コロナの共感とトホホ

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マンション内のモッコウバラが一週間で一気に咲いた。幸せな空気(^^♪


昨日、僕が定期的にお世話になっているスポーツ整形の社長(一応株式会社になっているから社長でしょう)から電話をもらった。「5/6まで営業を自粛することに決めた」と。もちろんそこは医院であり、学生などのけがをした運動選手もたくさん来ている。彼も悩んだ挙句、感染終息に向けてできることは協力することにすると。僕は、よく決心しましたね。必ず多くの方から共感されるよと。従業員は15人くらいいるんじゃないかな。固定費だけでも大変だろうに。そのように、地域の中で自分ができることを何よりも優先して行うのが、日本人的利他心、協調心ではないだろうか。休業補償の有無の問題ではない。国難において自分がやるべきことを、何をおいても優先して行うのが国民の義務ではないか、心意気ではないか。それができない人が多すぎる。

一方こんな経験も。多くの方が定期的に病院に通っているのではないだろうか。私も、一か所ある。別に生死にかかわるような症状ではないので、薬を休んでも大した影響はないので、しばらく薬抜きで行こうかなと考えていた。薬が切れるにあたってその病院のHPを調べたところ、メディアで報じられているオンライン診療があるとのこと。前職の職場の近くの病院なので、都内のクライアントに行ったついでに寄っていたわけだが、クライアントとのミーティングがすべてネット経由になった今、更に3密を避けるべき今、わざわざ行くべきではないと思い、それにトライした。ところが、説明に従って入力したもののプロセスが説明と違うことに気付いた。そこで病院に電話して確認したところ、「まだやってません」だと。あらら。「電話再診でお願いしたい」とのこと。あら、前時代的。でも対応してくれるのね、ありがたい。昨日夕方のアポを取り、時間通りいつもの院長から電話があった。ほんの1分間wの確認で処方箋を近所の薬局にFAXしてもらった。それはありがたかったのだが、電話再診だと、薬は2週間分しか出してくれない。いつもなら6週間分出してくれるのに。もちろんリスクなどを考えたルールなのだろうけどね。FAXした後実物の処方箋を郵送する代金も請求されるしね。それも何だか昭和の感じ。厚労省はDX化を進めないとね。また、医者は電話再診の方が生産性が高く売り上げが上がる仕組みなのね~ トホホ

変わることが絶対条件 アトキンソン氏の警鐘

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私の好きなモッコウバラも少しづつ始めました。地味で小さな花ですが、たくさん咲くとなんだかいたいけな感じがして…あいらしいく感じるのです。

 

「日本人の勝算」(デービッド・アトキンソン)を読みました。「積読」の一つでしたw。

彼は「変われない日本」を痛烈に批判しています。「計算機を叩けば(データを見ればという意味)、明らかに日本経済のあり方を変えないと国が亡びることが分かるのに、それに本格的に取り組んでいる人は少ないように感じます。また、諸外国に比べてより改革が必要なのに、先進国として日本は最も改革しにくい国だと思います。

誰かが『日本人の変わらない力は異常』と言っていましたが、全く同感です。

私はこれまで、金融業界、文化財業界、観光業界で、どんなに小さいことでも反対の声ばかりが上がり、なかなか改革が進まないことを痛感してきました。

これだけの危機に直面しても、自ら変わろうとしないのは、普通の人間の感覚では理解できません。異常以外の何物でもありません。

なぜ、こんなにも頑なに変わろうとしないのか。変わる必要がないと思っている人たちは、こんな理屈を述べ立てます。

日本は世界第3位の経済大国である。

戦後、日本経済は大きく成長してきた。

日本は技術大国である。

日本は特殊な国である。

よって、日本のやり方は正しいし、変える必要はない

私が『変える必要がある』と指摘すると、次のような反論が返ってきます。

日本はお金だけじゃない、もっと大切なものがあるんだ。

前例がない。

海外との比較は価値観の押し付けだ。

今までのやり方は日本の文化だ。

見えない価値がある。

データ、データと言っても、データはいらない。

更に、本音を言う人は『俺はこれ以上頑張るつもりはないよ』と言います。

このような偏屈とも言える意見を持つ人が少なくないのは、日本人の平均年齢が上がっていることに原因があるという人もいます。40歳を過ぎると人間はなかなか変わろうとしませんし、新しい考え方を受け入れなくなる傾向があります。日本は国民の平均年齢が40歳に近いので、社会全体が変化をしづらくなってきているということだそうです。

いずれにせよ、重要なのはこの頑なに変わらない日本という国を、どう動かすか、動かせるかです。」

全て同感です。皆さんが所属する企業はどうでしょうか。上記の変わりたくない人たちのコメントと同じような言葉を、何度も聞いたことがあることでしょうね。特に歴史の長い大企業ではまるでコピーしたかのような感覚ではないでしょうか。

10年も20年も前から計画だけは変革志向で、あたかも現状に未来はないから変わるんだ的メッセージに溢れていたりします。しかし、何年たっても、成長戦略や中期経営計画で述べられていることは、ほぼ同じ。即ち何も変わっていないのです。言っているだけ。本気で変わろうとする人は、経営幹部もミドルも現場も誰もいないのです。いや、それは言い過ぎですね。いるかもしれませんが、結局なぜだか変われないのです。

議論はいつも表面的。腹の底から危機感を感じている人はぼぼゼロ。変われない自分たちを自虐的に厳しくダメ出ししてきた人もほぼゼロ。やったふりして厚化粧して自己満足に浸り、悪いのは上司だと人のせいにしている。

アトキンソン氏の言っているようにオッサンのムラ社会の閉鎖性は、最悪ですが、年齢が高いから保守的なわけではないと感じます。若い人も入社数年のフレッシュなときを過ぎると、どんどんフレッシュさを失い、現状是認型に変わってきます。青臭い議論を闘わせることもなく、すぐに諦めます。「もう知らない」と。そして、去っていくか、会社に寄りかかる寄生植物人生かを選択しますね。最低です。オッサンの価値観は年齢性別等に関係ありません。

前にも書きましたが、縦割りの価値観にがんじがらめなことも最悪です。隣のセクションはもとより、他社や業界全体などに興味がないのです。更に、自社の状況ですら興味を失っているのです。それでは、変わろうとするエネルギーが出るわけがありません。

頑として動かない、表情すらない石のようです。

変化を拒否する人や寄生植物には去っていただくしかないと強く思います。企業も国も競争社会の中で生き残り、成長し続けなければ死ぬのと同じなのです。

 

日本人の給与水準はもはや先進国では凄く低く、物価も同様です。産業構造は昔のままで、従業員が30人未満の中小企業の比率は30%です。250人以上の企業はアメリカで50%なのに対して、日本では13%。生産性、女性活躍、輸出比率、研究開発、人材育成などいろいろな面で、従業員の多さ(≒企業の大きさ)と深い関係があるそうです。即ち、中小企業の方が、生産性は低く、女性は活躍せず、人材育成はしない… 最低賃金は凄く低く、同一労働同一賃金ですらやっと今月法律が施行されたばかりですね。昔からほぼ何も変わっていません。

 

日本は課題先進国。って言ったって褒めているわけではありません。もうすぐ先には、生産年齢(15~65歳)人口1人当たり、1人の高齢者を支えるだけの社会保障費の支払い能力が必要になるのです。現状は2人に1人くらいですから、今の倍です。もっともっと収入を上げて税金や医療費を払うようにしなければなりません。税率など率を上げなくても、収入を上げればよいのです。同一労働同一賃金を定着させ、最低賃金を上げ、女性の就業率を上げ、定年を上げていくなどを速やかに実行する必要があります。現役世代も、儲けられる人はどんどん儲けてください。兼業・副業など可能な限り頑張ればよろしい。企業は人件費を抑制するのではなくて、生産性を上げるとともに、安売りを止めて価値に見合った価格で売るようにすればいい。

ビッグマック指数」って聞いたことがあるでしょう。公平に世界の物価を比べる指標です。それを見ても日本は物価が安すぎる。不動産は高いし、電気料金も高いはずなのに、日本のビッグマックはタイやアルゼンチンなどより安い。中国とほぼ同じ。為替を加味しても、6割くらい高くなければアメリカと同価格とは言えないのです。もっとインフレにならなければ、世界においてい行かれます。多くの国の人々は日本で働くメリットがないのです。給与が安すぎ、かつ世界で通用しない日本語を話さなければならないのですから。遊びに行く対象の国というだけです。アベノミクスも日銀の政策も残念ながら、効果は出ていないとしか言いようがありません。もっと胆な政策チェンジと企業の変革が必要です。

 

物価が安いのに輸出が伸びない。競争力がない。伸びているのはインバウンドだけ(それもコロナ禍でガタガタ)。なぜ競争力がないのかよく考えてみましょう。物価が安いのに製品価格は安くなく、魅力的でもない。生産性の低さとマーケティングの下手さが大きいでしょうね。できることはたくさんありますよ。変革なくして(改善ではありませんよ)競争に勝利するなんてあり得ません。

向き合うべきは、顧客であり世界です。決して上司ではありません

 

先ほど書いた中小企業の生産性の低さについて、少し書き加えましょう。

北米では以前から、“Young and small always win”と言われてきました。これは、いわゆるレガシー企業即ち“Old and big”を揶揄する言葉です。ここで考えなければならないのは、一様に前者が素晴らしく後者がどうしようもない、ということでは全くないということです。ちなみに日本の多くの中小企業は”Old and small”ですが…

すべての人格には(企業も)“Being”“Doing”があります。前者はある姿、ありたい姿、あるべき姿などを示し性質や性格などをがそれにあたります。後者はやりたいこと、やるべきことなどを示し行動がそれにあたります。

例えば、“Young and small”“Being”は青臭くて自由で刺激的などですね。“Doing”は素早い意思決定や試行錯誤などですね。

それに対し、“Old and big”の“Being”安定的、確実で信頼感があるなど。“Doing”は巨額な資金を動かし、確実な統制をとるなどでしょう。私のイメージですが…

“Young and small”と“Old and big”には各々長所と短所があります。お互い一見真似しにくい特徴と言ってもいいでしょう。それを明確にしましょう。皆さん議論してみてください。双方とも長所を伸ばし、短所を殺せばいいのです。そして他方の長所を実現できるにはどうしたらいいのかを考えるのです。それが変革です。例えば、大企業の良さを残しながら、スタートアップの素晴らしさを取り入れるにはどうしたらいいか?という具合です。できなくはないですよ。できるわけがないと思っているとしたら、それは完全に「認知バイアス」に犯されていますね。相手のことをうらやましいと考えているだけでは何も始まりませんよ。考えてみてください。相手はあなたのことをある点でうらやましいと思っているんですよ。

 

こういう議論を楽しむところからが、変革のスタートです。楽しいですよw

 

コロナ禍の中

皆さんお元気でしょうか。コロナ禍(「ころなか」と」読むんでしょうねw)の渦中にあって、多くの人は在宅勤務になり、飲み会やゴルフコンペなどなどは延期になり、社外の学びの機会であるフォーラムなどの勉強会も、Web開催か中止。なんとも寂しいものです。

私の本職であるコーチングもほぼZOOMでの面談に替えました。全然違和感がないですね。相手の環境によっては声が途切れたりすることはありますが、我慢できる範囲です。先日15人程度のミーティングもZOOMで実施しましたが、これも全く違和感がありません。かえって皆正面を向いているので集中できる感じすらした次第。そんな環境にもどんどん慣れてきました。

ZOOMを使うにあたって感じたことをいくつか。まず、資料の共有機能を使ったり、事前に送ってもらった資料を見ながら議論をするなどするケースは、ノートPCの他にディスプレイをつないで2画面で作業できる環境の方が、はるかに使いやすい。私は起業するにあたって、姿勢をよくする意味も含めてノートPCの上に位置づけられる高さのディスプレイを購入済みでしたが、これからテレワークが増えることを前提にした働き方にシフトするなら、購入することをお勧めしますね。想定以上に安価ですし、長い目を見れば合理的な投資です。二つ目は、無料のZOOMでできることをよく調べた方がいいですね。ネットで調べても少々分かりにくい。無料版では40分で切れるとかいろいろ制限が書いてあります。何人までのミーティングしかできないとかもね。あれは、自分がホストになる場合と相手が有料版のユーザかなどにより条件が変わります。無料版でも1:1のミーティングなら時間制限はないはずです。

どなたか有料版の契約をしている方がホストになって、在宅ZOOM飲み会などを開催すれば、ストレス解消請合いですよ。それなら大人数でもいけますよ。

在宅あるあるを少々。外出、飲み会、レジャー激減で、財布の中身が全然減らないと感じている方も多いのではないでしょうか。かといって、ショッピングにも行けないし、ついついネットで要らないものまで買いまくってしまったという方も多いのでは?

私も、あれこれと食指が動いています。それを、冷静さで踏みとどまるのが“偉い!”と自分を褒めたりしていますw 元々衣類や靴などのファッション関係はネットで買わないようにしています。それは、後悔した経験が過去に何度かあったからです。一つは色は実物を見ないと分からないということ。一つはサイズです。私のサイズはMとLの間くらい。私はM.5(そんな言葉はありません)と言っていますw。伸縮性のあるセーターのようなものであれば多くの場合Mでいいのですが、そうでないと着てみなければ全く分かりません。もちろん、多くのサイトが許しているように、返品すればいいのですが、それが面倒だし、そんなことで限界にきている宅配業者に負担をかけたくないのです(綺麗ごとではなくて)。本は専らAMAZONですが、買おうという一方で「積読」を先に読まなければというモチベーションが、注文にブレーキをかけていますw もう少しの間、在庫を消化します。

もう一つは運動不足ですよね。皆さんもそうでしょう。ジムは休会になり、通勤もないとすると明らかに運動量は激減です。私は、天気の良い日には可能な限り、ウォーキングをしています。午前中ZOOMコーチングを終わらせ、午後から10数Kmウォーキングしたりね。ストレス解消にもなりますよ。これからは花が綺麗なシーズンです。心地いいですよ。もちろん人気(ひとけ)の多いところにはいきません。

また、お子さんが通う学校などが休校で親も在宅を余儀なくされている(会社がその制度を用意していないと休暇になりますね)方も多いと思います。パートなどに出ていた奥さんはパートを辞めざるを得ない方も多い様子。今まで、給食に頼ればよかったものの、今は3食フルに用意しなければなりません。作る時間的余裕がなければ、買ってくるかデリバリーに頼ることになります。また、家事代行に頼らざるを得ないご家族もいらっしゃるでしょう。そうなると、上記に書いたような財布の状況ではないですね。お金は出ていく一方、ストレスも溜まるし…(涙) ここは子供と真剣に向き合うチャンスととらえましょう、家族できずなを深めるチャンスととらえましょう。何事も前向きに(*^^)v

一方、買いだめパニックのせいもあり、小売りやコンビニの業績は良いようです。ちょっと皮肉に感じますが、この景気の中で元気な業種があることは嬉しいことです。その分反動はあるかもしれません。無用な買いだめはやめましょうね。

業界の状況は、今述べたようにス-パーなどの小売りなどは堅調ですし、食品では中食なども好調です。もちろんテレワークを支える「Zoom Video Communications」などは数か月で株価は倍以上に跳ね上がっている好調ぶりです。もちろん、日経平均を見てもひどい有様ですが、下がったタイミングで再び復調しそうな銘柄を買う人も多いのでしょうね。在宅でそんなマネーゲームをしてたりしてね。私は、そんな才覚がないし全く興味はありません。

サブスクブームとはいえ、業種によってはどん底でしょう。店舗に行かなければサービスを受けられないものであれば、解約しますよね。行けないんだから。

また、巣ごもりの時間つぶしに最適な、ゲーム業界や、Netflixを典型としたオンラインコンテンツストリーミング業界も伸びているようです。そうなりますよね。一方既存の放送業界はオリパラの延期もあり踏んだり蹴ったりです。一部の局ではコロナ対策で一部の番組の収録を休んでいます。更に関係者が感染したら収録や作成は止まります。ということは、オリパラの分も含めて、一様にコンテンツ不足なんです。恐らく昔の録画番組がやたら放送されますよ。もしくはお金がかかることを承知で、海外のコンテンツを使うかですね。問題は日本語訳などの手間と時間です。投資は最小限にしたいですから、コンテンツの使いまわしをするんでしょうね。今業界はてんてこ舞いのはずですね。これで視聴者から見放されたら、一気にオンラインの世界にシフトしてしまうかもしれません。生き残りをかけた合従連衡が起きそうな気がします。

さて、安倍政権はマスクを一家庭2枚配布するようですね。それにどれだけコストをかけるのでしょうか。それよりやらなければならないことはたくさんあるでしょうに。なぜこんな施策を実行するのでしょうか。そもそもマスクがちゃんと店舗に並べばよいのです。それを阻害する要因を排除する政策を実行すればよいだけです。箱売りは医療関係者など向けのみにし、10枚単位くらいの販売しか許さなければ家庭の在庫は減ります。何百枚もストックしていながら、朝並んでまでため込むような人がたくさんいるのです。もちろん、転売目的も。マスク配布は世紀の愚策だと思います。それで安倍首相の支持率が上がったりするのであれば、日本人の価値観も地に落ちたとげんなりします。

敗戦国である日本は、一人の宰相の暴走を許さないためにその権限が非常に小さいですね。コロナの対応を見ても、各国トップのスピード感や強権発動のマグニチュードは、日本ではありえないレベルです。こういう時に、日本人は強権発動を求めるのか、はたまた合意形成を求めるのか、これは我々の試練なのかもしれません。一種の試験です。さて、どう感じますか? 既に勝手な(都合のいい)解釈を押し付ける首相や自民党。既に暴走が始まっているように私は感じ、その傲慢さは許せませんが、一方でコロナの対応ではスピーディーな強い意思決定を望みます。これは両立できないトレードオフとも言えます。難しい課題ですが、国民が向き合わなければならない大きな課題です。

コロナウィルスとの闘いは続きます。ともかく、自分が感染源にならないようにできる限りの努力を続けるしかありません。

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今日のウォーキングにて。桜吹雪が始まった。今年の春は寂しいですね。

 

パラダイムシフト

パラダイムという言葉をよく聞きますね。思考の枠組みのことです。即ちどう考えるかの常識のようなものです。それがどんどん崩れてきています。

例えば、今回のコロナ禍。航空機の利用者を考えてみましょう。世界での年間利用者は昨年のデータはありませんが、恐らく40数億人でしょう。最近10年、毎年平均5%以上伸び続けてきています。これからも需要が旺盛なアジアや南アメリカを中心に平均6%以上伸び続けると言われてきました。だから、航空機会社はどんどん新機種を開発製造してきました。三菱重工MRJをリスク覚悟で開発した(開発中)わけです。それが今回のコロナ禍によって、世の中の枠組みが瓦解してしまった。まだ分からないものの、もしかすると航空需要は半減してしまうかもしれません。航空会社は投資を止め、リストラをするでしょう。私も身内に関係者がいるので心穏やかではいられません。こんなことを想像できたでしょうか。ボーイングアメリカ政府から資金援助を受ける有様です。

人の動きが一気に萎んでしまった。これによって何が起きるでしょうか? ビジネスマンにとってこのような想像力が非常に重要です。今年はコロナ禍と一緒にオイルショックが起きています。OPECとロシアの減産合意が破談になり、何とその2国以外も含めて増産に踏み込み、原油価格の暴落、恐らく関係国の経済も悪化するでしょう。例えばサウジはソフトバンクのビジョンファンドに6兆円以上投資しているわけですが、その投資熱ももはや冷めたでしょうし、いつ引き上げるか分からないし、そのようなオイルマネーリスクマネーは行き先を失うかもしれません。要するにリスクを承知で成長しそうな企業に投資をするケースが激減する(少し前からWEWORKやUBERの不調でその傾向は始まっていましたが)かもしれません。お金が動かなくなるということです。アメリカのシェールガスも先ほどの中東などの原油価格の暴落で、競争力を失い、近年リスクマネーを得てシェールビジネスを始めた企業たちは、一気に先行き不透明になるでしょう。

日本ではどうなるのでしょうか。日銀やメガバンク、更にソフバンなど大きなお金を動かしている企業の動静に注目ですね。世の経営者たちはどのような動きに出るのか? 楽観的な人はひたすらおとなしく終息を待っているかもしれません。強烈な危機感を持つ人は、先行して構造改革に踏み切るでしょう。一時帰休でお茶を濁しているように見える一方で準備をしているはずです。

あらゆる可能性を考えなければなりません。今までの常識は最早常識ではありません。正にパラダイムシフトが起きるのです。なぜ今まで通りと考えるのでしょうか? と常に問いかけ続けるのです。最悪の事態を想定してシナリオを書きましょう。

シェアオフィスがブームだった景色は一気に消えました。オフィスだって今までの半分でいいじゃないかと思うようになりますよ。

投資も一気に冷めるかもしれません。人手不足もありどんどんアウトソースしてきた業務は、逆に一気に内製化に振れるかもしれません。4月施行の同一労働同一賃金働き方改革関連法案)も従うとすると給与の見直しなども必要なのかもしれません。

こんな時は、今までだったら「そんなのバカげてる」と一蹴されたことを真剣に考えるべきです。誰よりも先にぶっ飛んだことを始めるのです。それができる企業がピンチをチャンスに変えることができ、できない企業が足並みを揃えるように衰退していくのでしょう。

それに日本は例を見ない少子高齢化です。右肩下がりが前提の世界です。日本の所得は先進国ではかなり低く、新興国がひたひたと迫ってきています。物価はめちゃくちゃ安く、外国人にとってはこんなコスパの良い国はありません。為替でもっとバランスをとるか所得や物価をもっともっと上げるかです。デフレ脱却を掲げた安倍政権は成果も出せずにいます。今までの枠組みで考えては解決策など出てこないでしょう。

これからの日本、いや世界で何が起こるんだろうか? 思い切り発想を飛ばして想いを馳せよう。他人事ではないのですよ。

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セミナーも急遽Webで。外出禁止令に備えておくべき時が来た。

 

『あすこに行くと成長できそう』

皆さんお元気でしょうか。

コロナ禍は終息する見込みは立ちませんね。私が聴講する予定だったフォーラムはWeb開催になり、取締役会も延期になりました。このような中でも、残念なことに地下アイドルのコンサートは相変わらず行われているし、さいたまアリーナではK-1が開催されましたね。自治体に開催取り止めを強制する権限はないと言いますが、明確に要請することはできたはずですね。公式に公表されている感染者の数は約2週間前に感染した数です。少なくなってきたと言って安心してはならないのです。その傾向が2週間、1か月と続いて初めて収束方向だと判断できるはずです。皆さん安心しすぎです。先ほどのようなイベントを開催してしまったら、あっという間に新しいクラスターが出てしまいますね。運不運の問題です。社会全体で終息に向かい努力をしているときに、その成果を運に任せてはなりませんね。できる限り感染を終息させるか、最悪でも拡大を遅らせ、ワクチンや薬がリリースされる時間を稼ぐしかありません。最も好ましいのは、報道もあった既存の薬が効くことが証明されることですね。更にそれがジェネリックであれば低価格で普及でき、どの内科医でも措置できればほぼインフル並みの脅威に抑え込めます。それまでの努力と我慢です。オリパラが予定通り開催されるのは諦めましょう。最短で秋から冬の開催でしょうね。それまでに上記の見込みが立つかどうかは、私たち次第です。

 

さて、今日はスキルの価値について書きますね。

皆さんが働いている職場や会社は、社会で通用するスキルや能力を磨ける場所になっているだろうか? 内輪のムラ社会だけで通用するスキルや能力だけを一生懸命磨いても、価値は低いと言わざるを得ませんね。世の中何処に行っても通用する、というような価値のあるものでなければ自分の存在価値は狭い世界の中のそれでしかないですね。私たちは一生、特定の会社をよりどころにして生きていくのだろうか。自分はそんなつもりはなくても、いつの間にか偏った価値観や偏見やバイアスに侵されてはいまいか。

部下や後輩を育てる日常では、「社会人として」とか「日本では」「グローバルで見て」とか「業界では」とか「X-Techの時代では」とかの枕詞をおいて話そう。ともかく「当社では」「ここでは」ということを前提とする会話は避けた方がいい。日常からそういう癖をつけた会話を心掛けた方がいい。ムラ社会の中の価値観に染まらないように。(言うまでもなく、ここで言う社会で通用するというのは、例えば、一般的な品質水準より当社の基準は厳しいというような、ポジティブなものを否定する意味ではありません)

自社の基準、人事評価や予算、KPIなどは会社の枠を外したら客観的かどうかなんて甚だ怪しい。もちろん、公正に評価するためには何らかの基準が必要だ。だが、それはそのためだけに存在するのであって、世界標準の評価基準でも何でもない。自分が世の中でどれだけ通用するかどうか、価値があるのかどうかとは全く関係ないのです。

自社の中だけで通用するスキルなどを身に着けるより、世の中、特にグローバル視点で通用する(必要とされる、高付加価値な)スキルなどを身につける方が、将来性が間違いなくあります。少なくてもその差を認識し、客観性を失わないように努力することが必要不可欠です。これは自分の損得だけの問題ではないのです。もちろんそうなればキャリアアップのチャンスは明らかに開かれます。しかし、それ以外にもメリットはあるのです。顧客やステークホルダーにたいして、客観的に競争力とは何かという視点で訴求ができるようになりますね。また、価値観が磨かれ、自社を正しい方向へ導くエネルギーになります。チームをビビッドにします。即ち我田引水から解き放たれるのです。

みずほファイナンシャルグループ グローバル人事業務部の日置健太氏は「目指す目標は『あすこに行くと成長できそう』と皆に思われる『場』になること。自分の価値を高めたいと考える人材が集積し、その知見が次世代型の金融ビジネス構築を急ぐみずほの一助になる好循環を目指す」と話します。皆さんの職場やチームが『あすこに行くと成長できそう』と思われるようにするにはどうすればよいのかを、よく考えてほしいと思います。リーダーの日常から変えていこう。

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研ぐべき爪が割れてきた。20年位前から白い線がずっとあるが、その先端から裂けてきた。皮膚科に行ったらなかなか治らないと言われた(涙)。ステロイドを塗る毎日。爪を研がないと人生の価値は高められないのにな~w



むっつり

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清々しく健やかに生きようよ。コロナに負けずに(*^^)v

最近どうも気になってしょうがない。歳を取ったからなのかな~??
 
それは「ニコリともしない日本人」だ。
 
赤の他人とのコミニュケーション。例えば、カフェでウエイトレスが、声をかけてくるときを想像してください。
「御注文お決まりになりましたらお声掛け下さい」のシーン。
ニコリともしない客。声も出さない。機嫌が悪いのか、むっつりしたままコクリと首を2センチ動かす。
 
例えば、つい先日。レジでお釣りを受け取らず無言で立ち去る女性。レジ係は慌てて「お釣りですよ~」と声をかける。振り向いた客はむっつりしている。無言でお釣りを受け取り表情も変えず、コクリともせず立ち去っていく。レジ係の人は寂しいだろうな。
 
例えば、エレベーターの中。奥から降りる時に、「降ります」でもなく、「失礼!」でもなく、無言で押す。むっつりしたまま。
 
相手が友達などだと、不自然なほど、媚びを売るように、猫なで声で笑顔で可愛く話す。場違いなほど。友達に捨てられたくないのかな~?
 
何故それほど違うんだろう。
 
そういう人は信じられないな。絶対に好きにならない。同僚や上司にはニコニコとしているが、家に帰ればパートナーに対してはぶすっと機嫌が悪いんだろうな、なんていう想像が付きまとう。悲しいね。
 
礼儀ってなんだろう。
そういう人って、お年寄りなどを労ることができるんだろうか。きっとできないでしょうね。「一瞬の出会いなんて、何の役にもならない」なんていう感じ???
 
それって、日本人の一つの特徴なのかもしれない??? 日本人てなんてダメなんだろう。
 
例外じゃないよ。毎日見る光景だよ(涙)
 

4つのイドラ

何歳になっても、もっと大人にならなければ… なんて反省する毎日です。バイアスまみれで自分勝手で怠惰で愚かだとね。ま、事実は事実として向かい合わないといけませんね。

今日は人間の偏見について少し書きたいと思います。今回も出口さんの書いた「哲学と宗教全史」にインスパイアされ、少し引用しながら書きますね。歴史の知識が乏しい私にとって、この本は正に大人の教科書。大昔に授業で習った断片が少しつながり、実に気持ちの良いものです。

さて、時は1,500年代。

ルネサンスの時代にローマ教会は繁栄から堕落へと落ちていきます。「世俗化や高級聖職者の堕落、そして下級聖職者の無教養などに対する批判が嵩じた」のです。バブッたのですね。ローマ教会のシンボルであるサン・ピエトロ大聖堂を改築しようとしたのですが、資金が不足します。その時に、ローマ教皇のレオ10世が贖宥状(しょくゆうじょう)を売り出したのです。これを所有していれば犯した罪を軽減してもらえる赦免状のようなものだったようです。なんでそのようなことをしてしまったのか? 彼はルネサンスを代表する貴族で、要するに聖職者というよりは美や芸術などの文化を優先してしまい、本来ならば信者の浄財を集めるべきところを心の弱みに付け込んだ、何というか汚いお金を集めてしまったのですね。

その2年後、神学教授マルティン・ルター「贖宥状に対する95か条の論題」を協会の壁面に張り出したのです。「人間の罪を身代わりになって宥(ゆる)すことのできるのは、神のみである」という正論です。それが広がり、聖職者たちの堕落や贅沢に批判的な人々はルターの意見に同調しローマ教会を強く批判しました。

これに対して、神聖ローマ皇帝カール5世がルターに教会を弾劾するのを止めるように迫りました。しかし、ルターはそれを拒否。カール5世はルターを追放したのです。ところが、ドイツのザクセン選帝侯が彼を城に匿ったのです。安全になったルターは、聖書をラテン語からドイツ語に翻訳しました。ドイツから、教会を批判するとともに聖書に返れという大きなウェイブを作ったのです。

ルター派は、ローマ教会が聖書に書かれていないことを勝手にやっていると批判したわけです。常識的、保守的だったわけですね。これが宗教改革です。

歴史の面白いところは、いろいろな事件が新しい流れを偶然のように作ってしまうことです。カール5世はルター派を禁止しました(1,521年)。ところが、既に東ローマ帝国を滅亡させていたオスマン朝は西へと軍勢を進めてきます。カール5世はウィーンを守るために、ドイツ諸侯の力を借りようと帝国議会を開き、ルター派の禁止決議を一時保留にします。ドイツは先ほどの流れで、ルター派だったのですね。ルター派は活気づきます。オスマン朝は冬の寒さによって撤退をし、なんとかウィーンは守られたのです。そうすると、カール5世は手のひらを返し再びルター派禁止決議を強行しようとします。笑っちゃいますね。自分のご都合。イデオロギーの違いで党が二つに割れても、勢力の拡大のためにまたくっつくどこかの国の政党みたいです。ルター派はカール5世に抗議書を送ります。分かりますか? 抗議すなわちプロテストしたので、ルター派プロテスタントと呼んだのです。

ちなみに、ローマ・カトリックは先ほどのように華美で堕落的です。それに対しプロテスタントは質素で禁欲的です。歴史的にカトリックの比率が高い国は、イタリア、スペイン、ポルトガル、更に南米の国々です。プロテスタントの比率が高い国は、ドイツや英国、北欧の国々です。分かりますよね。食事や服装は明らかにその影響を受けているように見えます。

宗教改革を支えた人はもう一人います。それがカルヴァンです。カルヴァン「予定説」を主張しました。「聖職者も領主も一般市民も、すべて聖書や法律の前では平等である」そして、「魂の救済を得られる人は、あらかじめ神によって定められている」と主張したのです。ローマ教会はずっと「死後に天国に行くか地獄に行くか、それは最後の審判の時に決まる。だから生きているうちに善行を積み重ねて、最後の審判にパスをすることが肝要である」「善行を積んだのかどうかを誰が判断してくれるのか。結局のところは、ローマ教会の最高権威者であるローマ教皇です。そうすると教会に土地を寄進したり、お布施をたくさん喜捨(きしゃ)したりする」ことを信じていたわけです。

ところが、「予定説」では、生まれる前から死後の運命が定まっているわけですから、「教会で祈ることもお賽銭を積み上げることも何の役にも立たないことになります」ローマ教会としてはとても困るわけですね。面白いでしょ。

不思議なのは、そうであるなら気ままに生きて信仰深い生き方はしないはずなのに、そうではないことです。「自分たちは選ばれて天国に行くのだから、与えられた天職を禁欲的に務めるのだ信じこんだのです」凄いですね。

この教えは商業や工業にかかわる人々に浸透していきます。ちゃんと聖書を読み学習を旨とする人々です。マックス・ウェーバーは「このようなカルヴァン派の人々の生き方と業績が資本主義の原型を生み出し発展させた」と考えたそうです。これまた面白いでしょ。

話が長くなりました。少しはしょりますね。カール5世は帝国議会を招集し(1,555)、「召集されたドイツ諸侯や皇帝に直結する大都市の代表者たちは、自分の領地でルター派を信仰する自由を認めることを可決した」のです。神聖ローマ皇帝であり、ドイツ王でもあるカール5世は認めざるを得なかったのです。しかし、同じプロテスタントであるカルヴァン派はさらに過激であったために認められませんでした。

このように、時代はルネサンス宗教改革の大波によって大きく動いていきます。「神を絶対視せず、合理的に物事を見つめて考える知性の働きの大切さに、人間が目覚めたからでした」「信仰上位の世界から合理性と自然科学の世界へと時代は踏み出していきます。近代の幕開けです。その先頭に立った思想家が、イングランドのフランシス・ベーコン(1,564-1,642)でした」

彼は帰納法を体系づけた人です。「知識は力なり」と言ったことでも有名です。これはある意味画期的だったのです。神ではなく人間の力にフォーカスしているからです。宗教の力ってずっと凄かったんだと気付きますね。

彼は人間は「偏見や先入観に囚われがちな性格があることを」警告しています。その性質のことをラテン語イドラidolaというのだそうです。アイドルidolと語源は同じだそうで、両方とも偶像とか幻想を表します。

彼は、人間には4つのイドラがあり、それに気を付けないと世界の真実を見逃してしまうぞと警告しているのです。これが実に鋭い。

種族のイドラ 「人間が本来、自然の性向として持っている偏見。対象を自分の都合の良い方向に考えたがる性向です。嫌なことは過小評価する。楽しいことは過大評価する。見たいものしか見ない。そのような性向を指します。」

洞窟のイドラ 「個人の経験に左右されて、ものの見方がゆがむケースです。狭い洞窟から外界をのぞきみるようにしかものは見られないことです。幼少時の悲惨な体験が引いて、物事を悲観的にしか考えられない場合や、社会的経験が少なくて自分を中心とした価値判断しかできない井の中の蛙』もこの同類です。」

市場のイドラ 「伝聞によるイドラともいいます。市場の人混みで耳にした噂話から、事件の真相を誤って理解してしまうようなケースです。」ネットニュースに踊らされてトイレットペーパーを慌てて買い込むのなんかは、典型ですねw。

劇場のイドラ 「別名は権威のイドラです。劇場の舞台で有名なタレントが話したことや、立派な寺院で権威のある宗教家が説教したことを、何の疑いもなく信じてしまうなケースを指します。ありがちな偏見です。」

全て耳の痛い話ですね。これらは現代人への警告にもなっているのです。私たち全員が自分と向かい合って諫めなければなりませんね。

宗教の力は本当に強いのですね。ベーコンの時代にその頸木から逃れて、物事とりわけ人間そして自分に向かい合ったということなのでしょうか。人間は愚かです。4つのイドラはその典型ともいえる偏見です。自分と向き合って、どれほど愚かなのかに気付くところから始めなければなりませんね。

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聖書に戻れか

 そういえば、友人の結婚披露パーティーで神父役を演じたことを思い出したw

ちなみにカトリックでは神父、プロテスタントでは牧師というのだそうだ。