人生の先細りを避ける

■価値観

そのボディーは「人生観」と「仕事観」だろう。僕たちは価値観の縛られて生きている。だからこそ自分の価値観をはっきりさせた方がいい。自分の行動は何に縛られているのか。何が大切で何がどうでもいいのか… 本業であるコーチとしてのメッセージでもある。

言い換えると「価値観」とは「美意識」だ。何をもって美しいと思うか。実は「会社」という一種の人格も「美意識」で決まってしまうのではないかと思っている。会社には特徴のある独自の美意識がある。それは一種の文化。倫理にも似た精神。僕たちはそれに縛られて会社独自の「〇〇(会社名)」らしさを培っているんだな。きっと。

 

■願望

僕たち人間は皆、「ユニークでいたい」という思いを抱いている。それは健全な個性。自分らしさを出さないとパートナーを得られないし、認められない。それは動物の求愛行動と同じなのかもしれない。

ユニークであることが自分の存在証明なのだ。

同時に、「誰かの役に立ちたい」「何かを与えたい」と自然に思う。「幼気(いたいけ)な子供を抱きしめたい」とも。

すべて、存在証明なのかもしれない。

 

個性の価値

「モノ」や「会社」や「肩書」の価値はどんどん薄れてきた。どうでもいい。

そんなことより、「知識」や「経験」や「行動」や「想い」や「エネルギー」が価値にいなる。そんな時代に突入している。

即ち、「個性」が価値なのだ。

 

マンネリ

いかに価値が高い何かが提供できても、提供する側にもいつかは「飽き」というデモチが襲ってくる。

それを回避する唯一の手段が、上質なインプットを常に追求し、価値を「アップデート」し続けることなのだ。

人生の先細り」は絶対に嫌だ。

 

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希望にあふれる一年生が眩しい季節がくる。親の価値観を押し付けず好きなことをやらせてほしい。

 

「認知バイアス」の罠

人間は記憶の誤りや擦りこまれたもの、都合の良い真っ赤なウソなどにも縛られている。見たくないものは見えないというのも同じかもしれない。それを「認知バイアス」という。時に法的証拠の信頼性を大きくゆがめたりもする。思い込みを事実としてしまうわけだ。自分の信じている疑いようのない何か、を否定されても頑なにそれを曲げずに、かえって深くそれに閉じこもり、間違いを指摘する人に対して攻撃的になったりもする。某国の大統領の支持者たちも、本人の、すべて自分の指示による結果だというシナリオに染められた「認知バイアス」にまみれていると感じる。もっとも、彼らだけでない。私も含める人間全員が持つ心理なのだろう。

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最近のランチはこんな感じが多い。子供のころからポテサラにリンゴが入っているのは許せなかった。ところが、出会ったこのサラダにはリンゴが…これが実に美味いのだ。記憶を覆された。これも「認知バイアス」のなせる業かw


PRESIDENT Onlineの「『グレタ・トゥンベリは生理的にムリ』と話すオジサンの主張」が納得の主張をする。「『そもそも、気候温暖化を否定する考え方は、近代の工業資本主義を推し進めた男性優位的なアイデンティティと深く絡んでいる』と米国のオンライン経済メディアQuartzは指摘している。」「自然を征服し、大量生産・消費によって、生活を向上させるという近現代の工業システム。グレタさんは、そうしたマッチョな資本主義のシステムを否定したわけだが、同時に、『(その主な担い手たる)男性の信念、価値観を攻撃し、その『自尊心』を傷つけた』(Quartz)のである。その結果として、『自己防衛本能としての反射的怒り』を買ったというわけだ。」なるほど。よく分かる。

グレタさんの主張は正しい。ただし、いかに正しかろうが、「『自分は正しく、あなたは間違っている』と、自らの主張の正当性を示し、相手の間違いを指摘し、批判する手法は、科学的エビデンスをもってしても、決して、説得に効果を持たない。」となってしまう。そうだよな。納得。

これが、すべての人間が持つ“脳の癖”「認知バイアス」のなせる業なのである。

「我々はある意味、全員が環境破壊、気候変動の共犯者たちだ。それに気づきつつも、生活や生計や生存を優先させ、不都合な真実に目をつむってやり過ごしてきた気候温暖化を認めることは、自分たちの非を認めることになる。」

人間は本質的に「認知バイアス」との闘いなのだ、と理解しよう。バイアスまみれの自分と向き合い、客観的に自分を見よう

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これはローストビーフバージョン。これにもリンゴがw

 

 

 

 

 

 

 

 

ポスト会社の決意にエール!

■ポスト会社は40代から?

ポスト会社、即ち会社生活が終わった後のこと、をいつ考えればよいのでしょうか。50代それも中盤から後半に、現実の課題として見えてきた時から考え始める人が多いのではないでしょうか。それでは遅すぎるという本を読みました。彼の指摘は、「50代はポスト会社を見据えた過ごし方、時間の使い方をしないと、ビジョンも構想もなく、ロクな準備もしないままポスト会社に突入してしまうからです。40歳前後で、30代までに培ってきた経験・知見をもとに」自分と向き合い「40代・50代をその実現のためにどう過ごすのか、どんな経験を積み、どんな知識・スキルを身に着けたらよいかをきちんと考えるべきです」です。

素晴らしい指摘だと思います。ちゃんと考えちゃんと準備をした方がいい。少し自分なりに整理してみますね。

①どういう人生を送りたいのか?

②何のため、誰のために働くのか?

③どんな時に最も充実感を感じるのか?

というようなことを、真剣に自分の本心と向き合って考えることがまず第一に必要不可欠です。できればそれを文章に落とし込みましょう。自分の琴線に触れるように練りに練って書き下しましょう。それが今後の自分の人生の「」になるからです。いつも「そうだよな、僕はそんな人生を送りたいんだったよな」って思い出すのです。

そうしたら、

④そのために学ぶべきことは何なのか?

⑤学びたいことは何なのか?

⑥それには資格など要件はあるのか?

⑦必要な時間や費用は?

⑧道を教えてくれる人、仲間、メンターはいないのか?

などを考えることが重要ですね。ポスト会社をスタートするためには、大きなコストや時間を要する場合もあるのです。思い立ったときにすぐに、新しい仕事をスタートすることができないものもたくさんあるのです。

もしかすると、その道を描くためにその準備も兼ねられる転職をした方が良い、などという選択肢だってあり得ますね。

日々の仕事に執着すれば、時間だって限られるし、準備の時間もかかるでしょう。40代にちゃんと考える、という意見はよく分かります。

 

■旬がある

しかし、「もう遅い」なんて落ち込む必要は全くありません。以前に書いた通り「Life Design」にもう遅いなんて永遠にないのです。何歳になろうが、自分の人生はデザインし直せるのです。

言えることは、なし崩し的にポスト会社に突入しないことです。能力やモチベーションや時間が無駄になったり空回りした人生は、虚しいものだと思います。自分でもきっと嫌でしょう。もぬけの殻みたいに急に老け込んだりしたくはないですよね。

真剣に考えたくなる“旬”のような時期があるはずです。問題はその旬を逃さず真剣に自分と向き合うことです。その時は寸暇を惜しまず真剣に考えるべきです。必要な行動に取り組むんです。人間「ケツカッチン」になった時に爆発力を発揮するものです。夏休みの終わりになってやる宿題や、試験間際の一夜漬けの経験がそれですね。ただし、それでは身につかなかった、という記憶もあるはずですね(笑)。そう、やればできるけれど、ベストではないのです。最悪は、旬をも逃してしまうことです。

私などは、遅く来た旬を逃さず前職の時から準備をして、何とか起業した口です。前職の末期に気付き、現役の時からメンターやコーチを引き受け、志を確認しセンスを磨いてきました。それが、決意・覚悟を生み、退職半年弱前に起業を決意したわけです。

コーチ業をスタートした人たちの多くは、多くの時間や費用を投じ準備していますね。私の知り合いにも何人もいます。私のように一気呵成にスタートした人などほとんどいません。そういう意味ではロールモデルにはなりませんね。運が良かったということでしょう。

重要なことのもう一つは、友人などの人脈です。会社勤めの時からの知り合いがいろいろ助けてくれました。アドバイスをくれたり、紹介してくれたり、他社で働いている友人がワンタイムの仕事を発注してくれたりもしました。SNSでつながっていることも役立ちました。そんなことは想像もしていませんでした。「清水さん会社を辞めて再就職せずに起業するんだって?」「だったら紹介したい人がいる」という調子です。

 

■第二の人生にエールを

このブログを書いたのは、友人から手紙をもらって思いついたからです。その友人は前職の同僚でした。先日会社を退職して、雇用延長せずにある仕事を始めるというものでした。昨年学び、試験を受け資格を取り、まもなく新しい仕事をスタートするとのことです。私同様人にかかわる仕事です。これからの日本にとって大変価値のある仕事です。今までの経験やスキルが直接的に活きるとは思えません。そういう意味で大きなチャレンジです。しかし、情熱さえあればできると信じています。

人間は、学び挑戦し続けるということをしないと、待っているのは衰退です。誰かの役に立ちたい、社会の役に立ちたいなどという「利他心」が恐らく背中を押すでしょう。同時に自分自身が楽しめないとだめです。収入や肩書なんてまるで関係ない。自分を必要としている、自分が役立てると思っている、というような直感ともいうべき感覚を大切にした方が良いと思います。

活躍をお祈りします。

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最近のランチ。初めて入ったカフェは明らかに新しい顧客層を狙っているのが分かる。女性だけで営まれているそのお店。チャレンジャーだね。

 上記の写真の黄色いライスに見えるものは「クスクス」なのですが、恥ずかしながら「クスクス」とは何かをよく知りませんでした。健康的だとか聞くので、「粟」のような穀類かと思っていました。北アフリカ発祥の小麦のパスタだったのですね。糖質オフには適しませんねw

宗教とビジネス

 

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新木場の発見

起業して一年目が終わりました。昨年春から開業準備を始めて、6月末で前職を退職し、初めて個人事業主として売上が計上できたのが8月、そこから会計処理も板についたという状況にはなかなかならずw、いつも分からないことだらけ。その間税務署主催の記帳説明会や、入会した青色申告会に聞きに行くことなど、計7,8回はいろいろ教えていただいた。会計にまつわる本は3冊読破(実は斜め読み)。何とか決算と確定申告が1/27に終わりました。少し前の話です。本当に知らないことだらけでした。例えばこの確定申告期間。どこを見ても2/17からと書かれていますが、実は青色申告会に行くとそれより前に申告できるのです。今回はルーキーである私にとても親切に教えていただきました。次回からは独力でできるでしょう。きっと😅

 

孟子

中国の諸子百家時代の儒家として有名な人に孟子(BC372頃~BC289頃)がいます。少し彼に係ることを書きたいと思います。と言ってもほぼ出口治明さん(哲学と宗教全史)の受け売りですが…😅

彼(孟子)の主張の一つが「性善説」ですね。同時期に生きた荀子が「性悪説」を唱え、お互い批判しあっていたようです。「孟子は誰をもって性善としたかと言えば、上人を中心とする人たちです」中国では当時人々を上人、中人、小人と分けていたののですが、上人とは中央政府の役人を指します。中国は日本よりはるかに文化が進んでいて、更に100年くらい遡る戦国時代には文書行政が始まっていて、中央政府の役人は文書を書き地方役人に命令していたのです。そのように文章を考え、書く人を上人、読むだけの人を中人、読み書きできない人を小人

と言っていたのです。孟子は、上人即ちインテリ階級の人たちを取り上げて性善の対象にしていたのです。「もともと賢いのだから自分で努力して学べば、それで十分だという意見です」

「対して、荀子は下人を対象としていました。字の読めない人間に自助努力せよと諭しても、やりようがないのだから半ば拘束して勉強させる仕組みを作れ」と言ったわけです。

そうです。前者を「性善説」、後者を「性悪説」と言っているのですね。

実はそれに対し出口さんは面白い指摘をしています。「性善説性悪説は、社会を構成する別々の階層の教育について言及しているのであって、2つの説の間には矛盾はない。むしろ2説を並立さっせたことが、儒家の思慮深いところである」と。対立しあう二人を包んで、社会システムとしてどうやって制度化するべきなのか、という方向へ昇華していったのですね。その数十年後荀子の弟子であった韓非法治主義を唱え、中国に安定をもたらしていくのでした。正常進化

というか成熟していったわけです。

 

■王道と覇道

さて、話は変わりますが、昔私が会社の幹部合宿メンバーになったころの話。一回目だったか、社長以下12人の参加メンバーが想いを出し合うセッションがありました。メンバーの想いを共有し、心を繋げるためのプロセス。私は「王道を歩みたい」と話したのを思い出します。

「王道」とは何なのだろうか。

話を孟子に戻します。かなりはしょりますよ。孟子は「易姓革命」を唱えます。これは天命によって王朝が決められ、人民の安寧を保証できないと天命がくだり、愚かな王に警告(飢餓や自然災害)を発します。それでも改めないと、天は民衆に下克上を命じ王を後退させるという、天命を大事にする考え方です。

出口さんはこう解説します。「天命という抽象的な概念を除去して考えてみれば、実際に下克上(革命)を実行するのは農民であり民衆です。孟子の思想は、人民主権の萌芽ではなかったか、とも考えられます。」なるほど。このように思想家が文化や社会を作っていったわけですね。同氏は、時代が全然

違うルソー(1700年代)の「社会契約説」と似ていると指摘します。「人間は、それぞれの個人が本来、主体的な力や自由を持っています。これは自然法によって規定されています。このように自然法のもとに生きてきた自由な人間が、より主体的に社会で生きる権利を確立させるため、自分が生きている共同体と契約を結ぶことを、ルソーは社会契約と呼びました。この時個人は、共同体の運営を円滑に行わせるために、自分の諸権利の一部を共同体に委譲します。その結果として都市や国家が生まれます。」「個人の諸権利が委譲された共同体には、個々の意志が一つになった抽象的な意志が生まれます。それを『一般意志』とルソーは呼びました。」

「このルソーの社会契約説における『一般意志の存在と、孟子における天命という考え方は、社会生活の秩序を守る行動の基準として、多くの類似性を感じさせます。どちらも『人民主権がすべて』なのですが、民衆の自由気ままな意志を防ぐためには、公共の正義のような道徳的視点が必要であると、

孟子もルソーも考えていたのではないか。」達見ですね。尊敬します。

孟子易姓革命論という過激な発想を採りましたが、王道と覇道をはっきり分けていました。易姓革命論においても禅譲(前王統治権を新王に譲る)と放伐(武力で前王を倒す)を区別しています。」お待たせしました。ここで“王道”が出てきますw。

王道とは仁の力で国を治めることです。覇道とは実力で人民を支配することです。もちろん理想としたのは、王道の政治でした。彼は民衆の生活安定を政治の第一義と考える、民本主義の思想家でした。そして、孔子と同様に武力よりも仁徳を、政治の指針とすべきだと考えていたのです。」

“王道”とは仁徳を有する王が武力によらず、学問による教えや法律で世の中を治める文治政治なわけですが、そこから現代では ☆最も正統的な道とか、☆物事が進む正当な道というような意味で用いられますね。正当、正道、正攻法、正統派、定石という感じですね。

先ほど書いた私の“王道”とは「ITサービス事業を力強い正攻法で大胆に進める正統派でいたい」という意味だったのです。

実はその対極が“覇道”であるわけですが、実は恥ずかしながら当時は“覇道”という言葉を知りませんでした。当時はリーマンショックの後、傷ついた事業基盤の復活や露呈した弱点のカバーにに苦労していた私は、業績回復に奥の手も裏の手も奇襲も邪道もない、顧客価値を上げるという定石を歩むしかないと強く考えていたのです。

しかし、いま改めて“覇道”という言葉に向き合うと、新しいイノベーター特に、ディスラプティブ(破壊的)なイノベーターは、攻撃的で、強引で、奥の手を使いこなし既存のプレーヤーを力でねじ伏せていることに目を向けざるを得ませんね。もちろん昔の“覇道”と違い合法的ですけれど… そう、ビジネスに“王道”も“覇道”もなくなっている現実を直視せざるを得ないのでね。

しかし、私は思います。合法であれば暴力を振るってよいわけではないと。テクノロジーやビジネスモデルのユニークさやマーケティング力、営業力、コスト優位性などで勝負せよと。

 

覇道マネジメントの限界

世の中にいる有名な経営者には、一人で考え、部下たちを力でねじ伏せ、徹底的に尻を叩き、意思決定はすべて自分で行い、指示の通り部下を動かし、気に入らなければ首にする、というタイプの強烈なリーダーがいます。少なくともそういうイメージが付きまとう経営者が多いですね。

特に、成功した創業者、オーナーに多いかもしれません。だから成功したといってもいいかもしれません。戦時のリーダーは平時のリーダーと違い、強烈なリーダーシップを発揮し混沌の中に光を見出し、進むべき道を示し、全社をまとめ上げ荒波を乗り切らなければなりません。創業間もない時期は正に戦時。まさに“覇道”的リーダーシップなのです。

しかし、それは長く続きません。事業は必ず成熟し、さらに成長するためには、新しいマネジメントスタイルが必要不可欠です。社員を自立させ、自分で判断しスピーディーに行動できる人材を育成し、ありたい姿、新しい事業ポートフォリオを実現できる陣営を整えなければ成長できないのです。“覇道”の経営では人は育ちません。力でねじ伏せてばかりでは共感は得られません。最近よく言われる


エンゲージメントは高まらない」のです。

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共感から始まる

 

 

ヤバい

■ストレスを感じる不自然な日本語

最近日本語が退化していますね。というか使い方を明らかに間違えている人が多すぎますね。別に「このラーメンやばい!」というような新しい語彙を否定しているわけではありません。ま、TPOはわきまえてほしいですけどね~ (^_-)-☆

テレビを見ていても一番気になるのが「~させていただきます」です。丁寧に言いたくてそういう表現をとるのだけれど、勝手にやりゃあいいじゃないか、ということまでそう表現する人がなんと多いことか。いい大人がね。例えばこんな感じ。

「2時間かけて通勤させていただいています」

「今日のランチはハンバーグを食べさせていただきました」という感じ。

別に僕に許可をもらう必要ないんだよ~ って思わず言いたくなっちゃう。

ちゃんと解説すると、①相手に許可をもらって行う時。②それで自分が恩恵を受けているという気持ちを持っているとき。に使うのですよ。まったくもってそんなシチュエーションでないときに「させていただいています」なんて連発する。本人は“へりくだって丁寧に話していて上品でしょ!” とでも思っているのかもしれませんが、恥ずかしいですよ。

また、シチュエーションは間違っていなくても丁寧過ぎておかしな使い方をしている人もいますね。それを、二重敬語というそうです。例えば、「拝見させていただきます」。拝見だけで謙譲語なので、「拝見します」で十分丁寧。それに「させていただきます」を添えることが間違っているのですね。

許可してもらうこともなく、シンプルに自分が行うことを丁寧に言いたければ、「いたします」(いたす:するの謙譲語 + ます:丁寧語)が正しい使い方です。十分丁寧ですし、へりくだってもいるのです。

 

■大きな変化の予兆

最近耳にしたニュースが何かを予感させる。別に根拠なんて何もないし、それが何かなんて具体的にイメージすらできない。しかし、時々感じるんです。大きな波が起きようとしているって。数年前は、中国の急進的な動きが連発した時。Fintech、無人店舗、プライバシーを無視したイノベーション(顔照合など)などなど…

今回の一つがIBMのジニー・ロメッティーCEOが4月に退任し、クラウドのトップを務めているアービン・クリシュナ氏が後任になること。ロメッティー氏は前職の時にお会いしている。実にカッコいいw人だった。近年の同社は業績の下降が止まらず、クラウドシフトに乗り遅れていると酷評されていたが、彼女はGEなどと違いさっさと首になることもなく、王道の改革を進めているのかと思っていた。それが、2018年発表のレッドハットの買収。この時は驚いた。その買収が完了したのが昨年の7月。そして今回の退任。CEOの後退とともに今回発表されたのが、新COO。それが買収されたレッドハットのCEOだったジム・ホワイトハースト氏だ。この人事はIBMが変わることを象徴している。言うまでもなくクラウドとオープン化ですね。ホワイトハースト氏とも何回かお会いしている。人懐こい柔らかい人。以前勤めていた会社が日本におけるレッドハットの最大のパートナーだったからだ。彼も異色のキャリアを持つ。ボストンコンサルティンググループからデルタ航空そしてレッドハットだ。IT業界の人ではないわけです。それがついにIBMのCOO。ロメッティー氏はトランプ大統領に手紙を送ったことでも有名ですね。そう言えば、HPのCEOだったフィオリーナ氏は大統領選に立候補したっけ。ロメッティー氏もその道???なんて思っちゃう。

そして、ビリー・アイリッシュ。全然関係ないじゃないか。その通り。関係ありません。彼女はご存じの通り、1月末のグラミー賞で主要4部門を受賞したスーパースター。彼女は18歳なのですぞ。粒ぞろいのアメリカのポップスの世界にあって最年少で上り詰めるなんて。これも時代の変化を感じるのです。

更に、アメリカの民主党指名選挙。初戦であるアイオア州は僅差でブティジェッジ氏が勝利した模様(再集計するらしい)。本命のバイデン氏がなんと4位。大番狂わせだ。38歳対78歳、77歳、70歳の闘いに無名の市長が勝つとは。もちろん大統領選においてオバマ民主党の代表になった時もトランプが共和党の代表になった時も、誰も勝利するとは思っていなかった。これから嵐が起こるのだろうか?

さて、この三つの話。なんの脈絡もありませんw でも、世の中がドド~っと変わる時なんてそんなものって思いませんか? え~っ 僕だけ??

今年は何かが起こりそう。良いことであればいいんだけどね~ ヤバいことが起きるよ。きっと。ヤバいにはいろいろな意味があって分からないでしょw

シルエット

シルエット
 
足速に歩く冷たい夜
降り出しそうな雪
ふと感じる視線
ショーウィンドウの中
振り向いた時には誰もいない
次に感じた時にははっきり見えた
いや、見えた気がした
俯く男が
 
雪の積もる街はずれ
音も灯りもない
聴こえるのは雪を踏む足音だけ
そう、僕の足音
森の中に感じる人影
月明かりに動くシルエット
僕を見ている
 
香りがたつ居心地の良い空間
いつものカフェ
奥の席に案内される
お気に入りの席
柱の陰からふと感じる射るような視線
コートを着た男
そう、明らかに男だった
席に着き振り向いた時にはいない
 
朝起きるとポストに封書
宛先も差出人もない
中には3つに折った綺麗な和紙
広げると一瞬で文字は消えた
何かが書いてあった
網膜の画像は再現できない
何かが引っかかる
何かが僕に語りかける
 
それは過去の僕
彼が見つめる
煽るような視線
ちゃんと歩いているかと
ちゃんと見つめているかと
向かっているのはどこなのかと
 
Don't mind.
心配するな
ニヤッと笑ったような気がする
 
シルエットが

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事業拡大と逝ってしまった師

■事業拡大という当たり前と闘う

企業において、売上や利益を伸ばし続けるのは重要な課題だ。しかし、それは尋常な難易度ではない。もちろん、ブルーオーシャンな事業を持ち参入障壁を確立していたとしても、それは永遠ではない。更に、競合が現れないとしてもマーケットはいずれサチる。運が悪ければ、破壊的イノベーターが現れ、左団扇は短期間で終わるだろう。

結局は、企業は現事業は梃入れをしつつ、漸減を前提として事業ポートフォリオの入れ替えや新規顧客の獲得を常にチャレンジし続けるしかない。

決して営業マンのノルマをかさ上げしてプレッシャーをかけ続けることに、解を求めてはならないのだ。いかに効率的に事業を拡大するかには王道がある。

B2Bの事業を考えてみよう。新規の顧客を獲得するのに無差別に絨毯爆撃するのはナンセンスだ。マーケティングコストの無駄遣いなわけだ。まずは、財布の大きな顧客を狙うこと。IT事業であれば、IT予算やIOTなどDXの予算(財布)が大きい顧客から狙うわけだ。そして、顧客の成長に目を向けよう。伸び盛りの企業であれば、今の財布は小さくとも財布は拡大の道を進むだろう。まずは少額でも受注を獲得し、それを糸口に事業を広げていくことを狙うわけだ。三つめは既存顧客を狙うことだ。長年顧客との信頼関係があれば、それを梃子にして他の部門に攻め入るわけだ。情シスが顧客であれば、CMO管轄のマーケティング部門を責めるとか、DXを担う生産部門にアプローチするとかだ。信頼関係があるのであれば、情報をいただくとか責任者を紹介してくれるだろう。要するに新規に顧客をハンティングするよりはるかにマーケティングコストが少なくて済むのだ。少なくとも、信頼がある、どこの馬の骨だか分からないということはない。それに、事情が分かっている。その顧客の経営課題や成長戦略、役員構成や組織構造、役員の人となりや異動経緯、即ち何をしようとしているのか、誰にやらせようとしているのか、お金の流れやキーマン周辺の構造もおおよそわかるだろう。戦争(ゲームでもよい)を想像しよう。明らかに闘いは有利なはずだ。敵よりは正確な地図を持っているのだから。生産性のことを語るのであれば、既存顧客にアプローチする以上の効率性はないだろう。

しかし、もちろんそれだけにフォーカスしてはならない。新規顧客へのアプローチも前述の視点で並行して戦略的に進めなければならない。

近年はMAマーケティング・オートメーション)も定着してきた。プロスペクト候補層がターゲットコンテンツにアクセスした情報や、展示会やセミナーに参加した情報などを分析し、自動的にリードを絞っていくのだ。とはいえ、営業に情報を提供しても「そこは狙っていない」とか、「そこのことは俺が一番分かっている、余計なことをするな」的な昭和の時代の匂いがする価値観丸出しの壁にぶつかったりもする。その壁を乗り越えるために、営業マンとターゲット企業を共有して、そこにフォーカスしたMAを行うABMアカウント・ベースド・マーケティング)も浸透してきた。知りたい人はググってください。たくさん載っています。

世は「働き方改革」。残業時間を減らすことが目的だと、バカバカしい理解もまかり通るのが情けない。本質は生産性を上げること。企業は最も古典的な一人一人の経験に培われた勘と度胸に頼った「営業」を、改革しなければなりませんね。

 

■巨星堕つ

ご存じの通り1/23に「イノベーションのジレンマ」があまりにも有名なクレイトン・クリステンセン氏が67歳で亡くなった。世界で最も影響力のあった経営学者だ。実は前職(NECCMO)の時2015年に彼を自社のフォーラムに招聘した。その時は、「これが最後の来日だろう」とも言われ、多くの企業経営者がその講演やパネルディスカッションに聴き入ったものだ。私も、そして当時一緒に新規事業を開発していた仲間たちも皆深く影響を受けていた。彼の教えを受けて事業創造の考え方やプロセスは大きく変わったと言っていい。確実に成果は出始めているのだ。彼の死を惜しむ人は後を絶たない。

以下に、彼に係る過去のブログを転載します。

 

2017/07/31  「暑い夏を乗り切ろう。企業研究会とカネヴィン・フレームワーク

■新規事業創造の悩み

一般財団法人 企業研究会”からの依頼により7/18に、「新規事業開発担当幹部交流会議」で当社の新規事業開発の取組に係わる講演を90分行った。その後のワークショップや懇親会にも参加し、約40人の各社事業開発幹部の深い悩みに共感しながら、濃密な半日を送ってきた。

同法人は昭和23年に発足した由緒ある団体だ。復興に貢献することを目指し集まった経営幹部の勉強会から発展し、今日に至っている。1,400社が参加する大法人で、研究交流事業、公開セミナー事業とビジネススクール事業を行っている。私が参加した交流会議は1年ごとに参加者を募り、異業種が集まり相互啓発と新規事業開発に繋がるネットワーク形成を目的としている。同様の悩みを持つ人たちの集まりのようだ。

90分話し続けるというのはなかなかしんどく、私自身が何を話したいのかの吟味から、裏付けとなる事例や書籍の内容やデータの整理、シナリオ作成、パワポ作成などなど結構大変だった。事業イノベの方に支援してもらい、単刀直入を旨としたプレゼンと議論ができたと思う。NECの悩みと葛藤のほとんどは各社も同じと感じたし、当社の取組は各社から見ると相当進んでいると映っていて、とても参考になったようだ。

以前にも書いたと思うが、クリステンセンがいうように大企業にはイノベーションは起こしにくい。CDOフォーラムでも出たが、ちゃんとした企業に染み着いた“ロジカルシンキング”がイノベーションの芽を摘んでしまうのだ。「市場規模は?」「回収まで何年かかるのか?」等々細かいことまでロジカルに埋めるコトを要求する。そもそも、新しい事業を探索しているIdeateの段階ではやってみなければ分からない段階なわけで、そんなこと分かるわけはない。それをダメ出しする上司がいるから芽を摘んでしまうのだ。(プロセスは事業イノベのサイトに詳細が出てるからね)だからMVPを使ってリーンに顧客探索を行うわけだ。そこで大切なのは、CDOフォーラムで出た“Test&Learn”の発想だ。やってみてダメならピボットするか止めれば良い。そこに不必要なのがPDCAのプロセスなのだ。

既存事業はロジカルシンキングPDCA。新規事業はデザインシンキングでリーンスタートアップでTest&Learnなのだ。

ここで大切なのがクリステンセンの教えだ。大企業でイノベーションを起こすならば、①買収した企業にやらせる。②その事業をスピンオフ(切り離して)別会社にしてそこでやらせる。それしかない。それがどうしてもできないなら、③社内で従来の事業ラインから切り離して隔離した環境で行うのだ。なぜかって? さっき言ったように既存事業をしている組織知であるロジカルシンキングPDCAが新規事業を潰してしまうからだ。

この交流会でも、多くの人が「そうだそうだ」と仰る。「軒並み潰された」と。「新規事業をやれと言っておきながら潰す幹部の対応によってデモチになりやってられない」と。日本企業は本当にダメだね。ダイナミックに企業文化は変えられないし、変えられないならやり方を変えるしかないのに、トップの理解とリーダーシップがないから変わらない。トップ自らが潰してしまう。

やろうと思えばできる。意志の問題。当社もまだまだ。頭が堅い人ばかり。先日も事業部長のコミュニティーである“SessionJ”に参加したけれど、皆が自ら言っていることは、要は事業部長の再教育が必要だということだ。自分でははっきりとは言わないけどね~(笑)

 

■Cynefin Framework(カネヴィン フレームワーク

ある回の“SessionJ”に出たときにこの話を聞いた。世の中に起きる問題を分析すると4+1に分類できる。1というのは、まだ問題が何か分かっていないもの。いわば“混乱”。それを除けば4つに分類できる。

Obvious/Simple(単純系とか自明系と呼ぶ)原因が明確で誰でも分かる課題。自明。

Complicated(煩雑系とか困難系と呼ぶ)こみ入っていて分かりにくいけれど、専門家の助けを借りるなり分析すれば論理的に原因が分かる課題。因果関係は明確なわけだ。

Complex複雑系とか複合系と呼ぶ)いくら分析しても解けない。因果関係は後から振り返ることによってのみ分かる。やってみなければ解決できるかどうか分からない。失敗して学習するしかない。

Chaotic(カオス正に混乱系と呼ぶ)突発的に起こりともかくすぐにその状況から脱出しなければならない課題。因果関係が存在せず危機的状況。危機かも知れないけれど機会かもしれない。リーダーシップはカオスから抜け出すこと。

我々は問題に直面したとき、その問題の種類によって解決の方向が違うことなんか意識せず一生懸命何とかしようとする。原因がそもそも分からない問題なのに、一生懸命原因究明しようとしたり。③複雑系の問題に対して原因追及型の問題解決に注力するケースはとても多いと思われる。その様に間違ったアプローチをしても答えは出ないし、場合によっては関係者のデモチになったりもする。 さて分類に戻ろう。この四つの中で大きく違うのは①②と③④の間に大きな差あると言うこと。右の絵でいうと右と左(青と赤)の違い。①②(右)は解決のプロセスが明確で秩序的でルーチン化することができ、マニュアル化することもできるだろう。それによって「ちゃんとやる」ことを旨とする統制が重要だろう。それに対して、③④はルーチンなどないし非秩序的で挑戦的だ。これは根本的に違う。

我々は顧客の課題を解決すること自体が事業だ。その事業とはほとんど顧客の①②の解決だった。顧客の課題は明確もしくは分析すれば分かったのだ。ネスレの高岡CEOはこう言う。Conscious Problem(気付いている/自明な問題)を解決するのはRenovation(修理、改変)であり、Unconscious Problem(気付いていない/無意識の問題)を解決するのがInnovationだ。現在我々の前に横たわる顧客の課題にはConscious Problemはもはやほとんどない。あるとすれば改善もしくはクリステンセンのいう持続的イノベーション(価格を2割安くするとか性能を2割良くするなど)でしかない。我々が立ち向かわなければならないのは顧客のUnconscious Problemの解決だ。それが伸びしろであり、できなければ事業は細るしいずれ自然死を迎えることになろう。

さて、気がついたでしょう。Conscious Problemの解決が①②(右)であり、Unconscious Problemの解決が③④(左)と置き換えても良い。

我々は①②の事業をずっと続けてきた。そこに染み着いた我々の文化はロジカルシンキングであり、PDCAだ。それによりより効率的により正確に問題を解決するのだ。これは言うまでもなく当社の言う2階建ての経営手法の1階であり、即ち継続的に事業を安定的に続けるために必要なプロセスであり、2階即ち新しい事業を興すプロセスには全く不向きで、前にも書いたようにイノベーションをすべて潰してしまう。正に③がベンチャーの向き合っている領域であり、やってみなければ分からない課題なのだ。そこに必要なのはデザインシンキングでありリーンスタートアップでありTest&Run(前回書いたよね)(試してピボットを高速に繰り返す)なのだ。

違う種類の問題を染み着いたいつものやり方で解こうと思っても上手くいかない。リーダーは目の前に横たわる問題の種類を慧敏に見分け、どのように解決すべきなのかチームをリードしなければならないのだ。

右は準備を怠らず、ちゃんと計画してちゃんとやる。ロジカルに考えてPDCAを回す。その手法を教え、管理する。左は、トライしてその結果で判断しよう。責任は私がとるからチャレンジしよう。リーダーの振る舞いは右と左で全然違うのだ。リーダーによっては右しかできないとか、イケイケの左しかできないとかのタイプがいる。両方のマネジメントスタイルを使い分けられる人は多くはない。であれば、どうするのかを考えて欲しいのだ。適任者に分担してもらうとか。事業イノベに任せるとか。それができないと不幸なのは部下だ。

一般的には一つの組織の文化、それもロジカルシンキングで効率的に大量の課題を解決することによって成長してきた組織に③は難しい。失敗することを当然と考え、試すことが唯一の課題解決である③は許せないのだ。だから大企業にイノベーションは起こせないと言われる。それは紛れもない事実でそれを乗り越えるのは難しい。

イノベーティブな組織は②と③を行き来していると言われる。困難な課題も分析して理解して解決する②が、時々出てくる分析しても経験でも分からない課題を、試しにやってみてダメなら繰り返す③、結果失敗しようが成功しようが学習した知恵として②に活かしていく。その行き来を自然と行っているのだ。大きな組織の中で自然と違うやり口で問題に取り組んでいるのだ。

先ほどの話のように、イノベーションを起こせないと成長はできない。価格争いでレッドオーシャンを泳ぎ切れるとは思えないマーケットでは、イノベーションしか我々を救う手段はない。(イノベーションと言ってもテクノロジーとは限らない、ビジネスモデルのイノベーションなど方法は多々あり)従い、イノベーションは起こせないと諦めるわけにはいかないのだ。どうすれば良いのか。クリステンセンのいう三つの方法を多面的に取り入れるしかない。ご存じの通りFintechベンチャー創薬ベンチャーを起業した。今後もいろいろなやり口をチャレンジしていくだろう。プロの選択肢を学ぶことだ。事業イノベが支援できる。あとは既存事業を遂行している事業ラインでどのようにイノベーションを起こすのかだ。イノベーションを阻害する要因を排除するのか? それが難しければ、事業イノベと協力し合って支援をもらいながら新しいやり口(プロのやり方)にチャレンジするかだ。

CDOフォーラムと企業研究会。DXができる企業しか生き残れない時代を泳がなければならない我々は、学ばなければならないことがたくさんあると思い知った。いや、学ぶのではなく、もはや実践あるのみだろう。強い意志でやりきるしかないのだ。

■誤解しないで

右と左、1階と2階。どちらが良くてどちらが悪いという問題ではない。違うことを理解し、やり方を変えないと絶対に上手くいかないということ。

前にも書いたが、イメルトが言うように、企業の中でほとんどの人は既存事業をちゃんと正確にやり、正常進化を続けることによってキャッシュを得続けることに集中し、一部の人がリーンスタートアップのやり口(GEは名前を付けているがやり方は我々とほぼ同じ)新規事業を創造することにチャレンジする。全員前者でも会社は自然死の道に進むだけだし、全員後者なら早晩倒産だ。

後者は小さく産んでスケールさせる、即ち運良く大きなビジネスになるとしても時間がかかる。早いにこしたことはないが魔法もなければ飛び道具もない。プロが最も効率よくマネタイズする道を探すしかない。

イノベーションは数の勝負”というのも真理。しかし、プロは短期にスクリーニングする。お金をかけずにスクリーニングする。会社の事業ドメインやビジョンに合わなければ検討しない。VCはとても厳しく審査する。彼らだってビジネスなんだ。有限の投資資金を何に投資をすれば効率的に回収できるか? プロの目で選び支援する。VCは厳しいけれど社内はゆるいなんてあり得ないんだ。社内だってプロの審査とアドバイスで事業を効率的に成功させスケールさせなければならない。あなたの上司がVCと同様のプロの目を持っているのだろうか? 常識的に見てまずない。VCだって一流の目利きはそうはいないんだ。だから外の力を借りたり、事業イノベにプロを育成したりしているのだ。

企業研究会での私のプレゼンの最終ページは

「大企業にイノベーションは起こせない」

 

「やり方を変えなければ・・・」

とした。

当社は右で成長してきた。企業のほとんどがそうだ。それをやりきる実力(QCD)を十分持っている。困難なOMCSを作りきる実力は秀でているし、根性も据わっている。その能力は絶対に停滞させてはならない。(最近ちょっと曇ってきたかなと案じていはいるが。)

そのパワフルなエンジンはフルパワーで吹かしながら、左のコンバクトな新世代エコエンジンが今まで行ったことのない世界に踏み込んでいく。そんな双発エンジンの会社になりましょう。