謹賀新年


明けましておめでとうございます。

清々しい新年をお迎えのことと思います。今年も皆様のご多幸をお祈り申し上げます。

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 Eテレによると僕の今年の運勢はこれらしい。なかなか良い年になるではないか。問題は何にチャレンジするかだな。自らの価値観に忠実な年を送ろうっと。

 

■冬の景色

さて、皆さんは子供のころの正月の景色を思い出しませんか? 

年末から続く一年で最も重大な行事ですよね。特に昔はそんな色合いが強かった。年末に届く「板もち」。もう何十年も見ていません。小学校くらいからそれを切るのは僕の役目でした。包丁で押し切る手が痛かった感触を今でも手が覚えています。そのお餅をお雑煮に入れて3つも4つも食べたものです。今では、一つw。だいぶ変わったものです。

こたつ、そしてその上にある木の蓋つきのお菓子いれ(菓子器の一種なんでしょうね)。こたつももう30年くらい使ってません。我が家の中身はほぼお煎餅とさきいかだったような。母が好きだったのでしょうね。

石油ストーブで焼く餅。受験勉強の時は夜中にストーブの上で自作するカレーうどん。これも真冬の原風景。

そして、外はいつも寒かった。子供のころは都下の小金井に住んでいたのですが、真冬は池には氷、5CMくらいの霜柱、窓のサッシは凍り付き、今よりずっと寒かった。その霜柱を踏みながら凧あげを楽しんだな。小金井公園で行われた凧揚げ大会で入賞し、ゴッホの絵が表紙になっているスケッチブックをもらったな。自作の凧を作ったこともあった。楽しかったな。ダウンジャケットが登場したのが、大学生のころ。それまでの防寒着なんて頼りなく、今考えれば寒くて当然だ。

なぜか思い浮かぶそんな景色は、僕の頭の中ではほぼ白黒だ。寂しく寒い。

 

■一年

一年なんてあっという間。そう考えると残りの人生の短さを感じざるを得ない。別にいいんだ。長く生きようなんて考えちゃいない。ただ、残った時間を充実させたい。新しい発見をしたい。歩き続けたい。それが楽しめる間は。

LIFE DESIGNにもう遅いはない。目的地のない旅のように毎日が探索だ。地図もなければ指示もない。自分の意志で歩むんだ。手にある武器はコンパスだけ。生きるために与えられた唯一の道具。それは「価値観」。何のために生きているのか。何が大切で、何はそうでもないのか。何を信じ何を選べばよいのか。仕事の意味は何なのか。なぜ仕事をするのか。人生に意味を与えるものは何なのか。善や悪とは何なのか。そんな「人生観」や「仕事観」。心を揺さぶるそれらの価値観が行動を決めるコンパス。僕たちはそのコンパスに忠実に生きればいい。それが人生を充実したものにしてくれる。

僕は1年くらい前に人生をリデザインした。起業して人と向き合うことにした。企業が変革を続けるためには人を育てなければならないことに、フォーカスすることに決めた。僕が貢献できること。それが、経験を活かしたコーチングとコンサルティングだと気付いた。

寒さが薄らいだころから、起業準備を始めた。それは思いのほか楽しいものだった。すべて自分で調べて自分で行動した。慌てたり失敗したり。フリーランサーは皆同じ道を歩んでいるんだろうな。

 

■学び続ける

縁があって多様な仕事をした。ある時は全く経験のない仕事。そのために勉強もした。本を読みネットを調べ、フォーラムにもたくさん参加した。それは決して辛いものではなかった。むしろそれを楽しんだ。私の経験や思いに新しい学びを掛け合わせ、新しいビジョンを生み出した。それがクライアントに役立つ喜びは大きな成果だ。

いつまでもビビッドでいたいと思う。何を感じどう行動するか。その慧敏性を支えるのは感性だ。そして何より「自己効力」。「できるかもしれない」と思うこと。「楽しいぜ」と思うこと。これは前に書いたね。

価値観を磨くこと。それは、正解がある勉強をしても得られないのではないだろうか。あえて言えば、それを解けるのは方程式でなく一般教養と本質を突き詰める力。勉強するより考え続けること。そのベースを築くのが教養リベラルアーツだろう。脳みそが解放されて、真理を考えるために必要な武器だ。

私が大いに反省していること。若い時にもっともっと本を読んでおくんだった。しかし旅は続くんだ。今からでも遅くはない。

という思いがあり、「哲学と宗教全史ー出口治明ー」を読み始めたw。いやいや知らないことばかり。人間は考えるために生きているんだ。それが楽しいからね。

 

■自分に向き合う

僕って誰? 結局は自分に真摯に向き合って生きること、「意図的に生きる」ことが最も大切なことだと知った。鈍感な自分に反吐をはき、内なる自分を解放する。学びは無限。感性も無限。実は「開放性」即ち美的、文化的、知的な経験に開放的な傾向、例えば、好奇心や想像力、審美眼は20歳くらいまで成長しその後水平飛行となり、60歳くらいから衰えるというのが定説らしい。それに精々抗おうではないか。特にフォーサイト(先見性)とインサイト(洞察力)がビジネスの世界では必要不可欠。特に変化の激しい現代ではリーダーに最も必要とされるのがこれだ。他の人より、先が見えて、広く見えて、深く見える、ということ。これは知識ではない。感覚やセンスに近いもの。

常にビビッドでいたい。そんな渇望がぼくのエネルギーだ。

 

■経験は積み重なって価値に変わる

皆さん、同じ仕事を何年も何十年も続けているのだったら、変わった方がいい。全く違うセクションに異動するとか、職種を変わるとか…、異動ができなければ兼務でもいい。社外のポジションを得るのもいい、副業もありだろう。もちろん転職もある。

いろいろな経験をすること。その経験は決して無駄にならない。いつか必ずそれらが繋がり僕たちの人生を豊かにしてくれる。もし、特定分野の職人として死ぬまで技術を磨きたいのならその道はありだが、僕たちビジネスの世界では同じ仕事をずっと続けていると、明らかに価値観に広がりがなくなる。そのまま齢を重ねると行きつく先はバイアスにまみれたオッサンだ。若い人に疎まれることは必至だ。

経験は種類を何度も変えて積み上げる。だから強度を増す。更に新しい触媒を常に投入する。それが学びだ。だから化学変化が起き、更に強度を増しそして柔軟性まで手に入れるのだ。

 

 今年も頑張ろうっとw 

元旦の朝。

6時過ぎには目が覚めてしまい。AMAZON MUSIC ULTRA HD で「雨の街を」(by松任谷由実)を聴きながらこれを書いている。青春を思い出しながら。

今年も良い年にしよう。

皆さんもね (*^^)v

正論の美

 環境活動家グレタ・トゥンベリさん 温室効果ガスの排出の多い飛行機を避け、ヨットで大西洋を横断してマドリードに到着したのは先日のこと。

環境マフィアだとか、結局自分では何もできずに具体的目標数字も出さない、ただのパフォーマンスだ、炎上芸人だ、経済成長と利益優先を批判されると腹が立つ、パフォーマンスとしては筋が悪い、…… 彼女はなぜおじさんたちにこうも人気がないのか??

温室効果ガスを減らすための大胆な取り組みは、コスト増等我々の日常を脅かす?、コスト増は世界の貧しい人たちに重くのしかかる?、温暖化より安くて便利な方を選ぶ?、すべて経済優先、現実解はないと諦める?、環境対策企業にフォローの風が吹くように動く回し者?、自分が生きている間だけ幸せならいいの?、そんな綺麗ごとは幻想なの?、いろいろな思惑や感情が入り乱れる。 

国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)による気候のシミュレーションは「一連の過去の変化を全然再現できておらず、地球の気候の複雑さを表現できていない」すなわち、IPCC自身科学的ぶれは大きいと認めているとのことだ。

要するに地球温暖化は確かに起きている。ただし、100年で1.5度程度。これはCO2排出が少なかった昔の100年、即ち自然に温度が上がった時と変わらないという。

CO2ではなくて太洋磁場の影響だという人もいる。

 

彼女は言う。「各国の指導者は未来と今の世代を守る責任がある」

「科学に基づいて行動しろ」と言っている。即ち感情的に言っているのではないととれる。一方で、科学は正しいとは限らないという大人が蒸し返す。今までだって科学は覆ったことが何度もあったと。

結局は既得権益者との戦いなのか。政治家は皆既得権益者。即ち経済を謳歌し豊かさを求める国民に媚びている人たちだとも言える。電気料が上がるけど我慢してくれ、ガソリン値上げも我慢してくれ…と環境のためにコストを強いる政治を避けてきた。耳障りの良いことに終始し、結局そのツケは未来の子供たちが負うのか。グレタさんの気持ちはよく分かる。

結局は科学的根拠が揺らいでいるのが問題の一つ。合理的な改善策が明確でなく、強硬論の戦いになってしまって世界的な合意が得られないのが問題の二つ目。

 

私は正論を堂々と言う潔さ、を感じざるを得ない。それ自体が正しい根拠があるのかどうかという意見はあろうが、それは学者が寄ってたかって解決しなければならない問題。正論を堂々と言うことによって、衆目を集め新しいウェーブが起きる。イノベーションだったり、科学的根拠だったり、政策合意だったり、人々の努力だったり。大人はそれに耳を傾けよう。温暖化は事実であり、諸問題を引き起こしているのは間違いない。それに向き合おう。できること、すべきことは何なのか真剣に考えよう。行動しよう。それは小さなものかもしれない。しかし、その積み重ねが必ず清廉な人々を巻き込み、誰のものでもない皆の地球を、より住みやすいものにする努力のエネルギーに繋がるでしょう。 

つまり、こんな感じだ。CO2が地球環境に与える影響は非常に大きいという前提に立って、即ちそれが現代の新しい常識だと理解し、将来の危機を共有し、一人一人ができることを前向きに行う。全員が行動する。ということをすることが大切だろう。その常識が定着し、お金が動き、イノベーションが加速し、政治が動き政策が力強く発動し、そんなことは無理だと思われてきたことも、国民の理解を得られ、舵が切られる。そうなることを皆で期待し、将来に向かって責任を持った行動をするようになると素晴らしい。

例えば、ESG投資(ESG銘柄の株を買う)だっていい。そんな小さな行動がきっと未来につながる。

 

ローマ法王の今回の来日は人々の心に正論とは何かという楔を打ち込んだ。すべての命を守るために核兵器の使用は倫理に反する、即ち核は廃絶しなければならない。自分だけの利益を後回しにして、平和に向かって「ともに歩むこと」。抑止力のバランスの上に成り立つ冷戦など意味はないのだ。自国優先を叫ぶ多くの国家元首。皆現実的にできるわけないじゃないかと口をそろえるだろう。しかし、永遠に目指すべきものは間違いなく正論中の正論「世界平和」のはず。誰がその当たり前の正論を説くのだ。北朝鮮やイランを前にしてどの大統領が正論を説くのだ。正論を捨てた“ディール”という外交。

 

正論を言い続けるという美意識は人としてとても大切だと思う。実は企業も同じ。「何をもって美しいと思うかで企業も決まってしまう」。これは先日会食したある社長の言葉である。実に正しいと思うのである。

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 ふるさと納税で手にいればクラフトジン。美味しいといいが。これ、鹿児島の焼酎メーカーが作ったんだよ。

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「心理的安全性」

固定観念やバイアスに縛られる人間。僕だって縛られまくってる。がんじがらめだ。その呪縛から逃れるのにはとても苦労する。残念だが皆そんなものだ。

年配が「今の若いもんは…」とぼやく。でもあんたの方がよっぽどマナーを守ってない現実。自分だけが正しいと思い、自分の方を上に見てしまう「傲慢」「横柄」「驕り」「高慢」「傍若無人」「高飛車」「僭越」「尊大」「虚飾」「権高」「居丈高」「不遜」…この手の言葉がどれだけあることか。どれもロクなもんじゃない。この手の人が上司だったら逃げたくなる気持ちはよく分かる。私も何回かこの手の人が上司だった。僕は相手にしなかったけれどほとんどの人は心を砕き、必死に対応してた。

 

 

職場の「心理的安全性」。上司や先輩、前に書いた典型的“オッサン”たちが壊してきたもの。それがこれ。

風通しの良い職場。自由に何でも言える環境。出る杭は決して打たれない。笑いが起きる。ニックネームなどで呼び合う仲間。仕事が終われば後は自由。休暇もフレックスもテレワークも仕事の都合さえつけば誰の遠慮もいらない。助け合う仲間たち。目標達成に最高の生産性で挑む。成果を喜ぶ同僚や上司。皆友達。そうこなくっちゃね。

雑談などしようものなら白い目で見る上司。帰ろうとすると“暇なのか?”の目線。“シ~ン”としている職場。余計な資料を要求する上司。Slackでギャグも書けない。

それでいて、部下から突然の「今月で会社辞めます」宣言。「目をかけていたのに… なぜ相談してくれなかったんだ?」当たりめぇだろ。そんな関係で相談なんかするわけない。自分が「心理的安全性」を作ってこなかった報いだ。

コミュニケーションは絶対に「量」が勝負。「質」より「量」なのだ。「雑談」のない関係に「相談」なんか存在しないのだ。雑談と相談に区別をするな。言い換えれば、雑談を奨励しろ。それが新しい職場の常識。そんな職場でなければコラボレーションなんて起きない。イノベーションなんて起きないんだ。創造的で刺激的な職場なんて作れないのだ。

職場は「チーム」。雑談のない職場に「We are the team」の感覚が生まれますか? 絶対に生まれません。

心理的安全性」は上司が作るんですよ。しかめっ面して睨みを利かせて偉そうに上司面してちゃダメなんですよ。笑顔で明るくニックネームで話しかけ、雑談を持ち掛け部下とのコミュニケーションの中で、自分の想いを伝えるんだよ。何を言われても怒らず「面白いね~」「鋭いこと言うね~」「もっと聞かせてよ」…なのよ。間違いはすぐに認めるんだよ。

ドレスコードフリーも、職場のハイテーブル(雑談をするためのもの)もSNSも、会議や資料の激減もタウンホールミーティングも懇親会も、皆心理的安全性」を作るためのものなんだよ。上司が率先して材料にならないと変わらないよ。

「1on1」もいい。「エンゲージメント・サーベイ」もいいでしょう。でも、その前に職場の「心理的安全性」を作り上げましょうよ。

楽しいよ。仕事ってw

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たった100円で大抵のものはくっつく。離れた心も努力次第で修復できる。まずは「心理的安全性」の担保から。

 

Dancing in the moonlighit

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トマトがやっと赤くなった 頑張ってここまで育ったことに感謝 でも、僕に似てどうやらひねくれ者のようだ



どれだけ今まで愚かだったか?

鏡の向こうに自分が踊っている姿が見える

今見れば滑稽だ

そう、それは過去の僕だ

いつもいつまでも寄り添って人生を歩んできたと思っているの?

今やっと気づいた Make sense !

 

いままでどれだけ種をまいてきた?

どれだけ水を与えてきた?

もし、あなたがここにStayして

それに気づいたとしても、もう過去には戻れない

 

いまあなたがベッドに横たわりそれに気づいたとしても

失った過去は取り戻せない

窓の外を見よう

そこには未来の貴方がいる

うな垂れた貴方が

 

未来は変えられる

貴方が大切に思ってきたことを思い出そう

それに忠実な人生を送ることを躊躇する必要はない

ちょっと目をつぶってくれる?

今この瞬間に変われる気がする

 

やり残したことがある

あと1マイルそして1インチ

顔に落ちる露を感じて歩くんだ

暗い森の中も

月明かりの中で踊るんだ

 

 

 

AIの浸透とHP開設

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火曜日の皇居・半蔵門辺り 都会も秋が深まってきた

昨日NECの開催するユーザフォーラム&iEXPOに参加しました。いくつかの講演も聴講しましたが、AI・アナリティック事業部の本橋氏のそれが出色だったので、少しコメントします。

私の記憶では、彼はもともと研究職でAIを研究したのち、実際のフィールドの出たくて新しいビッグデータそしてAIの顧客フロント部隊に異動してきた。私が一緒に仕事をしていた4年前くらいで、既に数百社の顧客と議論を重ねまたコンサルをしていた。恐らくその数は現時点で千社を超えているのではないだろうか。

そんな彼だからこそ言えることが沢山ある。

ひとつはAIをいかに実用に供するように進めるべきか。必要なのは4つのピースだという。≫企画 ≫環境 人材 ポリシー だ。企業の中でIOTやAIの活用はバズワードのように幹部から推進を指示される。しかし、多くの場合は時間軸や価値に関しての無理解うゆえに企業の中でプロジェクトは上手く進行しない。「なんでそんなに時間がかかるんだ?」「そんな結果しか出なかったのか?」という類だ。

そうならないためには、経営幹部も含めたメンバーによって広く活用可能性を出し尽くすフェーズが必要不可欠だ。そのフェーズなしにとりあえず気が付いたとことから着手してしまうので、上記のようなGAPが出やすい。いろいろな業務や分野の仮説の中で、実現性の高いもの⇔チャレンジングなもの価値の高いもの⇔価値が限定的なものの2軸でプロットし、ある程度バラつかせてスタートする。つまりそういうポートフォリオで戦略的にスタートすることを経営陣も含めて関係者で握るわけだ。彼は筋がよい企画として、★価値が出やすい:例えば、作業回数が多い(年に一度結果が出るというものではなく、毎日にように効果が見えるもの)、わずかな改善が莫大な価値になりやすいもの。 ★失敗が許される:一部で悪い結果が出ても、トータルで良い結果になっていれば価値になる。 が良いという。確かに、そういうアプローチをすれば企業内での空回りは防げる。ちなみに、ガートナーの最新のハイプカーブではAIは幻滅期に入っている。そのような失敗事例が重なっていることも原因だろう。

NECでは多くの実例を積み重ね、フレームワークや開発環境やテンプレート、人材育成プログラムなどを用意している。以前に比べはるかに充実していることがよく分かる。やはり新しい分野は成功失敗両方のふんだんな積み重ねが何より重要だと思う。

ポリシーもそう。プライバシーとテクノロジーの両立の議論が、EUのGPDRに端を発し、一気に深まってきた。日本でも先進的な企業はAIと人権に関するポリシーを定め始めた。定めればよいというわけではないが、定めることが市場に対するコミットメントでもある。NECでも①公平性 ②プライバシー ③透明性 ④説明する責任 ⑤適正利用 ⑥AIの発展んと人材教育 ⑦マルチステークホルダーとの対話 を定めている。このような取り組みが、先の企業におけるスムーズなAIなどDXの活用推進と合わせて、先進的なロールモデルになることを期待する。NECのような先進企業が多くの企業をコンサルできるようになると、日本の進化スピードも上がるだろう。合わせて、IPAなどの公的団体や経産省、業界団体などが経営者に対する啓蒙を強化することが重要だと痛感する。

Seed Master ConsultingのHPを開設しました。

良かったら見てください。

seed-master.com

尊敬できるリーダー

人類史上最も変化の激しい時代。VUCAなどという。この言葉を初めて聞いたのはもう5,6年位前であろうか。軍事用語の一つである。死ぬか生きるかの時にどう判断するか。本質的なマネジメントの考え方かもしれない。

今まさに何が起こるかわからない時代。その通りだと思う。だからといって、積み重ねた経験はなんの価値もないのか??

どう思います? バイアスまみれのオッサンが「こういう時はこうするもんなんだ」って言ったって、聞く耳は持たない気持ちはよく分かる。その経験の多くは今とは全然違う事業環境の時代の経験だ。それを全面否定するのか?

 

もちろん鵜呑みにはできまい。そんなオッサンの舵取りに身を任せてサステナブルな成長ができるとはとても思えない。私の経験でも、過去の価値観を押し付けるオッサンにろくな人はいなかった。多くの人がそういう残念な経験を積み重ね、そんな否定的な価値観を抱くのも無理はない。

しかし、失敗を失敗と認め、市場環境の変化にビビッドで居続けることによって、更に新しい時代の経営学などを学び、その対処方法を経験から学んだ客観的な積み重ねと掛け合わせて、更にビビッドに尖っていく人も多い。正にそれがプロだと思う。

 

古い価値観にがんじがらめになった人たちによる意思決定を信じられない人は多い。当然だと思う。今の市場を分かっているのか? 今のテクノロジーを分かっているのか? 今の人材の流動性を分かっているのか? 過去のビジネスモデルが価値を失っていることを分かっているのか? 持続的イノベーションの陰で何が起こっているのかを分かっているのか? xtechの可能性を理解しているのか? …

 

経験×反省×客観性×強い意志×なんとかしたい渇望

×ビビッドな感性×行動力×共感力×学ぶ意欲

尊敬できるリーダーってこんな掛け算を実践している感じじゃない?

掛け算の意味って知ってる? どこが“0”でも答えは“0”になっちゃうのよね。

 

大切なのはなんだろう。バイアスを捨てること(学習棄却)。事実を知ること。清廉な心を持つこと。オープンなこと。

リーダーは常に謙虚で、何か起こっているかを真摯に観察する能力を持っていないとだめなんだ。

 

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古い銀塩カメラもいい味の作品を作る。アートは懐が深いのだ。

 

諸行無常

朝の散歩道。秋晴れの日はとても少ない。日が差すだけで幸せになる。

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少し前のNPの対談記事。ランサーズの曽根さんが、浄土宗光琳寺副住職の井上さんの話にインスパイアされ、「お坊さんの世界観からすれば、そこは諸行無常。万物は常に変化し、一瞬たりともそこにとどまらず、先のことはどうなるかわかりません。新たなプロジェクトに関わったとしても先のことばかりにとらわれることなく、目の前に集中することが大事です。」と。

よくわかる気がします。組織に属さないことによって、支えはオープンな自分しかない。私も、長く属していた組織環境によって染みついたバイアスも抜けてきた。オープン故、周りの変化にヴィヴィッドで、経験からすると未知の領域の要望が舞い込んだりもする。先のことは分からないけれど、そこは流れに身を任せる。外から真っ新な目で見る染まってない学びがきっと価値なんだと思う。その価値があるうちは流れに身を任せよう。

そろそろ違った景色を見たくなったら、また流れに逆らい泳ぎだせばいい。

 

新鮮さを失ったら仕事を変えるタイミングです。新しいプロジェクトに参画するのもいい、異動を申し出るのもいい、社内横断のタスクフォースに手を上げるのもいい、転職するのも。

自らのモチベーションは自分でコントロールしないとね。

 

自分の“強み”って何だろう。考えたことはあるだろうか? 一度真剣に考えることをお勧めする。そして、それをどうしたいのかを合わせて考え抜いてほしい。それを更に深堀したいのか、それともシフトして拡げていくのか? 何れにしても、意思を明確にね。キャリアプランは誰が決めてくれるわけでもなく、自分で決めなければなりません。もちろん、悩んだり迷ったりすることもあるでしょう。そんなときは遠慮なくアドバイスを求めることです。先輩でもいい、上司でもいい、キャリアアドバイザーがいれば更にいい。もしかすると見本になるかもしれないと思う候補がいれば、遠慮なくアドバイスを求めればいい。「インタビューさせてください」ってね。それを断る人はほぼいないよ。試してごらん。

「LIFE DESIGN スタンフォード式最高の人生設計」には、人生はデザインするものとある。「じっとベンチに座って『これからどうしようか』と考えるのではなく、ゲームに参加するしか」ないのだ。「一生の大半の年月を仕事(稼ぐためのものだけではない)に費やす。仕事は途方もない喜びややりがいの源にもなれば、果てしない退屈や時間の無駄にもなる。週末が来るまで苦しい仕事に何とか耐え抜こうとするーーそんな人生はごめんだ。」そのとおりだ。ともかく、考え行動することだ。「人生のデザインに手遅れなんてない」んだ。