つづきを書こう。自分と向き合うこと

前回SBGを取り上げて、会社は誰のものか云々と書きました。その続きを今日は書きますね。

私は以前にある企業トップに、その企業の変革に関して提案をしたことがあります。起業した以降の話です。詳細は書きませんが、トップが社員にどう向き合うかの観点です。トップは強いリーダーシップを求められます。特に戦時のおけるカオスの中では必要不可欠だと思います。しかし、平時はどうでしょう。平時においても、この人類史上最も変化の激しい時代においては、日常が変革の毎日である必要があるものの、それはトップダウンで行われるべきではなく、社内のあちこちで内発的に行われるべきものです。そのきっかけはトップによってなされるべきなのはその通りでも、箸の上げ下ろしを指示してはなりません。そうし続ければ、永遠に社員は指示待ちになり創造的な職場はできませんね。

トップに必要なのは、ハンズオンです。顧客、顧客フロントにいる社員、製造現場、エンジニア、サプライチェーンを担う人々、協力会社や販売店、事業パートナーなどなどとコンタクトを取り続けることです。そんなのは当たり前ではないかと皆さんは仰るでしょうが、実はできていない企業幹部、経営陣がほとんどだと感じています。大体、トップに上がってくる情報はほぼねじ曲がっています。特にトップが強い圧力を振りまいている人であればあるほど、各レイヤーの人々はその上のレイヤーの上司の強い指示や忖度にコントロールされます。上司はどのような報告を欲しがっているかを考えるのです。それが何回層にも行われると、もはや事実は覆い隠され本質を見失った議論や指示が行われかねない状況に至ります。各レイヤーとも「見たくないものは見えない」「都合の良いものしか目に入らない」人たちの集合体ですから、そうなって当然です。彼らが悪いわけではありません。そうさせているのは積み重なった上司の遮眼帯で去勢された本質を見失った固定観念です。

トップは事実に触れるためにハンズオンで降りていくしかないのです。フランクな話を聞いたり、都合の悪い話を聞いたり、自虐的な落胆するような話に耳を傾けるしかないのです。もちろん、そのような話を忌憚なく話してくれる人たちに深い感謝の念を抱きながらです。

さて、企業の経営陣はそのような機会を当たり前のように作っているでしょうか。社内で会議ばかりしているのではないですか? 在宅だからできないって? 嘘コケ。そういう問題ではありませんね。自ら行動しなくてはならないのですよ。部下の誰がそういう機会を作ってくれるというのですか? 現場を見せるとろくなことが起きないから誰もそういう機会を作りませんよ。そんなにひどいのか!と怒られると思っているのですから。自ら機会を作りフランクにコンタクトしなければならないのです。

そんなことを考えていると、さて、企業トップは社員の代表たる組合とちゃんと向き合っているのかと疑問が湧きますね。組合サイドも、トップに忖度したような向き合い方しかしていないとするなら、そもそも存在価値すらない組合ということになりますね。経営陣が組合とちゃんと向き合うということは、必要不可欠なハンズオンの一つです。忌憚のない、自虐的な事実を包み隠さず話し、議論する場でなければなりません。経営幹部は組合との議論の都度、「びっくり仰天」「目から鱗」というような経験をしなければ意味がないのですよ。幹部の人たちはそんな経験をしたことはないでしょうね。

そこで考えなければならないのは、組合員の姿勢やマインドセットです。以前から感じていたことですが、社員の多くは自分の会社のことをよく理解していません。就職活動の時はよく勉強して、ステレオタイプな「御社の・・・というところを尊敬しています」なんてことを言っていたはずなのに、多くの社員は入社後自分の会社のことに興味を失ったようなマインドセットになりますね。これはCMOだった時に感じた大きな課題でした。それが、例えば「インナーブランディング」に力を入れるなどという施策につながったわけですが・・・

大切なことは「オーナーシップ」だと思います。皆さんはご存じかどうかわかりませんが、社員のオーナーシップといえば有名なのがシーメンスですね。グローバル・エクセレント企業で、製造業からデジタル、ソフトウェア企業へとシフトを続ける、多くのレガシー企業の見本となるべき企業ですね。シーメンスが大切にしているのが「オーナーシップカルチャー」です。社員全員一人一人が会社を背負っていると自覚して、業務に邁進する文化のことです。その文化の根底にいろいろな行動が隠れています。例えば、幹部はマーケットやテクノロジーの変化などいわゆる「メガトレンド」を理解し、それを社員に発信します。社員はそれを理解し、中長期的視座に立った戦略を考えるのは自分だと悟ります。ポイントは幹部は社員を腹落ちさせられるのかです。分析し洞察し危機感と機会を納得させるのです。また、会社は社員の成長のために、個々にいろいろな仕事をアサインします。同時に社員は自分のキャリアプラン、即ちどう成長したいのかを考えるように指導されます。そのように会社と社員のwinwinの関係は、次に権限委譲につながります。シーメンス将来は自分が決めるのです。幹部でなくとも、社員は「自分の会社」とも言うべき「オーナーシップ」感覚を自然と身に着けます。これは、言い換えれば「当事者意識」「責任感」ですね。更に社員の半数以上が自分の会社の株を所有しているそうです。そういうところにも表れるんですね。

組合員をはじめとする社員が、そのようなマインドセットで会社と向き合ったら、素晴らしいと思いませんか。そんなことが日本において可能なのでしょうか。以前にも書きましたが、ギャラップ社が全世界1300万人に調査した結果では、日本企業はエンゲージメントレベルの高い「熱意があふれる社員」が6%で139か国132位だったのです。なんと「やる気のない社員」が70%もいたのです。これはどういう意味なのでしょうか。もちろん一言でいえば世界で最もエンゲージメントレベルが低い国、となるわけですが、この状況で先ほど書いた「オーナーシップカルチャー」があるわけがない、と気付くはずです。なぜなのでしょうね。自分と会社は別人格、関係ない、給与のために働いているだけ、小うるさい上司の言うことを聞いていれば給料がもらえる、楽しくもないし働き甲斐もない・・・というような関係なのでしょうか。自分と上司や同僚、同期などと心はつながっていないのでしょうね。信頼関係もなければ、将来の夢を共有したこともないのでしょうね。

企業は人です。最高最大の財産は人材であり、社員が持てる能力と情熱を発揮して当事者意識と責任感を持って、価値を社会に届けるのです。それが喜びであり、一人一人の存在価値です。トップも経営陣もマネジメント層も組合員も組合も、そんな当たり前のことを腹落ちさせ、今までの自分とちゃんと向き合いましょう。それがすべてのスタートだと思いませんか?

 

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ひとりひとりの個性は、オーナーシップ・カルチャーでつながるんだろうな。

 

 

会社は誰のものか? SBGを見て考える

ソフトバンク・グループSBGの孫社長がSBGを手放すことになりかねない可能性があると言われ始めて1っか月以上たっただろうか。本人によれば2兆数千億の資産を有しているらしい(SBGの約22%の株を持っている)ので、そんな心配は無用だと言っているとのことだが…

ことの発端は決算の記者会見。彼は個人として5,000億円の融資を受けていると語ったのだ。問題はその担保。なんと彼が有するSBGの株のうち約70%を差し出しているらしい。もちろん株価が高ければ何の問題もない。ところが、その株価が下がれば、彼は担保の追加をしなければならない。できなければ株の売却か別にキャッシュを用意しなければならなくなる。最近のSBG株の暴落でそれが架空の話しではなくなる可能性が出てきたらしい。金融機関もコロナ禍以降業績が悪化し、おおらかに対応できる余裕がなくなっているとしたら、孫氏に対する圧力も強まるはずだ。

SBGはもはやファンドだ。Weworkなど投資先の株が暴落し、2020年1~3月期の連結決算(国際会計基準)は最終損益が1兆4381億円の赤字(前年同期は1271億円の赤字)だった。それを埋めるために、上場したばかりのソフトバンクの株を大量売却し現金化したうえで、SBG自社株を2兆円も買いますと発表し、株価の立て直しに汲々しているとも見える。

もちろんファンドのポートフォリオである各社の価値が上がってくれば当座の問題はない。投資家に利益を還元し、SBGの株価もまた上がってくるだろう。マクロ的にみればそういうベクトルだろう。ただ、人類が経験したことにないコロナ禍により、産業セクターの浮沈は想像を超えてダイナミックに動く。Weworkは創業者の暴走に始まり、コロナ禍によりシェアオフィスの価値は谷底に落ち、またウーバーも同様。

マーケットが成長しているときは、借金しても問題は全くない。金が金を生むサイクルが回る。ファンドはそういうマーケットや企業を探す。特にSBGの場合は成功がほぼ間違いないミドルステージからレイターステージ(後述)の企業、即ち更なる大胆な拡大のために巨額の資金を必要としている企業に、大枚を投じて成長してきた。もちろんその目の付け所が素晴らしいが、その金額の大きさが梃子たるゆえんだ。

SBGはファンドであり実業でもある。G各社の社員はどう感じるのだろうか。実業でいかに稼ごうが、ちょっと風向きが変わって縁もゆかりもないポートフォリオ株価が上下した方がよっぽど業績を左右する現実。

ファンドとはそんなもんだ、と言ってしまえばそれまで。しかし、SBGは違う。事業会社でもあるのだ。孫さんはそう思っていないようだが・・・

 

 もし、孫氏をはじめとする経営陣がMBOManagement Buyout「経営陣による買収」)するとすると、10兆円ほどの資金が必要だ。もちろん個人の所有資産でそれが賄えられるわけはなく、金融機関など第三者が軍資金を提供することになる。第三者に株を持たせたら何のためのMBOか分からなくなるともいえるが、非上場にすることだけはできる。孫さん自身は、営業利益ばかりに注目しないでほしい。投資会社なんだから株主価値に注目すべきで、それは落ちていないんだからガタガタ言うな、とでも言いたいのでしょうね。本音は非上場にしたいのかも。

話は戻して、一年を見ると、ソフトバンク・グループSBGは2020.3月期で営業利益が1兆3,000億円の赤字、当期純利益は9,600億円の純損失だった。

SBGはアリババの株を昨年6月にも一部を売却し1兆2,000億円の売却益を得ている。その際にアリババの持ち株比率は26%に下がっている。現在アリババの時価総額は60兆円ほどなので、今でも15兆円以上のアリババ株を持っていることになる。SBGで約6兆8,000億円の借金と5兆円の社債があると言われているが、アリババ株が暴落しない限りガタガタ言われる筋合いはないと、孫氏も思っているのだろう。

ところが現下の状況の中でSBGは銀行への返済と自社株買いに充てるために、4兆5,000億円の資産売却を予定している。そのうちアリババ株が1兆5,000億円程度とのことだ。

このような状況になったのは、ソフトバンク・ビジョン・ファンドSVFの投資価値の暴落だ。SVFはご存じの通りサウジアラビアなど投資家から8兆円弱の投資を受けている。それ以外にもSBGはメガバンクを中心とした銀行から7兆円弱の融資を受け、40万人の個人投資家社債を売り、その資金を90社弱のベンチャーに投資し、ソフトバンクやZDHなどに4兆円以上投資している。また、スプリントやARMなどの海外企業に6兆円弱投資している。得た資金は返済や償還、利払いをしなければならないのは言うまでもない。更に投資先の株主価値が下がれば会計上は損失に計上しなければならない。今回の決算ではSVFで1兆9,000億の損失、WeWork、Uber、OYOなどの企業価値がコロナ禍で暴落したことが大きかった。

ユニコーンが成長している間は投資は典型的なレバレッジになる。投資したお金の価値がどんどん上がるわけだ。既に成長が約束された(もちろんそんなことはなく、社会トレンドやテクノロジートレンドなどを鑑み、既にある程度成功の道を進んでいることが間違いなく、資金を投入すれば一気にスケールできるエキスパンジョン・ステージから、レイター・ステージにあること)状況に莫大な資金を投資するのだ。SBGの場合はほとんどがそのケースであり、発展初期段階(シード・ステージやアーリー・ステージ)の投資はほぼない。成長しているうちは間違いなくレバレッジ。それが投資家のビジネスモデル。

さて、このような投資家としての企業は、いったい誰のものなのだろうか? 私には想像がつかない。そこに集う投資家達はどうなのだろう。恐らく自分の会社とは思わないだろう。私たち庶民が証券会社に運用を一任するファンドラップをしたからと言って、証券会社にオーナーシップは全く感じない。株主はどうなのだろう。実事業を事実上持たない投資会社に対してオーナーシップを感じるのだろうか。私が株主であったとしても感じるとは思えない。社員も同様で、実業を持たないと社会に貢献しているという実感はほぼないのではないだろうか。批判しているわけでは全くない。お金を回すことによって社会変革を加速するという使命はわかるし、尊敬もする。しかし、社会の公器としての企業に係るステークホルダーにとって、自分の存在価値と結び付けられない実感のなさがなんとも空虚、即ち一体感を全く感じないのだ。結局は孫さん一人の会社なんだろうな、なんて感じる。

SBGとは無関係な僕がSBGを取り上げたのは、このようなセンセーショナルな動きを見ると、僕たちサラリーマン(僕は既にそうではないが)が所属する企業とどういう関係を築けるのかが、最近僕の中で大きなテーマになっているからだ。

僕たちは、自分⇒会社⇒社会とのつながりを強く感じることを、本能的に求めているのではないかと思っているからだ。続きは別の機会に(^^♪

 

㊟数字や状況は時々刻々と変わっています。少し前の情報をベースに書いているところもありますので、今現在は数字は微妙に変わっている可能性があります。ご承知おきを。

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旬を楽しむ。熟れごろのジャストタイミングを計るのが難しい。人生もそうですよ。

 

 

 

富士通と徳俵

■コロナ禍による変革は他人事じゃない

富士通がオフィススペースを3年で半減させると発表しましたね。既に4月ごろから在宅勤務・テレワークを積極的に推進している企業の中で、そのような議論はたくさんありました。私の友人の企業でもテナントビルの契約更新タイミングでそうするつもりだとか、社長や副社長は基本在宅を続けるなど、ウィズコロナ、アフターコロナを考え、明確にシフトを表明している企業はありました。しかし、大企業が10万人以上の規模で指針を示したのは初めてだと思います。

メディア対策で、目立つ戦略を示しマーケットの共感を得るという一種の戦略もあり得ますが、同社の若いトップはそうではあるまい。古い経営OSを自ら否定し、バイアスまみれの社員の目を覚ますために自ら変革をリードする覚悟が見えますね。

さて、皆さん想像してみましょう。長い歴史の典型的日本企業、そう、新卒一括採用、終身雇用、年功序列、時間拘束が就業規則の人事労務管理の文化・・・が、オフィス半減をどう受け止められるのか。

コロナ禍が終息してもなお、会社に集まって鳩首会議は行わないし、行う場所ももうありませんと決めたのです。一定の組織(事業部や部)が一堂に集まる場所はありません。皆、いつどこで仕事をしてもかまいません、成果をちゃんと出してくれればそれで評価します、と決めたと同義です。

スペース半減に賛同する企業はたくさんあるでしょう。そして、事実そうなっていくでしょう。しかし、その裏には企業としてのあらゆる考え方、価値観の変革が必要不可欠なのです。コミュニケーション、コラボレーション、イノベーション、仕事と成果の定義、評価、客観性、共感、尊敬、指示、フィードバック・・・ あらゆるものが今までと変わるのです。それらは、企業におけるあらゆるプロセスに宿っています。それがどうなるのか、どんな課題があるのか、プラスもあればリスクもある。それをMECEに洞察して対策を考え、一人一人が腹落ちする改革を進めなければ上手くいきませんね。

トップのリーダーシップだけでは解決しないでしょう。HR、IT、監査役、事計、法務などが大胆なアイデアを生み出す必要があります。恐らく、多くのスタッフは自分は関係ないと思っているでしょうね。そう思っている間は取り組みは失敗します。

この私の指摘に腹落ちする人はどれくらいいるのだろうか。

 

■公共善という価値観

先日あるウェビナーでサンデル教授の話を聞きました。そう10年前NHKの「ハーバード白熱教室」で有名になったマイケル・サンデル氏だ。当時、なんてカッコいいんだなんて軽いノリで観ていましたっけ。

彼の話を久し振りに聞いたわけですが、いろいろインスパイアされました。考えさせられたのは、彼のこういう指摘です。

正義が働く社会が再興できるのか。

自由とは何か。

連帯とは何か。

正義とは何か。

市民とは何か。

でした。そう、彼はこのコロナ禍真っただ中の社会を憂いているのです。行き過ぎた民主主義、資本主義によって、自由の権利が強調され、例えば、マスクを付けない自由を主張する人、マーケットにすべてを任せるべきだという挙句、なんでも金で買え、処理してしまう社会。成功者は自分の能力のお陰だと声高に言う社会。なんだかわたし的にはトランプ大統領の顔がどうしても浮かんでしまいます。

私は改めて考えるべきなのは「公共善」「共通善」という価値観だとつくづく思いますね。私が今あるのも、社会との関わりがあってこそ。社会の一員であるから存在できているのであって、社会を成立させるためには守らなければならない共通の理念があるはずだ、という考え。だから、社会のために我慢するとか、自分のことはさておき社会のために協力するとか手を貸すことが大切だ、という価値観

そう考えると、アメリカは自由主義が行き過ぎた挙句、コロナに感染するかどうかは自分の勝手でしょ的な考え方に犯されているように感じます。もちろん、経済を優先する(再選のため)というトランプ氏も自国優先を第一に掲げることで、その流れに油をさしています。他人の健康をリスクにさらすことが自由なわけはないと私は思いますが、そう思わない人が多いのでしょうね。

誰のためでもない、他人のために我慢する、努力する。それが当たり前だという価値観を子供たちにも伝えなければなりません。薄まる公共善の価値観。徳俵に足がかかった(土俵際)今、大人がしっかりしないとね。つくづく思います。

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20年弱前に母から昇格祝いとしてプレゼントされた時計。今の時代、ハンドソープでジャブジャブ洗えるこの時計が実にありがたい。最近はこればかり。

これが母からの最後のギフトだったな。

 

ハンズオンと新しい経営学を

緊急事態宣言が解除された以降、かなり日常を取り戻しつつあります。それはいろいろなところに表れますね。皆さんもお感じの通り、電車のラッシュが感覚的には7割がた戻ったとか、週末の車の渋滞が昔に戻ったとか・・・ 私が先日気付いたのは、新聞。折り込み広告がほぼ昔の量に戻ったのと、旅行社の全面広告が出始めましたね。この辺がマーケットの変化をよく表していますね。最近東京の感染者が再度増えつつありますが、一人一人は細心の注意を払い続けてもらいたいものです。企業も活動にネジを巻き始めるとともに、職場クラスターを絶対に起こさない覚悟をもって、対策を施してほしいと思います。

 

アメリカは1960年代以降日本の成長論理を学び、それを読み取られ1990年前後に完全に彼らのオリジナルの経営手法が日本のそれより勝り、潮目が変わりました。ITを活用した経営改革が必ずその中心にあり、ERPの台頭、流通革命やeコマース、少し前のインダストリー4.0等、実はその中心に経営論を考え抜く学者やボストン・コンサルティングなどのコンサルが存在していました。彼らが提唱する経営論の変革がアメリカを支え、新しいビジネスモデルのほとんどはアメリカから起こるほど、劇的にアメリカは成長してきたのです。


僕たちは、それら新しい経営論を勉強しなさ過ぎる。差は開く一方。もっともっと学ばなければなりませんね。それら新しい経営学を網羅的に教えるのが早稲田の入山教授だったりするわけで、僕はもっともっとHBRや書籍が売れてほしいと願っています。


1990年代の日本の停滞。止まったように旧態依然とした経営手法。その間世界の事業改革のメガトレンドが一気に進み、遅れた業界は完全に置いて行かれました。

 

会社が経営危機に陥っても、そこに働いている人たちは「自分たちはやるべきことをちゃんとやっている」と思い込んでいるので危機感を持てないケースが多いと感じます。機能別の組織が肥大化し、顧客や競争相手即ちマーケットで何が起きているのかに鈍感になる。それが自分は問題ないという視野狭窄を生んできました。経営幹部のハンズオンも足りず地政学的変化やテクノロジーの進歩にも感度が薄い気がします。IPAはいろいろな調査研究で(経産省も同様に)日本の企業のDX化の遅れを問題視しています。その底流には危機感の欠如が大きくのさばっている気がしてなりません。そこにこのコロナ禍。企業は今までの延長線上には成長など全く描けません。もともとそうなのに目をつぶってきました。見たくないものは見えないのです。しかし、今直視せざるを得なくなった。平時に変革を続けられる企業は残念ながら稀です。だからこそ危機感がそのエネルギーになるはずです。企業にとってはある意味このコロナ禍がチャンスなのです。

 

多くの産業セクターで生死の選択を迫られる企業が多発するでしょう。国内海外ともに今までのやり方で営業活動すらできないのです。この状況は相当長く続くでしょう。ワクチンが市場に行渡るまでには数年かかるでしょう。新興国も含めた渡航の完全自由も相当先です。今までのやり方ではトップラインは戻りません。延命させることと成長させることとは設計思想が違います。企業には両面必要です。これから何が起こりえるのか、ホラーストーリーも描かなければなりませんし、どこにどのような機会があるのかに想いを巡らせることも必要なのです。

 

今だからこそ、新しい「晴耕雨読」を。企業における「耕」とは、一言でいうと「ハンズオン」が大前提ですね。ハンズオンと新しい経営学を学ぶことの両利きが必要不可欠だと思うのです。

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旬をいただく。佐藤錦は日本の象徴的果物だと思う。桜好きだからそう思うのか?

 

100年の意味

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web会議のない朝。2時間強のウォーキング。雲の動きが速い。梅雨入りが近いぞ。


■人生の意味

リクルートワークス研究所の調査では、日本企業の中には社内失業者が現在推計408万人いるとされています。日本の雇用システムである年功序列や終身雇用が悪影響を与えているのは間違いありませんが、右肩上がりの経済成長の中で、ローコスト大量生産が求められていた時代が終わり、多様化したニーズに対して価値を創造し続けることしか、成長の芽がなくなっている中で、社内で価値を出せなくなっている人が増えているのと同時に、企業サイドもそういう人材を育てられていないし、使いこなせていないことが大きな要因だろうと推測します。
 
人間はなんのために働くのでしょうか? 一人一人が社会の中で付加価値を創り出すから社会が存続します。そして、その価値の大きさによってほかの人の便益や感謝の量が変わります。それが対価となって人々の生活が成り立ちます。一般的にその対価を得るために、起きている時間の多くを仕事に費やします。もちろん能力や情熱の多くも投入します。
 
従って、多くの人にとって否が応でも仕事観が人々の価値観の重要な基軸になると思います。自己実現と仕事観が同じベクトルに重なった時に、人々は最も充実を感じるのだろうと思います。
 
そこに必要不可欠なのが、“学び”です。上質なインプットを得て、それを消化し成長し続けなければ、人生はただの消耗戦です。徐々に細っていく人生に甘んじることは、人が本能的に持つ自己実現欲求にも逆らって生きることです。そこに充実感は存在しにくいでしょう。前にも書きましたが、私にとっては、先細りの人生は最も避けるべきものです。
 
本質的には、利己的な満足を得るために利他的に生きる、ということが人間のエコシステムだと思います。そのエコシステムの一員になるために、自分の能力を発揮しましょう。周りの人達とつながりましょう。できることはあるはずです。


 
 ■人生100年 
NP(NewsPicks)の記事によれば、「最先端のサイエンスでは、老化を予防することにとどまらず、夢のような『若返り』についても現実味を帯びてきています。」とのこと。節制をすることが寿命を延ばすということは、1930年ころから分かっていて現在も定説です。一方、人間の欲望は千差万別で、運動もせず食べたいものを食べたいだけ、それも夜中まで食べる一方で、長生きしたいと願っている人もたくさんいます。
 
それが、医学の進歩によって、そのような長い間のの不摂生をキャンセルできるようになりかけています。なんだか、人間の倫理観というか本質的な価値観も変わりかねない時代が訪れそうです。努力したものが報われるという時代の終焉です。もちろん、そのような医学はめちゃくちゃ高価格で提供されるわけで、高収入者あるいは資産家しか利用できないわけですが、そもそも高収入になるためにすごく努力したのだから当然でしょ、という資本主義的意見もありましょうが、貧乏根性の染みついた私から見れば、ただの強欲にしか見えません。金持ちは努力しないで寿命を買えるのですから。
 
そもそも私は、長寿であることに価値を感じてはいません。もちろん、若くして癌になったりアルツハイマーになったりするような方々を、最新の医療で何とか救えないかと思います。しかし、高齢者の寿命を科学の力で更に延ばしていくことに意味を感じません。

 「長生きする」ことの価値ってなんだろう?

2016年のベストセラー、リンダ・グラットン氏のはライフ・シフト 100年時代の人生戦略」で先進国で2007年以降に生まれた人の半分が100歳まで生きる予測(恐ろしいね)を引き合いに出し、「『教育・仕事・引退』といった3ステージの人生モデルが崩壊した」ということ。「今の60歳は昔の40歳と同じぐらいの健康状態を持っています。しかも昔の40歳よりも20年多く経験を積んでいます」という状況を捉えれば、昔でいう定年・引退という概念がもはや意味を持っていないということがよく分かります。

彼女の主張で納得するのは、僕たちは「有形資産」と「無形資産」という2つの資産を考えることの重要性だ、との考え。「有形資産」とは、お金やモノのことを指しますが、それ以上に健康や仲間、変化への対応力といった「無形資産」が重要だとの主張です。「平均寿命が短い時代では、『引退』ステージのために、金融資産を蓄積することが合理的でした。しかし寿命が延びると、お金を蓄積するより、『より長く働くための資産』を蓄積する必要があります。それこそが、『変身資産』、『生産性資産』、『活力資産』からなる『無形資産』です

その中でも特に『変身資産』という捉え方が面白い。これからの人生は今までより多い人生ステージを歩んでいくことになります。そのプロセスで、自分自身でその変化を制御することが求められます。「自分は一体どうなりたいのかを選択しなければならないのです」 必要なことは、「具体的には自分自身に対する深い理解や、変化を助ける多様なネットワークが挙げられますが、変身できることそれ自体が、これからは資産になってくるのです」 これはとても刺激のある指摘ですね。変身できること自体が資産(能力とも言えるのではないか)だと。う~む。唸らざるを得ません。

更に彼女の主張は「重要なのが、余暇の時間をレクリエーションではなく『リ・クリエーション』(再創造)に使うことです。余暇の時間は引退後ではなく、人生のあらゆるステージに細切れにやってきます。その時間を学ぶ時間として使うべきです」 「リ・クリエーション」(再創造)ね、これまた唸ります。そう、またここで“学び”の重要性が指摘されています。

人生のステップを再構成する。言い換えれば、自分を再創造する。そのためにはそのプロセスで上質なインプットを得て消化する“学び”が必要不可欠ですね。

そう、長生きすることに意味があるわけではないのです。本人が社会の中で充実を感じられることが何より大切でしょう。目的を失っては生きる喜びは感じられないでしょう。目的を考え、自分を再創造する・・・ 惰性で生きないためのハードルは、自分で設置しないとね。

私自身は、長生きしたいなど考えたことはありません。人とのかかわりの中で楽しく価値を発揮しているうちに、「そう言えば、清水さんいないわね」「先月死んだらしいぞ」なんてポックリ逝くのが理想ですね。賞味期限はあと10年くらいかな。十分です。
ところで、私は「健康のためなら死んでもいい」なんて言いがちな健康オタクではありません。お美味しいものを食べて、美味しいお酒を楽しみながら、日常はバランスよく節制する、そんな均衡を保つのが心地よいと思います。
一方、記事の中にある「20年分の不摂生をキャンセル」する医学の時代が来つつあるとは。なんと神をも恐れない所業なのでしょう(笑)。人間の欲はどこまで進むのだろうか。同様に、私は、もし不摂生を続けた人にポックリ逝ける薬を処方できるようになれば、どれだけ多くの人が不摂生の蟻地獄に落ちていくのだろうかと、想像すると恐ろしくなります。子供が親にプレゼントしたりしてね。ああ、恐ろしや。
健康寿命も金で買える世の中か~ 
僕は、DIY健康寿命を延ばすぞ! でも寿命自体は長い必要はない。

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人生、価値を発揮できるうちが花

 

 

 

 

しぶこの全英18番の陰に青木コーチ

楽天マガジンのお陰で、雑誌のチョイ読みが自宅のデスクでできる。ちょうど今斜め読みしたのが「Motor Magazine」 そこにこんな記事が。「ティーティングからコーチングへ」 去年すい星のごとく登場したゴルフの渋野日向子のコーチ青木翔氏の話だ。優勝した全英オープンでキャディーをしていたので、ご覧になった方も多いと思う。彼はもともとアカデミーを主宰しスイング技術や方法論を生徒に教えていた。いわゆる指導者、即ちティーチングだ。彼は、それでは指示待ちの子供を育てるだけだと気付き、「ことらが正しい結論を知っていても、それを教えてしまっては、選手が自ら結論を出せなくなります。こちらが答えを教えることを繰り返しては、一度解決した答えはクリアできるでしょう。でも、新たな問題に直面した時に、自分自身の力でそれを解くことは難しくなる」とコーチングの神髄に気付く。その成果が結実したのが全英オープン最終ホールの渋野選手のあの強気のパットだ。あのような痺れる瞬間にラインを読み、かなり強めのパットをしたのは、渋野選手自身の判断だ。彼は、「本人がラインを読み切りバーディーを決められれば、とてつもなく大きなものを得られる。仮に読みが間違っていたとしても、彼女の決断を尊重していたでしょう。それが成長への原動力になると思っていたから」と。そう、あの「強気のパットはコーチングの賜物だった」「コーチングの要諦は教えないこと。見守ることだ。」選手はコーチングによって自立していく。自分に問いかけ自分で解を見つけていくのだ。

私もコーチの端くれなわけだが、いつも反省する。そう、私はしゃべり過ぎる時があるのだw。我慢が何より大切なのに…。もちろん私だって成長してますよ。学び続けてるのですよw。この歳になって成長途上! それはそれで良いではないかw

クラアントの行動を変えることが私の存在価値。でも、青木コーチの言うように、私が教えるのではないのです。自分で変わるのです。そのためにクライアントは自分で気付いて自分で反省して自分でどうすべきか考えて自分で腹落ちして、そして行動するのです。私はヒントに繋がる質問をするだけ。特に答えを知っているときは、知っているだけに我慢するのは容易ではないのです。しかし、彷徨うクライアントを、手を替え品を替え質問を繰り出す努力を続けて、迷宮から救い出すことを愚直に続けるのです。まるでテニスの壁打ちの“壁”のように。

同時に、以前に紹介したように私のアプローチは“Coaching & Consulting”、のふたつの融合を旨としている。ある時には経験や知見に基づいて、アドバイスしたりフレームワークを教えたりする。しかし、それが過ぎてしまうと青木コーチの指摘の通り、クライアントは自ら考えることを止めてしまうのです。その塩梅にがバランスした時に、クライアントは視界が一気に開けたことを感じるでしょう。

修行の日々は続く。

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ベランダのミニトマトも順調に成長中。小さな実をつけ始めた。私も見習わなくてはw

 

 

 

フェラーリでぶっ飛ばす?

気分転換したいですよね。

そういう時、今まで皆さんどうしてました?

僕は、

・シムで体を動かす 

・ウォーキング

・映画を観る 

・都会を歩く 

・ブラ~っとドライブに行く

・本屋で本をあさる

・読書

・美術館に行く

・ゴルフを楽しむ

・旅行に行く など

そもそも、昔と違って買いたいものも明確にないのに、ぶらっとショッピングに行くことはない。もともと一人で食べ歩きもしない。従い、気分転換はこんなところ。

そんな気晴らしも全くできない日々。そりゃ読書もしますよ。映画も観ますよ。家でね。そのほかも全くできない2か月が過ぎた。ジムは今日から営業再開したらしいが、ソーシャルディスタンスが守れるわけはないと思い、行く気にはなれない。

今シーズンは好きなF1を観ようと有料放送の契約はしたものの、中止が続き、すぐ解約。暇つぶしに楽天マガジンの契約もした。でも、それでは気持ちが埋まらない。何かやりたい。

 

で、

プレステ4を買ってしまった。

今年5が発売されるらしい今どきになって… 

そして、生産を縮小しているせいか、SONYストアでも売っていなく、定価よりかなり高いお金を払わないと買えないのにだ。なんとバカバカしい。

と思いながら、クリックしてしまった。

で、先日届いた。

そして、グランツーリスモをダウンロードして始めた。

 

時々仮想空間で車を飛ばして憂さ晴らしをしている。

これって、憂さ晴らしなの?

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すぐに飽きてしまうのか?

 

 さ、仕事しようっと。