向かない、ということは全くない。残念ながら部下にもバイアスがある。女性管理職に対する一種の偏見が存在する場合もある。上司はこうあってほしいと。

しかし、もうそんな時代じゃない。特に女性の社会進出が著しく女性社員の比率も高くなった現代では、女性社員の多くは、男性性むき出しの上司を望まないだろう。そして、男性性が低くても、上記があれば必ず信頼関係は築けるはずだし、現に社会には大活躍している女性管理職・幹部はたくさんいる。その多くにマッチョなイメージは全くないではないか。中には男勝りな迫力のある方もいらっしゃいますがw それは稀有な例🙄。そう、個性です。

 

個性を大切に

男性性が極端とも言えるくらい高い日本は、ちょっと住みにくい。男はこうあるべきだとか、女はこうあるべきだという因習ともいえる価値観にがんじがらめだった時代は長い。昭和までの時代かな。それで苦しんだ人は男女を問わずたくさんいた。特にアバンギャルドな都会と違い、保守的な地方の方が色濃いだろうな。

男性は論理的で女性は感情的、男は度胸で女は愛嬌、、、なんていう類は今では性差より個人差の方が大きいと、分かっているはずでしょ。

今でも日本ではなんとなく、男はこうでなくちゃ、女はこうでなくちゃ的な刷り込みは存在する。子供にそう言ってしまう親も多い。だから、例えばリーダーシップ教育における強いメッセージ性などは、男性は素直に受け入れるが、女性の一部は「そんなの無理」と感じるだろう。リーダーはこうあらねばならない的なことは私も言いがちだ。部下自身もリーダーはこうあってほしいなんて言ったりもする。もちろん性差を意識した話ではなく、人の上に立つ人は男女を問わずこうあってほしいという意味。しかし、それは男性性の強い日本ならではの価値観だと理解する。

しかし、リーダー像なんていろいろあっていい。皆個性的であっていい。必要不可欠なのは、プロフェッショナリズム染み出る影響力だと思う。

女性経営幹部の方々と話すといつも感じる。皆さん非常に優秀。表現は上品だが切れ味が鋭い(ただし大きな太刀ではなくペティナイフという感じ)。俯瞰的に見ることができるし、そのためにファシリテーションがうまい。偏った見方をしない、実に公正公平。常に優しさが漂ってる。言い換えるとインクルーシブ。私は足元にも及ばない。私は尊敬の気持ちに溢れ、実に幸せを感じる。もちろん、そんな人は男性にもたくさんいらっしゃる。

 

Glass ceiling

30%クラブに入会する企業も増えた。私のクライアント企業も○○年には女性幹部を△△%にすると社長が決めた。「クオーター制」、いいではないか。男性性優先のバイアスが色濃い日本においては、そのガラスの天井を壊すためにはそれくらいの変革が必要不可欠だと思うのだ。

アメリカでは、副大統領になるカマラ・ハリスさんが、「ガラスの天井にひびを入れた」と称されていますね。彼女の母親(インド出身)がまた素晴らしい。「あなたが先駆者でもあなたが最後になってはならない」と娘の背中を押していたのだ。

ガラスは必ず崩れ落ちる。落ちた欠片が放つ光は正に「カラフル」だろう。「D&I」は複雑に光を反射し、混ざり、色を変え、何度も反射し、見たこともない色を創り出し、人々を、社会を豊かなものにしてくれるはずだ。

ジェンダーギャップ指数が121位の日本。すぐに改善するとは思えない。皆の価値観が変わるには時間がかかる。一人一人が変わる努力をしないとね。

 

PS. アメリカでは、CDIO(最高ダイバーシティインクルージョン担当責任者)を置く企業が多い。Appleもその一社であるが、先日そのポストにIntelで同じポストにあったバーバラ・ワイ氏(53歳女性)を副社長として指名したと報道があった。

AppleのWeb“Inclusion & Diversity”によると、2018年時点でのAppleの従業員全体の33%が女性(30歳以下では38%)(男性比率が高いIT企業としては凄く高いと思う)で、米国での従業員全体の50%が非白人だそうだ。正にD&I。(同社ではI&Dだね)

PS. 11/27に日経新聞主催で「ジェンダーギャップ会議」が行われ、東京センチュリーの原真帆子専務がパネルに登場し、こう話していた。女性管理職研修で悩める彼女らに、俺についてこい的な縦の強いリーダーシップは必要ないんだよ、皆の意見をよく聞くような横のリーダーシップが大切なんだ、と話すと、それでいいんですねと彼女たちが安心すると。そう女性管理職も、リーダーはマッチョでなければならないというバイアスを持ってるんですね。それが当たり前だった歴史しかないのだから無理もありませんね。

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カラフルは、バランスであり安寧でもある。

 

 

Happiness

以前から毎年秋になるとフォーラムや展示会が多数行われる。コロナ禍での今年は、オンライン開催のハードルが下がったこともあり、やたらたくさん開催されている。私も可能な限り聴講している。私のコーチングスケジュールは前月の上旬にはほぼ決まっているので、気が付いた時にはバッティングしているケースも多い。そのようなときには、アーカイブを用意してくれているサイトが有り難い。実は、いろいろなクライアントと話すが、ほとんどの方が、このようなオンラインフォーラムを聴講していない。勿体ないですよ。上質なインプットなしに成長はありませんよ。それに、多くは無料です。

 

■幸せな集団

日立の矢野さんはHappinessの研究で有名だ。読者の多くもご存じだと思う。その長期にわたる研究で、幸せな集団は、生産的で創造的で心身を健康にし、事故や離職が少ないことを証明している。そして、そのような職場の特長をこのように定義している。先日のフォーラムでこんな風に話していらっしゃった。僕の理解は、以下の通り。

①職位に関係のないフラットなコミュニケーション

②組織図に関係のない人間関係

③予定表にない5~10分のライトな会話

そのような職場には「信頼できる関係」が存在していると。

ところが、これらはコロナ禍で実現が難しくなっていることばかりなのです。

 

■振り返れば

振り返れば、皆さんの職場には昔から次のような幹部がいたのではないでしょうか。

そもそも、偉そうな上司は、ことごとくこのような行動を嫌う。こういう人を「裸の王様」という。突然「今いいですか?」なんてアクセスしてくる部下、ましてや他部署の人に対して、嫌な顔をしたり、「突然来るな!秘書を通せ」とか、「時間がない」とそっけなく冷たさがあからさまだったり、そういう幹部の秘書に限って、自分の判断で鉄壁なデフェンスをしたりする。秘書には悪気がない。そんな上司の意向を忖度しているだけだ。可哀想に。

あなたがそんな上司であれば、心から反省すべき時です。そんな態度では部下の幸せは実現できませんぞ。以前のブログの様に自分はそんなことはないと思っている人の大半は、すでに「裸の王様」の可能性がありますよ。部下から指摘してあげましょう。上司のためを思ってw。

 

■コロナ禍の工夫

さて、

コロナ禍で、このようなフラットでライトな会話を日常の中にビルトインできるのだろうか。色々な職場で取り組みが進んでいますね。参考にしてください。

☆オンラインで朝礼や終礼の習慣を作る。

☆オンラインでランチ会や3時のお茶会や飲み会を行う。

☆上司が、毎日決まった時間にZoomをオープンしておき、誰でもアポ無しにアクセスできるように知らしめておく。

1on1のみならず、ワークショップなどを積極的に開催する。

☆それも階層を飛び越えて(スキップして。中間階層を抜きにして)行うパターンもあり。(スキップ(レベル)・ミーティングなどと言います)

☆もちろんすべて顔出しで行うのが大切。表情のない会話はツーカーの関係ですら、真意が読みづらいのですからね。

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こんな書斎が欲しいw

 

傲慢の先 闇の先

他人のことはよく気付くのに、自分のことは気付かない。これは人間の本性ではあるまいか。相手のミスはよく気付くのに、自分のミスは気付かない。相手の傲慢さには腹が立つけれど、自分もそうだとは全く思っていない。相手の偏見には苦虫を噛み潰すが、自分も偏見だとは思ってもいない。失敗したのは部下のせい、成功した時は自分のお陰というのに少し似てる。悪いのは相手で私じゃない。このように偏った見方をする人は実に多い。

その逆に、すべて自分のせいだと思い悩む人もいる。真面目過ぎると言えばそれまで。しかし、本人はいたって真剣。真剣を通り越して、悩む様子は深刻だ。私はいつもこう思う。「真剣にはやるさ。でも決して深刻になる必要はない。」と。

話を戻そう。常に相手のせいにしてしまう人に何を伝えればいいのだろうか。何を気付かせればいいのだろうか。私はよく「鏡を持って自分と向かい合ってほしい」と話す。でも、恐らくそう言っても分かってくれないだろう。逃げている人は、永遠に事実に向かい合えないのだろうか。常に都合の良いフィルターを通して見ている。顧客の信頼を失い、部下から総スカンを食い、上司の叱責に背を向け、友人や家族から見放されても気付かないのだろうか。すべてを失ったときにはじめて気付くのだろうか。

自分は実にちっぽけな存在だ。どんなに経験を積もうが、齢を重ねようが、社会的地位を獲得しようが、所詮ちっぽけな存在だ。自分一人では何もできない。社会の一員であるという関係なしに存在できないのに。生きていくことすらままならないのに。あなたがいるから生きていける。仲間がいるから希望が持てる。共感できるから喜びがある。だから未来がある。

クライアントの悩みを聞き、私自身も闇の中を一緒に歩いた気分になった。

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秋は短い。晴れた日は思い切り楽しみたい。

 

「ウーブンシティ」と章男社長の葛藤

トヨタの「ウーブンシティ」をご存じだろうか。

豊田章男社長は今年の7月に、NTTとの資本提携を発表した。「ウーブンシティ」を実現するためにはビッグデータの活用は避けて通れない。そのためには情報通信企業のノウハウが必要不可欠だと思ったのだろう。

更に彼は止まることなしに、7月に自動運転ソフトの開発を担う子会社TRI-ADを、持ち株会社「ウーブン・プラネット・ホールディングス」と自動運転技術を開発する「ウーブン・コア」、ウーブン・シティなどの新しい価値創造を担う「ウーブン・アルファ」の2つの事業会社に移行させた。

そう聞いても、「そうなのね!」で終わってしまう。ここで注目せざるを得ないのは、持ち株会社「ウーブン・プラネット・ホールディングス」に彼は私財を投入していることだ。金額は分からないものの、彼はトヨタという企業の取締役会が承認した投資ではなく、私財を投資したということなのだ。

恐らく彼は深く葛藤したのだと思う。トヨタには37万人の社員がいる。それが章男社長のスマートシティー構想に賛同する景色を想像できますか? 2020.1にラスベガスで行われたCESで彼は「ウーブンシティ」のコンセプトを発表した。静岡県裾野市にある工場跡地にスマートシティーを作る構想だ。2000人がそこに暮らし、そこで発生する情報を活用し新しい街づくりをするのだ。

その発表に対して、社員は反応をせず全くの無関心だっという。自動車の将来はどうなるのか? モビリティーの未来はどうなるのか? 章男社長は壮絶な危機感を感じているのだろう。世界のリーディングカンパニーのトップの責任、創業家の血を引く責任、影響、社会の成熟に対して果たすべき役割、生活、移動、環境、幸せ・・・。成し遂げたいことは何なのか?

彼の葛藤を知る術はない。僕たちの目の前にある事実は、彼は私財を投じて闘いを挑んでいるということだ。社員の賛同を得られない事業にトヨタとして投資することに、限界を感じていたのかもしれない。トヨタの生存領域にスマートシティーはなかっただろう。車を作りたかった社員にスマートシティーを創るリスクを飲み込めとは言えなかったのかもしれない

トヨタのCMをご覧になると、宇宙、コロナ対策防護服、「ウーブンシティ」が全部つながっていると言っていることに気付くでしょう。でも何が言いたいかわからないですよね。恐らく社員の多くは、章男社長は何を血迷っているのかと腹の中では感じていることでしょう。

「ウーブンシティ」構想には多くの企業が協調し、モビリティーだけでなく、住宅、エネルギー、食糧、教育・・・など、多面的に新しい取り組みがされるのであろう。

私財を投じて社会変革の実験を行うチャレンジャーは、日本の化学反応の触媒になれるのだろうか。社員や株主・投資家やサプライチェーンを担うパートナーの共感を得られるのだろうか

もちろん、彼の描くスマートシティーはモビリティーと深くかかわるだろう。日本におけるスマートシティー事業は主人公が未だに現れない。少子高齢化の日本においては、都市経営、特に地方のそれは、街を生活を維持できるかどうかを決める最重要テーマだろう。極々近い将来、上下水道、電気、道路や橋などのインフラさえ維持できない限界集落が多発するでしょう。それは、「ぽつんと一軒家」のような寒村だけでなく、地方の街や都市にも広がっていくでしょう。それが分かっていながら、スマートシティーに投資をする人がいない。国も自治体も民間企業も少額投資で、まるで様子見だ。誰も政治マターだと思っていない。これからの日本を考えれば、国策以外の何物でもないのに。

その中の「ウーブンシティ」。これからどうなっていくのだろう。直感的には、このプロジェクトは、その流れに一石を投じるものにならないと感じる。誰かが注目してメディアに火をつけないと。目を離せない。

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小布施で買った「北信流」。ひやおろしのシーズンももう終わり。

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我が家の近所ではすでにサンタさんが現れた。もうそんなシーズンなのか。ひやおろしが終わればクリスマスか~